虹の向こうに

4人の子どもの父親をしています。
リバ剣、段位は三段。
なぜか少年野球の監督してます。

ノーマライゼーション

2005年12月26日 | ひとりごと
今日、3つの学校合同の研修がありました。

特別支援教育の中で寄宿舎をどうしていくか、みたいな。

特別支援教育って、どういうことなんだろ?

特別って?支援って何を支援するの?

けっこう曖昧なまま進んでいるんだなぁ、てことも納得できたわけで・・・

その中で、「ノーマライゼーション」っていうキーワードがあります。

日本語にはなかなかしづらいけど、今障害児教育や障害者福祉を考えるときに欠かせない言葉。

でも、日本でこの言葉、ちゃんと広まっているんだろうか・・・

日本は平均に合わせる傾向がある。

平均に届かない人は届くように努力するってのが日本の根強い考え方。
「フツウ」という言葉のウラにもそんな考え方が寝っ転がってる。

だから、「障害者」「ノーマル」という言葉が出てくると、「障害者に普通の暮らしを」となる。

欧米では、段差がなかったり、ドアが自動だったりするのは当たり前。
歴史的にどうかは不勉強ですけど、どうも今はより弱者に合わせるという考え方がしっかりしているようなのです。

そこでは、「障害者がいて普通の暮らし」ができてる。

伝わります?この違い・・・

日本では、まだ健常者が障害者の上に立っていろいろやっている。
で、何か不足があったとき、原因が健常者の配慮不足でも「障害者のためにここまでやってやってるのに・・・」となる。

でも、「人の上には人を造らず」ですから、みんなが気持ちのいい暮らしをみんなで、の気持ちがないとね。

前にごりさんが書いてたのを借りると、

「この子らを光に」

なんです。

障害者と呼ばれる人たちこそ社会の中心=光に据えないと、いい社会はできないんです、きっと。

それがなければ、書面でどんなにきれい事を並べてもだめ。

それが「ノーマライゼーション」

「みんなちがって、みんないい(by金子みすゞ)」

障害のある人もいることが「ノーマル」である社会のために・・・

ボクのできることはなんだ?