国松警察庁長官狙撃事件の時効を受けての会見をちょっと見ました。
日本の刑事司法は終ったと思いましたよ。
刑事裁判というのは刑事司法手続きに則った、捜査、証拠収集、公訴、弁論、証拠調べ、判決、そして確定という一連の約束事を全て踏まえたうえでの厳格なものであるべきですし、歴史的にもそのように発展してきて刑事司法そのもの対する信頼を醸成してきたわけです。
被告人、被疑者には当然に判決確定まで無罪の推定が及んでいるわけで、捜査当局もその点をわきまえて捜査しなければ、近代刑事司法の根幹が瓦解してしまいます。
適法手続きの思想はとても厳格なもので、仮に実際に犯罪を犯した者に対してさえ、適法手続きを欠いた捜査をすれば無罪になってしまうのです。証拠不十分で公判が維持できないなら、彼らは無罪ですし、心の中はいざ知らず、捜査当局も公の立場としては、無罪として扱う態度を見せなければ、我々国民はいつでっち上げの冤罪を食うかわかったものではありません。
権力を持った人間が謙虚でなければ、弱い者いじめをする世の中になってしまうでしょう?実際の世の中は強い者が弱い者をいじめる最低の社会かもしれないけれども、公権力の保持者なら、建前くらいはせめて保っておかないと、中途半端な社会的権力を持ったやつらが、至るところで弱いものいじめをするのを止められないですね。お上からしてこれじゃあ、世の中よくならないわけですわ。それとも、公安は特権的な秘密警察であると自ら語るに落ちたということでしょうか?
そういうわけで、僕は日本の刑事司法警察の未来に絶望したわけです。
日本の刑事司法は終ったと思いましたよ。
刑事裁判というのは刑事司法手続きに則った、捜査、証拠収集、公訴、弁論、証拠調べ、判決、そして確定という一連の約束事を全て踏まえたうえでの厳格なものであるべきですし、歴史的にもそのように発展してきて刑事司法そのもの対する信頼を醸成してきたわけです。
被告人、被疑者には当然に判決確定まで無罪の推定が及んでいるわけで、捜査当局もその点をわきまえて捜査しなければ、近代刑事司法の根幹が瓦解してしまいます。
適法手続きの思想はとても厳格なもので、仮に実際に犯罪を犯した者に対してさえ、適法手続きを欠いた捜査をすれば無罪になってしまうのです。証拠不十分で公判が維持できないなら、彼らは無罪ですし、心の中はいざ知らず、捜査当局も公の立場としては、無罪として扱う態度を見せなければ、我々国民はいつでっち上げの冤罪を食うかわかったものではありません。
権力を持った人間が謙虚でなければ、弱い者いじめをする世の中になってしまうでしょう?実際の世の中は強い者が弱い者をいじめる最低の社会かもしれないけれども、公権力の保持者なら、建前くらいはせめて保っておかないと、中途半端な社会的権力を持ったやつらが、至るところで弱いものいじめをするのを止められないですね。お上からしてこれじゃあ、世の中よくならないわけですわ。それとも、公安は特権的な秘密警察であると自ら語るに落ちたということでしょうか?
そういうわけで、僕は日本の刑事司法警察の未来に絶望したわけです。
公安というのは、秘密警察とおなじですもんね。
公安部長が会見したということは、公安が捜査の指揮をとっていたってことですかね。
なんだか、いろんなものの価値が、グラグラしていて、ものすごく気持ち悪いですね。