Festina Lente

ゆっくり急いでまいります

山本勘助屋敷跡

2008年05月01日 | Blog徒然草






新しく伺い始めたお宅の近くに山本勘助の屋敷跡がありました。
知らなかった・・・。そうか、勘助はこんな景色を観ていたのか。

今は、公園になっています。諸行無常。
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2 コメント

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武田家 (クーマイママ)
2008-05-02 01:34:35
ものすご~~く古い話で、年がばればれなのですが(笑)、NHK大河ドラマ「天と地と」で、山本勘助という人物のことを知りました。
江守徹さんが演じておられて、とても良かったです(昔の江守さんて、今のキャラとは全然違って、素敵だったんですよ^^;;)
昨年の「風林火山」は観ておりませんが(亀ちゃんは好きです!)武田信玄、武田勝頼(どちらかというと愚かな描かれ方をするけれど、彼はそれなりに立派な武将だったと私は思うんです・・・)をテーマの映画、本、ドラマはなんとも心が騒ぎます。
大好きです。
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天と地と (FL@inaka)
2008-05-02 03:11:52
大河ドラマの「天と地と」は、観たことがないです^_^;でも、江守徹さんって、シェークスピア出来ちゃう、すごい俳優さんですよね。

甲斐の国は資源があまりなかったから人的資源を重視したのでしょう。武田信玄は人を見る目、使う術に長けていたと思います。勝頼の時代というのは、川中島の戦いの後で、信玄の優れた家臣の多くが戦死してしまっていたこと(山本勘助も既に戦死してしまい、いませんでした)、当時のハイテク兵器であるところの鉄砲の増強が困難だったこと(鉄砲の産地である、堺・国友・根来は、そのころは、織田などの支配下にあり、購入困難でした)などの理由により、武田軍は、相対的に弱体化していたのだと思います。勝頼は、信玄に比べれば人物でなかったとも言われていますが、それは結果論にすぎないと思います。きっとその時に信玄が采配を振るっていたとしても、勝頼と同じ結果になっただろうと思うのです。

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