朝まで生テレビで、日本の教育問題について討論しているのを観た。
日本の子供の学力低下がOECDの学力テストで顕著だというのだ。
学力低下だけでなく、学級崩壊、不登校、非行、いじめ、少年凶悪犯罪など、戦後民主教育の崩壊と呼べるような事態が現在あちこちで起きている。
これについて、パネリストたちが自説をそれぞれ展開した。
学力低下は中曽根内閣時代の臨教審にはじまる「ゆとり教育」に元凶があるというのが一般的意見だった。ゆとり教育の理想は、社会の歯車を作るのではなく、これからは、考えることができる人材を、個性豊かな人材を作るための政策だったとのことだ。
そのために画一的な詰め込み教育はやめて、創造的なことにもっと時間を使おう、という考えの下に、教育指導要領が改定されていった。
創造的なことを教える体制ができていなかったからか、教師の力不足か、ゆとり教育は、子供の学力を低下させてしまった。のみならず、創造的な人材は育つべくもない、とまあ、こんな感じである。
ゆとり教育に限らず、戦後の民主教育は、子供をだめにした、という考えのパネリストもいたように思う。権利ばかり教えて義務を教えなかったからだ、とか、個の確立に資するような教育ができなかったとか、公共心を欠いた子供が多い、とか、僕にとっても興味深い議論がなされたが、問題提起だけのことが多く、深められることはなかった。
自由についての私見に加えるべきテーマがまたひとつ増えた。あとは暇がほしい!!!
日本の子供の学力低下がOECDの学力テストで顕著だというのだ。
学力低下だけでなく、学級崩壊、不登校、非行、いじめ、少年凶悪犯罪など、戦後民主教育の崩壊と呼べるような事態が現在あちこちで起きている。
これについて、パネリストたちが自説をそれぞれ展開した。
学力低下は中曽根内閣時代の臨教審にはじまる「ゆとり教育」に元凶があるというのが一般的意見だった。ゆとり教育の理想は、社会の歯車を作るのではなく、これからは、考えることができる人材を、個性豊かな人材を作るための政策だったとのことだ。
そのために画一的な詰め込み教育はやめて、創造的なことにもっと時間を使おう、という考えの下に、教育指導要領が改定されていった。
創造的なことを教える体制ができていなかったからか、教師の力不足か、ゆとり教育は、子供の学力を低下させてしまった。のみならず、創造的な人材は育つべくもない、とまあ、こんな感じである。
ゆとり教育に限らず、戦後の民主教育は、子供をだめにした、という考えのパネリストもいたように思う。権利ばかり教えて義務を教えなかったからだ、とか、個の確立に資するような教育ができなかったとか、公共心を欠いた子供が多い、とか、僕にとっても興味深い議論がなされたが、問題提起だけのことが多く、深められることはなかった。
自由についての私見に加えるべきテーマがまたひとつ増えた。あとは暇がほしい!!!
最初にこの方向に向けていく、基本的なことがなんであるのかは大人の論理思考のなかで組み上げて、その後にだからこの勉強が必要だと・・・う~んでも最初の基本的なところが国の行き先でもあったりする訳かぁ・・・FLさん、ごめんなさい、もう一回整理して出直してきます。
でも一つだけ、日本人は勤勉で総合的な頭の部分で勝負できないと、終わっちまいますね、この国は。その将来を委ねる子供達のことだから、私も真剣に考えてみます。
いま、うちの奥さん、風邪でひっくり返ってるんで、これから仕事終わったらその足で、江戸まで行ってきます。
例えば、円周率を3で計算させても、3.14で計算させても、その問題を解かせるという意味合いからは変わりません。小数点以下の計算をさせたければ別に練習させればいいのですから。
また、台形の面積の公式もないですけれど、それよりは他の四角形の面積の公式や3角形の面積の公式から、発見的に求めていくことも不可能ではないので、そういった方向に導くことも重要です。
また無理に英字新聞のコラムなどと言う難解なものを読ませるよりも充実した会話表現を習得させるべきだし、国語に関して言えば、従来の文学学習から国語学・文学・情操の3つの面から日常に切り返すように指導していくことは大切だと思います。
最も問題となるのは、ゆとり教育を嫌悪しつつもその体制で教鞭をとる類の教師であり、上記の学習内容についての部分をセンセーショナルに問題視することだと思います。
あと、創造的な面を伸ばすのにも、基本的な事項の知識は不可欠なので、暗記することはついてくるのだということを忘れないことです。
教える側がこの点を意識することは不可欠な要素なのですが欠けています。また、今就学している児童生徒の保護者の意識を変革させないと、例えば学習内容を以前に戻しても、継続して学力は低下するのではないかと思います。
雑感ですみません。