そんな風に思ったことがきっかけとなり…
ロビーちゃんママ様や、
8ダックスファミリーのお友達からのお話を聞いていて、
「 アニマルコミュニケーション 」というものを、
お願いしてみることにした、カイヌシ。
最初は半信半疑…というのが正直な所でした。
数枚の写真と、話を聞きたい相手のデータ(生年月日、♂♀等…)を元に、
不思議なパワーで、言葉を交わせてくれる…というもの。
それは、生前でも、亡くした後(2年後位までが確実らしい)でも可能なのだとか。
魂はいずれ生まれ変わり、
生まれ変わってしまうと、その以前の記憶は遠くなることから、
交信が難しくなる…ということなのだそうで…。
* * *
ななみ に転移が始まり…
最後までの治療をどうしたらいいのか…
ななみ は、今何を望んで生きているのか…?
果てしなく悩む中での、アニマルコミュニケーションだったのでした。
人は、出来る術が全て無くなると…
こういう部分へ頼ってしまうのかも知れません。
そして半信半疑で1回目を受けたにもかかわらず、
2回目をお願いすることになったのは、
1回目での経験がとても大きく影響しています。
とにかく、半信半疑だった事も有り、
極力、こちらの情報詳細…は一切お伝えをしていませんでした。
にもかかわらず、通院の話などが具体的に出てきて…驚いたり。
治療についての云々は、
ワンコという立場では、思考力がどう変わるのか…解りませんが、
いずれ迎える、死さえも理解していない風で、
カイヌシが望むから、望んでいること(治療)なのだから
必要で意味があるの事の筈なのだから、
僕は頑張っているよ…というスタンスの様でした。
なんとも、私は話が出来た事がないので、
動物との会話がどんなものなのか…をお伝えするのは難しいのですが、
なにやら、イメージの様な、はたまた動画の様な空間の中で、
相手の言おうとする事を、ニュアンスとして伝えてくるものを受ける…
という、感じなのだそうです。
そのイメージの中で、ななみ が自慢した玩具が有ったそうなのですが、
その色形が、ななみ が一番大切にしていた玩具に酷似していたり…
(勿論、そんな事は伝えていなかった上、昔の玩具なので…ブログには登場していない品)
そういう、偶然!?という様な小さな事がいくつか重なったこと。
カイヌシと ななみ しか知りえぬ部分がいくつも出てきたのです。
そして…
1つだけ…カイヌシが ななみ に切願した事。
それは…
「未来に…もし、逝かなきゃならない時が来たら…
最期は一緒に居させて。見送らせて欲しい。」
という事だったのです。
普通に仕事をしてるカイヌシ、ほとんどを仕事にとられて居た現実…。
一番難しい、叶わない事の様に思えていました。
「最期を見送れなかったとしたら…。」
それは、その時期…
…一番カイヌシが恐れていたこと…
ただ、それだけが怖かったのでした。
結果…
隣で、側で生きていて欲しい…。
身体のあちこちに癌が転移をしていた中で…
そんな無理なお願いこそは、聞いてもらえなかったけれど、
最期に…
一番、カイヌシが望んだ事を叶えてくれて、
旅立っていったのです。
ホントに何から何まで、出来た奴でした!
そんな 優しさをくれた ななみ を想いながら。
そして…残されたカイヌシは、
ある1つの事を…
自分が言ってしまった1つの失言によって…
後々…苦しみ…後悔する事になるのでした。
なんて、小さなショボカイヌシなんでしょ…とほほ。
完全に、ななみ より器の小さなカイヌシざんす…(T_T)
ずっと、気になっておりましたよ。
「今は少し冷静な心を取り戻しました。」そんなお言葉にほっとしたり…。
アニマルコミュニケーションを否定する訳ではないのですが、
やはり、どうにもならない心を持っている場合の手段だと、
私は思ってしまう方なので、気持ちが落ち着き、
己の本来の思考が取り戻せるようになっていたら、それが一番のこと…と思います。
拭い切れない「後悔」は、それだけ愛犬を思っていたから。
こんな風に置き換えてしまう事は逃げだと言われてしまうかもしれませんが、
自分の事以上に真剣に向き合ったからこその「後悔」なのだと思いますよ。
そして、ありとあらゆる可能なチョイスを全てしたとしても、
治せるものでなかった限りは…
結局は「後悔」は残るものだと、経験の中から感じます。
「受け入れられないのはワガママ…」…そんな事はありませんよ。
悲しいけれど、淋しいけれど…すべては「時間」が解決してくれるもの…だと思います。
だから、それまでは…その思いを抱きながら過ごしていくしかないのですが、
「不在なことの戸惑い」は、確かにその子が傍らに居た証なのですから、
悲しいのも淋しいのも、後悔も…戸惑うのも当然のこと、なのですよね。
きっとここに書ききれない程の複雑な沢山の想いを、りんご様は抱えておられると思います。
でも…もし。 いつか、時間の経過とともに愛犬の全てを受け入れられる日が来たとして、
そしてまた、命と巡り合う日が来たとしたら、
そのコに迷うことなく、愛犬から学んだ全てを注いであげて欲しいと願います。
りんごさまは、それが出来る方だと…感じています。
りんごさまの愛犬の様に沢山の愛情を与えられず、看取られず…
不遇な死を遂げる命も数多く有るのが、この世の常です。
そんな事をふまえても、巡り逢った命に、愛犬に、愛情を注げたことは凄い事なのだとも思いますよ。
ワンダフルライフ、人が作った人間ご都合主義の映画だとは思います。
でもね、犬と人間とが語り尽くせない限りは仕方がない部分な訳で。。。
でもきっと、種族は異なっても、琴線に触れ合えた「命」同士、
相手の「幸せを願う」ものだと私は思うのです。そしてそこに…言葉は無くても。
悲しくて泣いてしまっても。
どうか元気を出してくださいね!
りんごさまが愛犬に注いだ愛情分、愛犬も貴女に愛情を注いでくれていた事、忘れてはダメですよ(*´ω`)
こちらこそ
ご丁寧なお返事と暖かいお言葉ありがとうございます。
しばらくお返事が書けず申し訳ありません。
あの子の49日が過ぎた今も、
やはり涙とたくさんの後悔はとまりません。
今は仕事もし普通の生活をしていますが
月日が流れても、きっとこの気持ちが消えることはないのですね。
これからの人生、あの子との思い出とこの気持ちと供に生きていくのだと思います。
ななもりうぃるまま様がおっしゃってくれた、
種族の異なり以上に、命がいずれ離れていくことは定めだと言うお言葉…
本当にそうなんですよね。
それを受け入れられないのは、
ただの私のワガママなのだと思いました。
あれからスピリチュアルな霊能者の方と何名かお話したりしましたが、して思ったことは
結局あの子の気持ちはあの子にしか分からないということでした。
ただあの子と喋りたい一心で、
アニマルコミュニケーションのこと色々聞いてしまいましたが、
今は少し冷静な心を取り戻しました。
それから、ワンダフルライフ観てきましたよ。
久しぶりにわんこの姿を見たので、犬種は全然違うのに、口の感じがあの子に似ていて最初から涙してしまいました。
ですがいい気分転換になりました。
勧めてくれてありがとうございます。
お返事、わざわざありがとうございますm(__)m
アニマルコミュニケーションについては、分野が分野なだけに、
お話半分…位でとらえていただく事がベストかな…とは思います(*'ω'*)
でも、愛犬と話したい…伝えたい…と思う心も、
凄くすごく解ってしまうので…切ない気持ちでいます。
笑ってくださいね! …なんて、前回記してしまいましたが、
そんな簡単な事ではないのですよね。
同じ時間を私も経て…今、ここに居るので、りんごさまのお心は痛い程伝わっています。
ワンコさんとの日々を伺って…
(※年代こそ違えど…)本当に同じ様に過ごして来た存在だったのだな…と感じています。
私も、他の何を失っても…失いたくない存在でした。
そして、自分の存在なんていいから代わってあげたかった。
それでも、悲しいけれど…種族の異なり以上に、
命がいずれ離れてゆく事は定めなのですよね、辛くて悲しいけれど…。
別れを経験してきて、今、思う事は、
やっぱり縁が有ったから出逢い、共に歩いて時間を共有し…
そして意味が有るからこそ、その限られた時間の中でも「縁」になったのだと。
何より、亡くす痛みをを知った今でさえ、
でも、やっぱり出逢えてよかったと思えるのです。
出逢えて、共に見て感じ合った時間が全てが宝物で、
そんな時間を遺してくれた存在に、感謝しているのです。
時間とともに、心が整理され…る時が訪れたら、
きっと、あぁ、そうかも…! …って、感じて頂けると思うのです。
あ! でも、急ぐ必要は全然なくて、ゆっくり、じっくり…で良いのだとも思います。
気温差も出てきましたね。
どうか、りんごさま、お身体ご自愛くださいね!
塞ぎ込みそうな日は、お気軽にコメントくださいね、待っていますよ!
お返事ありがとうございます。
どこの誰かも分からない私の為に、
温かいお言葉、ご丁寧なお返事で
貴重なお時間を使っていただき本当にありがとうございます。
私の身体の心配までしてくださり、
本当にありがとうございます。
食事はまだたくさんは食べられませんが、
一時期よりは食べられるようになりました。
睡眠はちゃんととれています。
高校生のとき私もまだ子供でしたが
ごはんも散歩も病院代も、アルバイト代で
全部自分で面倒を見ると親と約束して愛犬との暮らしが始まりました。
私が15歳の頃から共に過ごしており
思春期の多感な頃も
大人になり理不尽な社会で辛いときも
恋をして浮かれているときも
私がどんなときも一緒にいてくれました。
一緒にいろんなところに行きました。
毎日一緒に寝て、一緒に大人になりました。
愛犬がいてくれたから、もしものときの為貯金しなきゃと仕事も頑張ることが出来たし、まともに生きてこられたと思います。
自分が面倒を見ているようで
ずっと愛犬に面倒を見てもらっていたようです。
大人になって実家を出るときも愛犬と一緒で、
15歳3ヶ月で旅立つまでずっと一緒でした。
私の人生の半分は愛犬がいました。
人生の中で自分より大切だと思えたのは愛犬だけでした。
他の何を失ってもいいから、愛犬だけは失いたくありませんでした。
少し前まで愛犬はまだまだ元気で
見た目も散歩で会った人に年齢を聞かれ言うとみんな驚かれるほど若々しく
欲張りと思われるかもしれませんが
もっともっと一緒に過ごしたかったです。
ななもりうぃるまま様から
おっしゃっていただいた言葉は
すごくよく分かるのですが、やはり涙は止まりません。
これではだめだといろんな行動をしてみるのですが、愛犬がいたときは楽しかったことが、何をしても楽しくありませんでした。
うちに居るのも愛犬の姿が見えなくて辛いし
出掛けても帰ったときに愛犬の姿がないのが辛いです。
愛犬のいないこの世界で、これから心から笑うことができるのでしょうか…
でも愛犬の為にも前を向いて生きていかなきゃだめですよね!
アニマルコミュニケーションの件、
教えていただきありがとうございます。
6ヶ月後くらいがいいということで、焦らず待ってから行こうと思います。
もう少し落ち着いたら、ワンダフルライフも見てみたいと思います。
まわりの友達も犬と暮らしている子はいるのですが、愛情の深さも人によって違うのでなかなか話すことが出来ず、経験者であり愛情深く過ごされていたななもりうぃるまま様にうちの愛犬のこと長々と書いてしまいました。申し訳ありません。
ななもりうぃるまま様のお言葉は本当に有り難かったです。
ありがとうございました。
初めまして。コメントありがとうございます。
そうでしたか…りんごさまの愛犬も血管肉腫だったのですね。
まだ、亡くされて日も浅く…お気持ちの処理が難しい時期だと思います。
そんな中に、わざわざコメント記してくださってありがとうございます。
りんごさま、大丈夫ですか? ちゃんと眠れていますか?
悲しみで潰れそうな心は、あの頃を振り返った時に、
もう十分なほどに、りんごさまのお気持ちを理解できます。
ただ、ひとつ、お伝えしたいことは、
愛犬たちは、飼い主の「心からの笑顔を待ち望んでいる事」です。
悲しむ姿を、悔やむ姿を望んではいない筈ですよ。
それだけ純粋な心で、私達を想ってくれる存在だという事です。
だから…まだ、お辛いと…思いますけれど、
どうか愛しいワンコを想いながら、笑ってあげてくださいね!
その姿を笑顔を、愛犬は待っている…と思いますよ(*'ω'*)
お問い合わせ頂いた、アニマルコミュニケーションの方、
私ももう随分とご無沙汰してしまっており、
友人に聞きHPをおしえていただきました。
ただ、HPもどうやら止ってしまっている様です。
http://tenshinosizuku.blog88.fc2.com/
お問い合わせフォームが有る様ですが、現在利用できるか…は不明です。
一度、フォームからお問い合わせ試みていただけたら幸いです。
こんな書き方で良いのか…迷う所ですが、
結局の所、犬達にとって飼い主が、そして家族が全てです。
広い世界を知るのも、治療を受ける事も…食事も散歩も…日常のこと、ひとつひとつ…の事、全て。
ですので、その瞬間瞬間、りんごさまが全力で選択し、進めた治療は、その愛犬にとってすべての、
最良の、ベストの治療だった…といえるのではないでしょうか。
きっと、アニマルコミュニケーションをしても、同じ言葉で返ってくるように思います。
それだけ、貴女を愛犬は想い、共に過ごし歩いた日々に感謝していると思いますよ!
どうか…余り気持ちを追い詰めずに…。
悲しみに潰れそうなときは、いつでもコメント残してくださいね!
それから…私も言われてしまったことなのですが、
身体から離れて、6ヶ月間位は、愛犬の魂もその状況に戸惑っている時期なのだそうです。
なので、魂が落ち着いた頃に…6ヶ月間程経たのちに、コンタクトするのがベストだそうですよ。
生まれ変わるまで(約2年間位)は、りんごさまとの日々の記憶も新しく鮮明なのだそうで、その期間でしたら慌てず、大丈夫!…と教えて頂きました。
どうでしょう? 6ヶ月間待つ間に…
「僕のワンダフルライフ」足を運ばれてみては。
号泣では無い、楽しい、笑いある物語の中に、犬の本質が描かれていると思います。
愛しい愛犬との日々を重ね、振り返ってみる事も元気になれる一つだと思いますよ!
長文、大変失礼を致しました…m(__)m
私も先月、血管肉腫で愛犬を見送りました。
大学病院で手術をしたこと血管肉腫だったことが同じで、治療への考え方も共感する部分が多く、ななみくんのblog読ませていただきました。
闘病中もいろいろな方のblogを読んでいましたが、見送った後でも同じ病気だった子のblogを読んでしまうのは、自分の選択が正しかったのかと後悔ばかりがあるからだと思います。
まだまだ悲しみから抜け出せない日々です。
あの子と喋りたいです。
もしよろしければ、カイヌシ様が行かれたアニマルコミュニケーションの方をご紹介いただけないでしょうか?
まま様がずっとそばに居られたなんて、
らいちゃんさんは幸せじゃないですか(*^_^*)
もしかしたら…本当ではないかもしれないし、
本当かもしれない。
そんな事なのだと思うのです。
異論を唱えられる方もおられると思うし、信じる…とおっしゃる方も居ると思います。
答えはないと思うのですが…
あの時は、選んだ事がアニマルコミュニケーションというものだったこと。
想いを「見つめなおす」為の手段の1つだったのかも知れませんよね。
普段は情けない位、見えないものは信じ難い性格だし、
貴重な体験もしたことない(笑)そんな立ち位置で生きてきている私です。
あえて、お薦めは致しませんけれども…
心との折り合いを付ける行為として、とても意味が有る様に私は思いました。
ななみちゃん本当にやさしいお顔されてますね!
闘病中のブログも読ませていただきました。
ななみちゃんとっても大事にされてたんですね。
アニマルコミュニケーション、ネットで調べてみました。やっぱり私も半信半疑でしたが、今回のお話で、信じていいような気がします。
もっと前に知っていたら私もらいちゃんが生きている時に気持ちを聞いてみたかったです。
私は、いつも家にいたのでずっとそばにいてできる限り世話をしてとっても大事にしてきました。
それでも後悔ばかりしてて、気持ちを聞いて自分が楽になりたいだけなのかもしれないけど、
やっぱりどんな事思ってたのか知りたいです。
ダメカイヌシですね・・・!