マルタ日記

感謝な出来事。聖書からのみことば。
思いのまま吹く風と共にきらきら輝くキリストの花嫁の日々

日陰の女にならなくては・・・

2001-10-31 | 日々の出来事
ウォーキングを始めたはいいけど、1週間過ぎて、顔に異変が出始めた。どうも日光による湿疹のようだ。もともとアトピーでもあるので、肌荒れには慣れているが、なんか出鼻をくじかれたよう。今の湿疹がおさまってから、紫外線予防をして日が落ちかけの時に歩くことにしましょう。
肌荒れになると、軽いうつ状態になる。何もかも嫌になっちゃう。人と会いたくないし。
家の中に奥まって、ほんまもんの奥様に当分の間なろうっと。

焼き鳥の恐怖

2001-10-28 | 日々の出来事
今日は寒くて、この秋初めて暖炉に火を入れた。この最初に火を入れるって、私にとっては、結構勇気がいることで、夫にしてもらう。というのも、暖炉を使っていない時には時々、煙突からすずめが入ってくる。少し前にも、すずめが入り込んで、暖炉の中でバサバサやっているので、開けて外に出してやったら、何と、ほかにも3羽死んでいた!それで最初に火を入れる時、焼き鳥が出来やしないかとちょっと恐怖なのだ。今日は、大丈夫でした。
暖炉の季節だなぁ。しみじみ。

ミスター・ビーン好きの長男

2001-10-25 | 日々の出来事
先日、小学5年生の長男が「これは切っておいておかないと」と言って新聞の切り抜きをしていたので、また将棋欄かと思っていたら、彼の机の上にあった切り抜きは、「ミスター・ビーン猛反発 宗教風刺ジョークも処罰?」という英国のテロ対策法案に対する彼の反論であった。ちょっと笑ってしまった。
父親がミスター・ビーンのビデオの中古品をほぼ全巻買ってきたものだから、もう世間のブームは終わってるっちゅうのに、いまだに時々見ている。変なやつだ。

きれいの基準は?

2001-10-24 | 日々の出来事
今日遊びに来たお友達は、私に比べれば、超きれい好き。毎日2時間、掃除をしているらしい。電灯のカサも毎日拭いているぐらい!(私は・・・大掃除の時ぐらいかな・・・)そのぐらいとってもきれい好きなのに、その御主人ときたら、「おまえほど、ぐうたらでちゃんと掃除ができない奴は知らん。」と怒るそうな。きれいの基準が違うのね。いつ掃除機かけたかなっていう私だって、実家に帰ると片づけ上手で通っているのに。
何にせよ、自分を基準に物事を絶対化して語ってはいけないし、相手にそれを要求して怒るのは間違いでしょう。要求することは間違ってはいない。要求に対して応えようと努力できるような愛情を相手に与えているか考えてから言って欲しい。無私の愛で応えてくれるのを要求しているのか?
・・・こんなことを書きながら、全ての言葉が自分に返って来ているような気がする。してくれることを望まず、無私の愛で愛する。あら、私もちょっと忘れてたわ。
にっこり微笑んで、お仕えしていきましょう。


初芋煮

2001-10-23 | 日々の出来事
幼稚園の園外保育で、今年初の芋煮に行ってきた。園児100人のために大人100人分の分量で作ったら、半分以上残ってしまった。それでもって、通りがかりの自衛隊の小隊に声をかけたけど、やっぱり無理だよね。実際、それどころでない!はず。でも、彼らの今日の仕事は自衛隊の敷地の草刈りだったんだけど。
最近、白い粉のいたずらが増えて困っているらしい。それで思い出したけど、アメリカにいた頃、母に「すしのこ」を送ってもらったら、しっかり税関で開けられて調べられていた。その頃はもちろん炭そ菌ではなく、コカインを疑っていたと思うけど。アメリカは、その頃からしっかり仕事をしていたんだと感心しつつも、開けたらちゃんと閉めるぐらいの配慮はして欲しかった。「すしのこ」は封を切られたまま、ダンボールの中にそのまま入れられ、一緒に送られていた物全てが、「すしのこ」まみれになってしまったのには泣いてしまった。でも、白い粉のチェックのため、舐めた検査官の顔を見たかった。
今も昔も「白い粉」は送ってはいけないのだ。海外に贈り物をしようとしている方は、お気を付け下さい。

平和について語るよりも

2001-10-22 | 日々の出来事
平和について語るよりも、平和を作り出す方がいい。遠い国の争いに意見するよりも、自分を変えていきたい。自分の中にも赦せないことがあるのではないか。自分の中の心の葛藤と、今の世界の争いは同じことだ。すべては、相手を受け入れられないことと自分の欲望を満たそうとするところから発し、憎悪が蓄積されている結果だ。
自分の中に平和を作り出していくことが、世界の平和につながる。愛と平和の伝染が今、一番必要とされている。憎しみの浄化を祈りたい。
一番大切な聖戦は、心の中の戦いであると、イスラム教の聖典にもあるのに。

こころを新たにしなさい・・・
こころを新たにしなければ
わたしたちは回心することはできないのです。
場所を変えても、仕事を変えても
それだけではわたしたちは回心できません。
ただこころを新たにするしかないのです。

でも、とうやって? 祈ることによってです。

祈りは喜び
祈りは愛
祈りは平和

「マザーテレサ 愛するために」ドン・ボスコ社より

カトリック教徒ではないけれど、マザーテレサの愛と実践に倣いたい。
秋の夜長、マザーテレサにとっぷりつかろう。

10分間ウォーキング

2001-10-21 | 日々の出来事
昨日と今日、とっても天気がよかったので近所をウォーキングした。子供も一緒に行ったのでそんなに早くは歩けなかったし、牛はいるし、どんぐり、栗は拾い放題で子供は寄り道が多かった。10分間だけのつもりが1時間ぐらい散歩してた。でもとっても楽しめた。
習慣にできればいいな。

ミャンマーの人って?

2001-10-20 | 日々の出来事
昨日から夫がミャンマーに行った。一年生の次男が「ミャンマーの人って葉っぱ着てるの?」ととぼけたことを聞いてきた。無知によるちょっとした偏見かも。
アメリカにいた時は、日本人は東南アジア系の格好をしていると思われていた。
やっぱり国際的な交流と学びが必要だな。

他人の「モンキー=猿」を負わないために

2001-10-19 | 日々の出来事
カウンセリングのクラスを一緒に受けていた友達から電話があった。「『猿』の話なんだけど・・・」と言いつつ、泣き出してしまった。関わっている人達の重荷を一緒に負い過ぎてしまったようだった。
「猿」とは、クラスの中で習った、他人の「問題」を意味する。カウンセリングをしている時に気をつけなければならないことは、他人の「猿」を負ってしまうこと。負ってしまうと、結局の所カウンセラーが、その人が負わなくてはならない問題に押しつぶされてしまうし、その人を救出すべく、その人をコントロールしてしまい、思い通りに解決しないと、自分を責めてしまい、最終的には共倒れになる。だから、猿を負わないで、援助者、ヘルパーに徹しなければならない。私自身もまた彼女の「猿」を負わないように、傾聴し励ました。
世の中には、他人の「猿」を負って生きがいを感じる人達もいる。それは「共依存」の問題だ。決してそこから自律した人格的な交わりは生まれてこない。

子供の筋肉痛

2001-10-17 | 日々の出来事
1年生の次男が朝から、首が痛いから学校を休むと言い出した。要は「寝違い」で首が回らないだけ。小さい子供は普通、筋肉痛なんてならないと思っていたけど、ずいぶん寝相が悪かったのかも。大きくなった証拠だ!と言って、首をもっとグキグキ回してあげた。
筋肉痛になる、ならないの境目っていつぐらいなんだろう。私は、最近毎日首と肩が痛いんだけど・・・。もっともっと大きくなった証拠だろうか・・・。