川嶋あい しあわせ運べるように
当時横浜に住んでいた私.
ニュースを見てあの悲惨な映像に、
おののきつつ実家に電話をしたけれど、
つながったのは、10時。
母の姉と住んでいた祖母が、
たんすの下敷きになり、
足が伸ばせない状態になったまま、
そのまま、寝たきりになり、
その1年後なくなった。
あの時、病院は大変な状態だったから。
入院する病院を探すのも大変だった。
お見舞いに行くのにも大変な遠い病院に入院して、
そしてようやく近くの施設に入れるようになったと
喜んで母が話していたことが忘れられない。
その後すぐに祖母は亡くなったから。
全てを遠くの地で聞く状態であった私。
4歳の長男と、1歳にならない次男、
そして三男がお腹の中にいる状態では、
行っても何も出来るものでもない。
遠くの地で祈るしかできなかった。
そして今も。
変化していく街を思いながら。
愛する家族、友人を思いながら。
忘れないでいること。
大切だと思うから。
世界の紛争地で苦しむ人たちが、
現地にボランティアで入った方が帰る時に、
「私たちはこれから何をすればいいのか?」と問うと、
彼らが答えた。
「忘れないでいてほしい。ただそれだけで希望があります。」
忘れられることほど悲しい苦しいことはない。
震災から16年。
時がたっても、
癒えないことがあるかもしれません。
全ての人に慰めがありますように。
大好きな街。
私のふるさと神戸。
当時横浜に住んでいた私.
ニュースを見てあの悲惨な映像に、
おののきつつ実家に電話をしたけれど、
つながったのは、10時。
母の姉と住んでいた祖母が、
たんすの下敷きになり、
足が伸ばせない状態になったまま、
そのまま、寝たきりになり、
その1年後なくなった。
あの時、病院は大変な状態だったから。
入院する病院を探すのも大変だった。
お見舞いに行くのにも大変な遠い病院に入院して、
そしてようやく近くの施設に入れるようになったと
喜んで母が話していたことが忘れられない。
その後すぐに祖母は亡くなったから。
全てを遠くの地で聞く状態であった私。
4歳の長男と、1歳にならない次男、
そして三男がお腹の中にいる状態では、
行っても何も出来るものでもない。
遠くの地で祈るしかできなかった。
そして今も。
変化していく街を思いながら。
愛する家族、友人を思いながら。
忘れないでいること。
大切だと思うから。
世界の紛争地で苦しむ人たちが、
現地にボランティアで入った方が帰る時に、
「私たちはこれから何をすればいいのか?」と問うと、
彼らが答えた。
「忘れないでいてほしい。ただそれだけで希望があります。」
忘れられることほど悲しい苦しいことはない。
震災から16年。
時がたっても、
癒えないことがあるかもしれません。
全ての人に慰めがありますように。
大好きな街。
私のふるさと神戸。