マルタ日記

感謝な出来事。聖書からのみことば。
思いのまま吹く風と共にきらきら輝くキリストの花嫁の日々

聞く者となる

2007-02-18 | 日々の出来事
最近、周りでいろいろな問題が次々に起こる。
その度に対応していくのだけれど、後で口が疲れている自分に気づく。
聞く者とならなければいけないのに、結構しゃべっているという事だ。
話した言葉も後から考えると、
  しゃべりすぎたかも・・・
  自慢してんじゃないの・・・
  相手をコントロールしようとしたかも・・・
  相手を本当に思ってしゃべったか?
などと反省の嵐で、しゃべった内容がリフレインしてさらに疲れる。

舌を制御するって大変。
まったく
「ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」ヤコブ3:2
とあるとおり。

まっ、完全な人でないからしょうがないよなぁ

聞く者となるように、努力努力。
本当に、自己顕示欲がでてこないように。

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良い泣き、悪い泣き

2007-02-14 | みことばの種
泣くのにも良い泣きと悪い泣きがあるんじゃないかと思う。

    「私ってかわいそう」の自己憐憫の泣き
    「私なんてどうせダメなんだ」の自己卑下の泣き
   
泣いて前向きになれない、癒されない泣き方はなんだか苦しい。
本当に涙は心を癒してくれる浄化作用、ストレス解消作用があるらしい。
http://www.ispot.jp/doctor/tears/

自分のためではなく、人のために泣くのは最上級かな。
やっぱり最後に主にゆだねることができるように泣くのがいいね。

それとは別に、泣ける映画や本は、なんか後味がすっきりして、
優しい気持ちになれるから好き。

最近、テレビや本で泣いたかなぁ・・・。
そういえば再放送されている倉本聡の「優しい時間」で泣いてるかも
漫画で椎名軽穂の「君に届け」でも泣いたな。
DVDで「リトル・ランナー」でも泣いた。
リトル・ランナーの主役の顔もだけど(かわいい?)やる事考える事も次男に似ているのでさらに泣けた。

そういえば、子育てセミナーで読み聞かせのお勧めをする時に、
お母さん向けに読む「ラブ・ユー・フォーエバー」は、
みんなに読みきかせている時にもウルウルきてしまって、声が震えて大変なもの。
泣かないで読めるように、いつも必死です。




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泣きのすすめ

2007-02-14 | みことばの種
「号泣力」を読んで、泣いて癒されることがあると思ったけれど、
果たしてそれは聖書的かと考えてみた。

調べれば調べるほど、聖書の中の方々はよく泣いている。
泣き叫び祈る。
衣を引き裂き泣いて叫ぶ。
ハンナは子どもができないと泣き、ヒゼキヤは死にたくないと泣く。

伝道者の書3:4に「泣くのに時がある」とある。
天の下での定められた時。
神の定めを初めから終わりまで人は見極める事はできないが、
永遠を思う心を与えられている。
神のなさる事は、すべて時にかなって美しいと言える人は幸いだ。
そう思えるまで泣いてみよう。

「わたしはあなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た。
主は私たちの涙に答えてくださる。」Ⅱ列王記20:5

主はハンナの涙の祈りを聞いてくださったように、
ヒゼキヤの涙の祈りを聞いてくださったように、
祈りつつ泣こう。


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「開放」 マザー・テレサの祈り

2007-02-13 | みことばの種
『 開 放 』 

        イエズスよ
      私を開放してください
      愛されたいという思いから
     評価されたいという思いから
     重んじられたいという思いから
     ほめられたいという思いから
      好まれたいという思いから
     相談されたいという思いから
     認められたいという思いから
     有名になりたいという思いから
     侮辱されることへの恐れから
     見下されることへの恐れから
     非難されることへの恐れから
     中傷されることへの恐れから
     忘れられることへの恐れから
     誤解されることへの恐れから
     からかわれることへの恐れから
      疑われることへの恐れから
            
      ────『聖なる者となりなさい』より 片柳弘史S.J.訳 

多くの恐れから開放され、
ただ、主を仰ぎ見、ただ主の愛を感謝して生きる。
どっぷりと、主の愛に浸る。
聖なる者へと変えられたいと強く思う。
自己憐憫からの開放を感じる。


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癒されるということ

2007-02-12 | みことばの種
人に傷つけられたというので、人を憎むことをやめられない人。
いえ、相手がどうであれ、勝手に理由をつけて人を憎んで憎んで憎む人もいる。
憎む事で自分を保つという。
その事が自分の心をさらに蝕むということ知りつつも、憎しみを手に握ったまま手放そうとはしない。

心が癒されることを最優先して求めるよりも、
人を励まし癒す者となる。
愛される事を最優先して求めるよりも、
人を愛するものとなる。
これが、神様の求めていること。

そして、人を励まし癒す時、自分が慰められ癒されている、
人を愛する時に、愛されていると人は知るようになる。


ルワンダ大虐殺で家族を殺されたイマキュレー・イリバギザさんの「生かされて」を読んで。
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号泣力

2007-02-12 | みことばの種
「号泣力」という本を読んだ。
別に、私のためというわけではない。
他のあの人に貸してあげようと思って読み始めた。
・・・
自己憐憫は罪です・・・の全く反対をいく本だった。
自己憐憫して号泣して心の荷物をおろしなさいというおすすめだ。

たしかに、一瞬の自己憐憫はいいでしょう。
「わたしって、かわいそう。」
「わたしって、がんばってる。」
「だれもわたしのことわかってくれない。」・・・と泣く。

泣くと、いろいろな作用が働き心が癒されるのは確かにあることだと思う。

私も一人でよく泣く。
「泣いていいんだよ」なんて自分に言い聞かせて。
泣いた後は優しい気持ちになれる。

でも、それはとっても人間的なあるいは心理学的な解決方法だなって思う。
まだまだ、霊的レベルの低い人間ですから。
祈って癒されるまで到達していないんですもの。

本当は「だれも私の事わかってくれていない」ことはない。
神様は知っていてくださるから。

そして、いつまでも同じことで自己憐憫していたら、成長はないし。

でも、前向きに立ち直ろうという気持ちは大事だもの。
だから、やっぱり号泣するか
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自己憐憫は罪

2007-02-10 | みことばの種
「自己憐憫は罪です。」というメッセージを聞いたことがある。
今、陥っている穴から出なくてはならないのに、自分でもうつ状態かとも思うほど、何事も嫌でどうでもいいやって気になっている。

それではいけないと思う心と、どうでもいいやと思う心、二つの思い。
その二つ、戦うわけでもなく、まさしく、どうでもいいやという状態。

心に言い聞かせる。

「自己憐憫は罪です」

「自己憐憫は罪です」

「自己憐憫は罪です」
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