大人になっても親から受けたいろいろな傷が癒されていないというのをよく聞く。その傷が原因で人間関係に支障がきているともいったりする。それが癒されないというのは不幸だし、癒されてほしいと願う。
自分のことを考えてみると、両親は自分にとって絶対者ではなかった。小さい時から教会に行き、絶対者としての「神」という存在が両親よりも上にあった。中学生の時ぐらいから、親を尊敬はしているが、親を客観的に見るようになっていた。だから、何か親が自分に対して傷つけるようなことをしたとしても、本当のことを知っている神に解決を求め、親も人の子、罪人として許す存在としてあった。その事が自分にとって親と良い関係を築くのに必要なことであったのではないかと思っている。(親は私がそんな生意気なことを思っていたなんて今でも知らないが。)
絶対的存在が親である以上、子供は親に振り回される。所詮人間である親は完璧でありえず、その不完全な絶対的存在に子供は翻弄されるのである。
一番の願いは、本当の絶対的存在を知ってほしいのだが、それができなくても今、親との関係で苦しんでいる人に親はあなたにとって本当は絶対的存在ではないのだと知ってほしい。その呪縛から逃れる時に少しでも生き易さを感じるかもしれない。
三人の子供がある今は、母親として一生懸命子育てをするけれども、不完全で間違うこともある存在であることを頭に置きつつ神の最善を子供と一緒に探っていく姿勢を持ち続けていきたいと願っている。
自分のことを考えてみると、両親は自分にとって絶対者ではなかった。小さい時から教会に行き、絶対者としての「神」という存在が両親よりも上にあった。中学生の時ぐらいから、親を尊敬はしているが、親を客観的に見るようになっていた。だから、何か親が自分に対して傷つけるようなことをしたとしても、本当のことを知っている神に解決を求め、親も人の子、罪人として許す存在としてあった。その事が自分にとって親と良い関係を築くのに必要なことであったのではないかと思っている。(親は私がそんな生意気なことを思っていたなんて今でも知らないが。)
絶対的存在が親である以上、子供は親に振り回される。所詮人間である親は完璧でありえず、その不完全な絶対的存在に子供は翻弄されるのである。
一番の願いは、本当の絶対的存在を知ってほしいのだが、それができなくても今、親との関係で苦しんでいる人に親はあなたにとって本当は絶対的存在ではないのだと知ってほしい。その呪縛から逃れる時に少しでも生き易さを感じるかもしれない。
三人の子供がある今は、母親として一生懸命子育てをするけれども、不完全で間違うこともある存在であることを頭に置きつつ神の最善を子供と一緒に探っていく姿勢を持ち続けていきたいと願っている。