奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

松阪・伊勢・鳥羽旅行9 斎宮歴史博物館

2024-06-21 16:06:00 | ちょっと足を伸ばして
5月9日から11日まで松阪・伊勢・鳥羽へ旅行に行きました。最終日の11日は斎宮跡に行きました。



斎宮の10分の1模型を見た後、古代伊勢道を通って、斎宮歴史博物館に向かいました。しばらく歩くと斎宮歴史博物館の入り口に着きました。





この奥に斎宮歴史博物館がありました。



その向かい側には塚本2号墳という方墳がありました。





博物館に入ったところです。



展示室は撮影OKだったので撮ってみました。



説明によると、これは屋根に葱の花に似た飾りがあるので、葱華輦(そうかれん)と呼ばれる輿です。天皇が乗る輿には鳳輦と葱華輦があったのですが、通常はこの葱華輦が使われたそうです。斎王もこの葱華輦を使ったと考えられています。





当時の服装でしょうね。上は武官、下は童男の人形です。





これは斎王です。





狛犬がこんなところにいました。Wikipediaによると、平安時代には御簾(みす)や几帳(きちょう)の重しとして使われたということです。



斎王の食事です。



斎宮全体の模型です。かなり広いところですね。





これは斎宮跡からの発掘品です。



大河ドラマの源氏物語に関係する資料が展示されていたのですが、撮影禁止でした。唯一、この屏風だけが撮影可でした。



歴史博物館を出て、今度はいつきのみや歴史体験館に向かいました。途中で見たトチノキです。





この辺りもケリが多いですね。



しばらく歩くと、歴史体験館が見えてきました。右側の建物がそうです。





これが入り口です。ここは平安時代の生活を体験できる施設です。





中を見たところです。



ここにも葱華輦がありました。この輿に乗れるのは、天皇、皇后、斎王に限られていました。でも、ここでは誰でも乗ってみることできます。



当時の遊びです。左側は盤双六、右は貝覆いです。ボランティアの人がいたので、貝覆いのやり方を教えていただきました。



平安装束の試着もできます。但し、十二単などは予約が必要とのことでした。ボランティアの人に斎王についての説明もしていただきました。大変、よく分かりました。これで、5月の松阪・伊勢・鳥羽旅行は終わりました。

松阪・伊勢・鳥羽旅行8 斎宮跡

2024-06-21 15:01:38 | ちょっと足を伸ばして
5月9日から11日まで松阪・伊勢・鳥羽へ旅行に行きました。初日は松坂城跡と本居宣長記念館に行き、二日目は伊勢神宮内宮、倭姫宮と神宮の博物館に行きました。鳥羽のホテルに戻ってからの写真です。



ホテルの窓から見た鳥羽湾です。いっぱい浮かんでいるのはイカダです。





セグロカモメが浮かんでいました。







これはホテルのベランダに来たツバメです。どうやら巣作りの場所を狙っているようです。






翌朝は5時に起きました。朝陽がちょうど出たばかりのところでした。



太陽を拡大してみました。





朝の海はきれいですね。



見ると、トビが止まっていました。





イカダには釣り人がいっぱい乗っていました。釣りのためのイカダだったのですね。



朝の鳥羽湾です。




この日は最終日です。奈良に帰る途中で斎宮跡に寄ってみることにしました。斎宮は天照大神の御杖代として、代々の天皇ごとに伊勢に派遣されていた斎王の御所です。鳥羽駅から近鉄に乗って途中の斎宮駅で降りると着きます。降りたところにこんな看板がありました。







しかし、見渡す限りの広場です。遠くに斎宮と書かれた看板が見えます。その右側には模型の建物がありました。



そこへ近寄ってみてみました。もともと崇神天皇の皇女豊鍬入姫命が宮中に祀られていた天照大神を笠縫邑に祀ったのが斎王の始めとされ、その後、垂仁天皇の皇女倭姫命が各地を巡行して最終的に伊勢の地にたどり着きました。その後、天武天皇のときに正式に制度として確立し、南北朝時代まで続く制度になりました。その斎王の住まいだったところが斎宮だったのですが、場所が分からず「幻の宮」と言われていました。しかし、昭和45年に三重県明和町での発掘で斎宮の場所が明らかになりました。発掘跡から再現したのがこの10分の1模型だそうです。







当時の雰囲気を出そうと、ちょっと低い位置から撮ったりしたのですが、いまいちですね。



ここから斎宮歴史博物館に行ってみることにしました。途中にいたケリです。





この黄色の花はGoogleレンズで調べてみました。キソケイというモクセイ科ジャスミン属の植物のようです。







これはシャクヤクです。





途中、広い道が現れました。ここは古代伊勢道を再現したものだそうです。続きは次に回します。

松阪・伊勢・鳥羽旅行7 神宮の博物館

2024-06-11 20:45:42 | ちょっと足を伸ばして
5月9日から11日まで松阪・伊勢・鳥羽へ旅行に行きました。2日目の10日は伊勢神宮内宮に行った後、倭姫宮に行き、つづいて神宮の博物館にある神宮徴古館、神宮美術館、神宮農業館に行きました。そのときの写真です。









これが神宮徴古館です。「図解伊勢神宮」によると、神宮徴古館は明治42年に誕生した日本で最初の私立総合博物館です。建物は赤坂離宮など宮廷建築の第一人者片山東熊の設計によるものでしたが、戦災で焼失したため、昭和28年に復旧・改修したものだそうです。内部には式年遷宮のときに下げられた神宝などが飾られていましたが、残念ながら撮影禁止だったので写真はありません。







次に行ったのは神宮美術館です。ここは平成5年に建てられたまだ新しい建物です。いろいろと展示されていましたが、ここも撮影禁止で写真はありません。非常にゆったりとした造りになっていて、座って庭を眺められるような空間が随所に用意されていました。







美術館の庭園はもともと農業館付属植物園だったところで、現在は「四季のこみち」として、無料で散策できるようになっています。



美術館の横を歩いていきます。



道はこんもりと茂った林の中の小径のようです。





これはゴモジュという植物だそうです。面白い名前なので撮りました。もともと沖縄・奄美原産の植物で、以前はレンプクソウ科に入っていたのですが、現在はガマズミ科になっています。









この日はちょうどシャクヤクが満開でした。



この花はGoogleレンズで調べました。リナリア・パープレア Linaria purpureaというオオバコ科の花のようです。





これもGoogleレンズで調べました。シソ科のサルビア・ファリナセア Salvia farinaceaのようです。



これもリナリアの仲間。



そして、シャクヤクです。





最後は神宮農業館に行きました。明治24年に開館した日本最初の産業博物館だそうです。農業館では神嘗祭で天皇が奉献された種々の品を展示しているほか、神田などで収穫したものを神にお供えするのですが、その作業をする御料地の施設に関連する資料が展示されていたそうです。撮影禁止だったので、よく覚えていませんが・・・。



農業館の近くで見つけたタツナミソウです。これで2日目の見学はすべて終わり、ホテルに戻りました。

松阪・伊勢・鳥羽旅行6 倭姫宮 

2024-06-10 21:28:05 | ちょっと足を伸ばして
5月9日から11日まで松阪・伊勢・鳥羽へ旅行に行きました。2日目の10日は伊勢神宮内宮に行った後、倭姫宮(やまとひめのみや)に行きました。



内宮にお参りしてからおかげ横丁で昼食を食べ、バスで五十鈴川駅へ行きました。そこからタクシーに乗って倭姫宮に行きました。倭姫宮は神宮の文化施設である神宮徴古館、神宮美術館、神宮農業館などがある「神宮の博物館」にあります。それで、タクシーの運転手に神宮徴古館までと言ったら、立派な神宮徴古館の前に着きました。





でも、倭姫宮に行くにはちょっと行きすぎていました。それで、「神宮の博物館」の入り口まで戻りました。







小さな神社だろうと思っていたら、ずいぶん立派な神社でした。倭姫命は天照大御神をお祀りする場所を現在の伊勢の地に定めた皇女で、その功績を称えて倭姫宮が造られました。



中は森が深く、まるで伊勢神宮内宮を歩いているような気分になりました。





折角なので、途中の植物を見て歩きました。これはキジノオシダ





これはハナミョウガ。昨年、外宮でも見ました。



参道はまだまだ続きます。









変わったシダがありました。



それで、一応、ソーラス(胞子嚢)を撮っておきました。帰ってから調べると、チャセンシダ科のクルマシダのようです。



階段が見えてきました。この上に倭姫宮があるようです。





石にはこんな模様がついていました。おそらく、地衣類でしょうね。



階段を上がると倭姫宮が見えてきました。



これは手水舎(てみずしゃ)。



そして、これは祓所(はらえど)です。



これが倭姫宮です。お参りしてる人がおられたので、少し手前で待っていました。





その横には式年遷宮のための場所が用意されていました。



柱に蛾が止まっていました。スジベニコケガですね。











これが倭姫宮です。伊勢神宮内宮の正宮と一緒で大変質素な造りです。まだ、新しい感じがしますが、大正十二年に神宮でもっとも新しい別宮として創建されたそうです。もともと、第十代崇神天皇の御代に天照大御神と倭大国魂神の二神を宮中に祀っていたのですが、神の勢いを恐れて、二神共に宮の外で祀ることにしました。崇神天皇は皇女の豊鋤入姫命(とよすきいりびめのみこと)を御杖代(みつえしろ)として、天照大御神を笠縫邑(かさぬいむら)にお祀りしましたが、その後、神の鎮座される場所を求めて各地を巡ることになります。やがて、第十一代垂仁天皇の御代になり、その皇女の倭姫命が引き継ぎ、大和から伊賀、近江、美濃などを巡った末に、伊勢の地にたどり着いたという話になっています(「図解伊勢神宮」による)。





お参りをした後、別の道を歩いていたら、意外に近くに別の鳥居がありました。こちらから入ればもっと近かったのでしょうね。この後、神宮徴古館に向かったのですが、その話は次回に回します。

松阪・伊勢・鳥羽旅行5 伊勢神宮内宮~おかげ横丁

2024-06-09 21:12:25 | ちょっと足を伸ばして
5月9日から11日まで松阪・伊勢・鳥羽旅行に行きました。2日目は伊勢神宮内宮に行ったのですが、その続きです。実は、昨年もまったく同じ日程で旅行をして、まさに5月10日には伊勢神宮内宮に行きました。



この日は正宮にお参りした後、昨年は行かなかった荒祭宮(あらまつりのみや)に行きました。ここは内宮の別宮の第一に位するところで、規模も正宮に次ぐ大きさだそうです(「図解 伊勢神宮」による)。ご祭神は天照大御神の荒御魂(あらみたま)です。神様の御魂の穏やかな働きを和御魂(にぎみたま)といい、活発で顕著な神威を表す働きを荒御魂といいます。従って、ここは正宮に準じる第一別宮として各種祭も正宮とほとんど同じ規模で行われるそうです。



途中で見た木です。竹で覆いがなされています。「図解 伊勢神宮」によると、昔、お守り代わりに樹皮を剥いで身に着ける風習が流行ったときに竹が巻かれるようになったそうです。今でも樹皮の保護のためにそのまま行われているようです。







このシダはだいぶ悩みました。結局、ウラボシ科のオシャグジデンダではないかと思っています。







しばらく歩くと、荒祭宮に着きました。お参りする人で列ができていました。



ここは式年遷宮のときに使われる場所です。



みかんができていたのですが、種類までは分かりません。





これはアセビです。











参集殿の近くにトイレがあるのですが、昨年ここでニワトリを見ました。今年はどうかなと思ったら、やはりニワトリが出てきました。





奇妙な芽ができているので写真を撮りました。Googleレンズで調べると、タブノキと出ました。本当かどうか分かりません。



内宮を出て、おかげ横丁に行ってみました。ここは江戸時代に伊勢神宮のおかげ参りが流行ったときの街並みを再現しています。





この日は岡田屋さんで伊勢うどんを食べました。伊勢うどんは太くて柔らかいうどんを濃いタレで食べます。私はかやく伊勢うどんを注文しました。



五十鈴川にかかる橋です。



この辺りの家の玄関には蘇民将来のしめ飾りが飾られていました。