奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

小泉神社の秋祭り

2024-11-01 21:27:33 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第1326弾


10月13日は大和郡山市にある小泉神社で秋祭りがあるというので行ってみました。ここの秋祭りではふとん太鼓が出るというのです。ふとん太鼓を見るのは初めてです。ふとん太鼓の宮出は13時というので、その前に行われる宮入も見ようと思って、ちょっと早めの11時ごろにJR小泉駅近くの駐車場に着きました。



駅から小泉神社まで歩きました。途中の富雄川にかかる小泉橋には秋祭りの旗がいっぱい立てられていました。



民家の入り口には御神燈の提灯が吊り下げられています。



小泉神社に近づくと、祭りの格好をした人が続々やってきました。どうやらもう宮入は終わったようです。行くのが遅すぎました。





そして、小泉神社に着きました。お祭りなのにあまり人気がありません。



階段を登ると、門の向こうにふとん太鼓が並んでいるのが見えました。やはり遅かったのですね。





拝殿前には立派なふとん太鼓がいっぱいです。Wikipediaを見ると、ふとん太鼓はもともと大阪河内・泉州地方で始まったようです。寛政8年(1796年)に出された「摂津名所図会 巻之四 大坂上」を見ると、難波御堂のところにふとん太鼓の絵が出ていました(ここで見ることができます)。大変賑やかな様子です。



並んだふとん太鼓の向こうに小泉神社の拝殿が見えました。



本殿の方を写したものです。小泉神社の御祭神は素戔嗚尊と誉田別命です。



ふとん太鼓は北之町、市場、本町、市場第三、西方(にしほう)の5つの町が出していました。ふとん太鼓の写真は順不同にいろいろな方向から撮ったのですが、各町ごとにまとめてみました。これは北之町のふとん太鼓で、上にふとんが5段摘まれた大型の神輿です。横にあるのは提灯です。









これは市場のふとん太鼓でやはり5段のふとんが積まれていて、横には提灯が置かれています。







次は本町の大型のふとん太鼓です。





布団の下にはりっぱな彫り物があります。





ふとんを留める帯には月と日の金具がありました。



これは市場第三のものです。ふとんは三段の小型のものです。



上には雲をかたどったものが置かれています。



神輿の中にある太鼓も撮ってみました。この中に何人か入って太鼓をたたくのでしょうね。



最後は西方のふとん太鼓で、やはり大型のものです。宮出の13時までには時間があったので、近くで食事をすることにしました。ふとん太鼓の宮出については次回に載せます。




ついでに、小泉神社に来る前に撮った植物の写真も載せておきます。これはブラジルコミカンソウ



それにタマスダレ



シュウメイギク



そして、ヒャクニチソウです。

源九郎稲荷神社と郡山八幡神社

2024-10-30 21:26:15 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第1324弾


10月15日に郡山八幡神社で御例祭という秋の大祭が開かれます。その前日の14日には宵宮祭があるというので、その下見に行こうと12日に行ってみました。ついでに源九郎稲荷神社にも行ってみました。ここは花が綺麗なので、いつも楽しみにしています。





源九郎稲荷神社手前の溝にこんな植物が生えていました。これはブラジルコミカンソウというトウダイグサ科の帰化植物です。「日本帰化植物写真図鑑」には出ていて、インド洋諸島原産ですが、南米、台湾などで帰化しているそうです。





源九郎稲荷神社の入り口にある鳥居です。



中に入ると早速花が出迎えてくれます。園芸種は苦手なので、もっぱらGoogleレンズに頼っています。これはツルバキア Tulbaghiaというアマリリス科の植物だそうです。



これはアメジストセージ







一日で花の色が変化するというスイフヨウです。その仕組みについては、日本植物生理学会の「みんなのひろば」に、「酔芙蓉の花の色」というタイトルで載っていました。午後になると、アントシアニンを作る酵素の活性が上がり、多量のアントシアニンが作られるからだとのことです。





これはミニカンナという園芸種のようです。





そしてこれはミルキーウェイというアサガオみたいです。(追記2024/10/31:名札には「ヒマラヤ」と書かれていたみたいです。ネットを見ると、ミルキーウェイの学名はIpomoea tricolor 'Milky Way'またはI. purpurea 'Milky Way'と出ていました。前者は熱帯アメリカ原産でソライロアサガオという和名で出ています。後者はいわゆるマルバアサガオで、やはり熱帯アメリカ原産です。一方、ヒマラヤという品種はネットでは見つかりませんでした。おそらく、ヒマラヤで採取されたネパール系のアサガオI. nilの一品種を指しているのだろうと思うのですが、よくは分かりません



これはヤナギバルイラソウ



そして、これは団十郎朝顔らしいです。





これはコリウス Coleusというシソ科の植物。





拝殿の方に行ってみました。チェーンソーで作った九尾の狐が奉納されているのですが、新たに竜の像が増えていました。(追記2024/10/31:今年は辰年なので、竜の像は正月から飾られていたそうです



最後にコキアが綺麗な赤色になっていました。








源九郎稲荷神社を離れ、郡山八幡神社の方に向かいました。途中にある呉服屋のショーウィンドウはいつ見ても面白いので覗いていきます。大きな金魚を猫が狙っているようです。



そして、郡山八幡神社に着きました。



中にはテントが張られ、お祭りの準備ができているようです。



拝殿前にも提灯が飾られています。





その前には古代米が植えられていました。



拝殿を正面から見たところです。







拝殿の中には、猿田彦命のかぶるお面や衣装、それに獅子舞の道具、甲冑などが展示されていました。おそらく以前はこれらを使って盛大なお祭りが行われていたのでしょう。



金魚すくいのテントには大きな金魚がぶら下がっていました。



最後はヤノネボンテンカの花です。朝の散歩のときにも見たのですが、その時はまだつぼみでした。午前中には咲いているのですね。

雑談)今日は買い物に行くついでに、市内の街路樹を調べてみようと思って幹線道路沿いを歩いてみました。結局、3 km歩いて、街路樹は4種類。たいへん効率が悪いですね。

明日香散策 飛鳥坐神社から大原神社へ

2024-10-25 21:08:45 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第1319弾


10月6日は飛鳥資料館に行った後、散策をしてみることにしました。万葉文化館駐車場から飛鳥坐神社に行き、藤原鎌足誕生地に行って、駐車場に戻るコースです。途中、植物と虫の撮影もしました。



飛鳥坐神社は小さな山の上にある神社です。拝殿で御参りした後、さらに、奥の方に行ってみました。途中、むすびの神石というのがありました。



少し進むとまた階段がありました。







この階段を登ると、また、神社がありました。ここは八十萬神社というそうです。



さらに奥に行くと、林の中に社がありました。ここが中の社だそうです。



そして、ここは奥の社。



ここは飛鳥山口神社。森の中を歩いていると、ここかしこに社があるというような感じです。



神社が山の上なので、景色はなかなかいいです。左側にこんもりとしているのが甘樫丘、その右に見える山が畝傍山だろうと思います。





神社から下りてきて、その横の道を歩きました。ここは、飛鳥寺修徳坊で、飛鳥寺の宿坊のようです。







歩いていると、ちょっと気になる植物がありました。Googleレンズで調べてみると、コブナグサのようです。



歩いていると、右側に「藤原鎌足公御母 大伴夫人之墓」と書かれた石碑がありました。







これはタンキリマメでしょう。



そして、向こう側に見えるのが藤原鎌足誕生地で、今は、大原神社になっています。





神社の中に入ってみました。拝殿の中央に通路のある割拝殿です。



その奥に本殿がありました。





ここから、万葉文化館前の駐車場に戻ることにしました。ヒガンバナにキアゲハが来ていました。



これはツマグロヒョウモン





このタバコガっぽい蛾は調べてみると、ツメクサガというタバコガ科の蛾でした。初めて見ました。「標準図鑑」によると、日本全土に分布していて、6~7、8~9月の年2回の発生で、アマ(マメ科)やマメ科植物を食草としているようです。





これはメスグロヒョウモン





それから、ツチイナゴ





そして、また、ツマグロヒョウモン。ヒヨドリバナには虫がいっぱいやってきますね。



最後、駐車場の横のトイレの壁にキマダラカメムシが数匹いました。

明日香散策 飛鳥坐神社へ

2024-10-24 21:19:01 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第1318弾


10月6日は飛鳥資料館に行った後、周辺を歩いてみることにしました。







飛鳥資料館の庭園で、イチョウの木に銀杏がいっぱいなっているのを見つけました。



明日香を散策する前に資料館の前にある飛鳥彩瑠璃(あすかさいるり)の丘 天極堂(てんぎょくどう)テラスでお昼を食べることにしました。ここは吉野本葛の老舗として知られています。



私は葛粥を注文しました。



お昼を食べた後、一旦、車で万葉文化館前の駐車場に行きました。先日行ったときに、家族が明日香民俗資料館を見なかったというので、もう一度、行ってみることにしました。資料館を出たところから明日香の景色を撮ったものです。





庭にこんな碑がありました。万葉集に載っている舎人娘子の歌だそうです。



白いヒガンバナがありました。



その近くにこんなキノコもありました。キノコは名前が分からないので、Googleレンズで調べてみると、タマゴテングタケという候補が出ました。よくは分かりませんが。





ここから近くにある飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)に行ってみることにしました。途中、飛鳥大仏のある飛鳥寺の前を通りました。





交互信号と書かれた信号があって、車が何台か止まっています。表示を見ると、青信号は20秒、赤信号は4分というとんでもない信号でした。



この信号を越えると、こんもりとした飛鳥坐神社が見えてきました。



道には「元伊勢」と書かれた道標がありました。Wikipediaを見ると、飛鳥坐神社は昔、「元伊勢」と呼ばれていたようです。





道の突当りのところに飛鳥坐神社がありました。



その脇には飛鳥井と書かれた井戸がありました。





鳥居です。飛鳥社と書かれた扁額が掛けられていました。飛鳥坐神社の主祭神は八重事代主命で、下照姫命、高照光姫命、建御名方命も祀られています。いずれも大国主命の子神のようです。





フヨウの葉にフタトガリアオイガの幼虫がいました。この蛾、以前はフタトガリコヤガと呼ばれていたのですが、「標準図鑑」が出されたときに改称されたようです。



神社に行くにはこんな階段を登らないといけません。





登ったところに力石というのが置かれていました。ちょっと重そうだったので、今回はパスです。





その先に拝殿がありました。だいぶ長くなったので、この先は次回に回します。

飛鳥資料館に行く2

2024-10-23 20:56:47 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第1317弾


10月6日明日香村にある飛鳥資料館に行きました。広い庭園があるので、まず、そこにある石像群を見てから、資料館に入りました。





入ったところは広いロビーになっていました。



その奥に第一展示室がありました。入り口には鴟尾が置いてありました。



展示室の中の様子です。





飛鳥時代の武人の像が目に入りました。こんな格好だったのですね。



これは漏刻。水時計です。水時計というと天智天皇の近江大津宮の水時計を思い浮かべますが、これは明日香村にある水落遺跡で見つかったものです。





先日、万葉文化館で見た富本銭も展示されていました。



万葉文化館は飛鳥池を埋め立てて造られたものですが、そのとき池の底から富本銭の製作工房が見つかりました。富本銭は1985年に平城京跡の九条公園の工事のときに和同開珎などと一緒に初めて見つかったのですが、その時には祭礼に用いるもので一般には流通していなかったと考えられていました。その後、藤原京跡や群馬県の藤岡市からも見つかり、そして、1999年に飛鳥池工房遺跡で製作工房が見つかったので、日本最古の流通貨幣だということになったようです。ただ、江戸時代の貨幣カタログである「古今泉貨鑑」などには富本銭が厭勝銭(まじないや玩具の貨幣)として載っているので、その当時からかなりの数が見つかっていたようです。また、偽物あるいは模造品も多く作られ、カタログには載っていました。こういう模造品と古代の貨幣をどうやって見分けたらよいのかと思って、奈文研の「飛鳥池遺跡発掘調査報告(2021)」を見てみました。組成から分かるかなと思ったのですが、飛鳥池で出土した33枚の富本銭の組成は銅とアンチモンが主成分でそのほかにもビスマス、銀、ヒ素、鉛、錫、鉄が含まれていました。さらに、アンチモンの比率が4.0~27.2%まで分布しているということです。つまり、合金としてうまく混じりあっていなかったというわけです。表面には樹枝状結晶が析出しているところもあったそうです。また、鉛の同位体の比率からも調べられていますが、日本産の方鉛鉱のものに近いということが分かっただけとのことです。つまり、組成からでは江戸時代の模造品との区別は難しいようです。





第一展示室の様子です。川原寺の復元模型も置かれていました。



次に、第二展示室にも行ってみました。入り口に二面石の複製が置かれていました。





中には大きな建造物が置かれていました。これは山田寺の東廻廊の復元模型です。山田寺は641年に蘇我倉山田石川麻呂が建造始めたのですが、649年に中大兄皇子に対する謀反の疑いで完成された金堂前で石川麻呂は自害をしてしまいます。それで、工事はストップしてしまいました。その後、天武朝になって完成されたとのことです。東廻廊は発掘により見つかったもので、世界最古の法隆寺よりも古い木造建築物となるそうです。



これは山田寺で見つかった仏頭の複製です。





これは塼仏(せんぶつ)といって、粘土を型に入れた後、取り出して焼成し、表面を金箔や金泥で装飾した仏像です。



最後は飛鳥浄御原宮付近の復元模型です。なかなか立派な展示なのですが、訪問者は少なかったです。なお、飛鳥池工房遺跡の展示は工事のため、当面、閉室になるそうです。