昨日、「健康誌デスク、ときどきギタリスト」という名前のブログに、コメントを入れた。
この日のテーマは「ニュース断食」というものだった。その話は面白かったので、読んでみてください。
ところで、その「ニュース断食」に、何気なく書いてしまったコメントの内容について、不思議に思ったことがある。
うまく表現ができそうにもないが、今日は、あえて試みてみようと思う。
テーマは「突発性難聴」の不思議さなのだ。
私の場合、低音から中音、さらには高音まで、やられてしまった。検査の結果は、ほとんど一般にいわれる聴覚障害者のレベルまで落ち込んでいた。
治療の結果、半年後には、高音を残して他の領域は完治した。高音についても数値的には、ちょっと不自由な人という程度まで回復はしている。
現在はどうなのかというと、フルート・ソプラノ・ピアノの高音・ヴァイオリン等々の音域は、非常に悪い状況のときよりは楽になったが、耳に刺さってくる状況は残っている。ただし、この現象は、わずらった方の右耳だけに起こっている。
で、かなり治療効果が現れてからも嫌だったのは、パソコンのキーボードを打つときのカチャカチャいう音。これはながいこと耐えられなかった。
おそらく1000ヘルツから2000ヘルツの音域の音が鳴っているのだろう。
でも、なぜ、この音域がやられてしまったのに、この高さが含まれる音が鳴ると、耳障りなのだろう。
「耳の中で、音がランダムにうねる」わけだ。
直接その音の高さではなく、低音や中音に倍音として、この音域が含まれる楽器もそうだったが、楽音以外の音の中にこの音域が含まれていると、不快感たるもの我慢ができない状況が、治療効果がはっきりと出てからも続いていた。
町の騒音は1年くらい辛かった。
所狭しと物が置かれている部屋でも、耳がふさがれるような不快感に襲われた。 天井が低いところもダメ。
朝日カルチャーの教室にある大きな二台の扇風機が回るのも耳に空気振動が伝わって、逃げ出したくなる感じすらしていた。
実は、この症状は、相当長い期間、続いていたような気がしている。
それが今ではほとんどなくなっている。
しかし、ピアノの練習をするときには、右耳に耳栓を入れている。そうしないと音がうなってしまうからだ。それも完治していない高音部の音域がうなる。
パソコンの場合は、ほとんど気に障らなくなったのだが。
それでも意識して音を拾うと、耳の奥でうなるのがわかる。きっと無意識に消すコツを習得したのだろう。パソコンの場合は、聴覚は「言葉」に向かい、視覚的を優先させて外側に意識が向く状態で作文しているからだと思う。その点がピアノを弾くときとは、まったく違う感覚の働き方なのだ。
このことを書いていてわかったことだが、私のパソコンの打鍵が強すぎるのだった。ピアノの打鍵をそのままパソコンでもやってしまうらしい。感情によって打鍵の強さが変化する。文章を書きながら、次第に思いが熱してくると、さらにキーをたたく力が強くなるらしい。
したがって、昔、盛んに演奏されたヤマハのエレクトーンという名の楽器の打鍵法がいいようだ。この打鍵はピアノとは違う。むしろパソコンはエレクトーン打鍵でいい。この奏法をすれば、ずいぶんとパソコンのキーを打つ音が静かになる。他の人が打っているあのやり方なのだ。
言ってみれば私の場合には、スタッカートで演奏しているようなもの。パソコンのキーボーが打楽器になってしまった。そこで、高音部の音域が、耳に強く刺さってきていたのだった。
楽器は発音体があるだけでは楽器とは言わない。反響板があってはじめて楽器と呼ばれる。実は、このキーボードは、昭和初期の四角い卓袱台に置いてある。キーボードにはわずかだが傾斜がついているので、ちゃぶ台との間には空間ができる。楽器の構造に近いわけだ。
この卓袱台は、反響板の役割を十分に担っている。72センチ四方、トントンたたくといい音がする。80年以上の年齢である。木もよく枯れていて、響きがいいというわけ。
そろそろ今日のブログも、終わりにしたい。
不思議なのは、壊れている音域が、耳に入ってくると、なぜ、こんなにも唸ってしまうのか。よくわからない。当初は、この音域の耳鳴りに辟易していた。今でも右耳からは高音のサーッという音が、常に聞こえていている。ホワイト・ノイズとは違うがそんな感じ。しかし、意識を集中して耳を澄まさないと、普段は忘れている。
「制御を失って暴走している高音の波」は、一生、私の耳の中で鳴り続ける。
この日のテーマは「ニュース断食」というものだった。その話は面白かったので、読んでみてください。
ところで、その「ニュース断食」に、何気なく書いてしまったコメントの内容について、不思議に思ったことがある。
うまく表現ができそうにもないが、今日は、あえて試みてみようと思う。
テーマは「突発性難聴」の不思議さなのだ。
私の場合、低音から中音、さらには高音まで、やられてしまった。検査の結果は、ほとんど一般にいわれる聴覚障害者のレベルまで落ち込んでいた。
治療の結果、半年後には、高音を残して他の領域は完治した。高音についても数値的には、ちょっと不自由な人という程度まで回復はしている。
現在はどうなのかというと、フルート・ソプラノ・ピアノの高音・ヴァイオリン等々の音域は、非常に悪い状況のときよりは楽になったが、耳に刺さってくる状況は残っている。ただし、この現象は、わずらった方の右耳だけに起こっている。
で、かなり治療効果が現れてからも嫌だったのは、パソコンのキーボードを打つときのカチャカチャいう音。これはながいこと耐えられなかった。
おそらく1000ヘルツから2000ヘルツの音域の音が鳴っているのだろう。
でも、なぜ、この音域がやられてしまったのに、この高さが含まれる音が鳴ると、耳障りなのだろう。
「耳の中で、音がランダムにうねる」わけだ。
直接その音の高さではなく、低音や中音に倍音として、この音域が含まれる楽器もそうだったが、楽音以外の音の中にこの音域が含まれていると、不快感たるもの我慢ができない状況が、治療効果がはっきりと出てからも続いていた。
町の騒音は1年くらい辛かった。
所狭しと物が置かれている部屋でも、耳がふさがれるような不快感に襲われた。 天井が低いところもダメ。
朝日カルチャーの教室にある大きな二台の扇風機が回るのも耳に空気振動が伝わって、逃げ出したくなる感じすらしていた。
実は、この症状は、相当長い期間、続いていたような気がしている。
それが今ではほとんどなくなっている。
しかし、ピアノの練習をするときには、右耳に耳栓を入れている。そうしないと音がうなってしまうからだ。それも完治していない高音部の音域がうなる。
パソコンの場合は、ほとんど気に障らなくなったのだが。
それでも意識して音を拾うと、耳の奥でうなるのがわかる。きっと無意識に消すコツを習得したのだろう。パソコンの場合は、聴覚は「言葉」に向かい、視覚的を優先させて外側に意識が向く状態で作文しているからだと思う。その点がピアノを弾くときとは、まったく違う感覚の働き方なのだ。
このことを書いていてわかったことだが、私のパソコンの打鍵が強すぎるのだった。ピアノの打鍵をそのままパソコンでもやってしまうらしい。感情によって打鍵の強さが変化する。文章を書きながら、次第に思いが熱してくると、さらにキーをたたく力が強くなるらしい。
したがって、昔、盛んに演奏されたヤマハのエレクトーンという名の楽器の打鍵法がいいようだ。この打鍵はピアノとは違う。むしろパソコンはエレクトーン打鍵でいい。この奏法をすれば、ずいぶんとパソコンのキーを打つ音が静かになる。他の人が打っているあのやり方なのだ。
言ってみれば私の場合には、スタッカートで演奏しているようなもの。パソコンのキーボーが打楽器になってしまった。そこで、高音部の音域が、耳に強く刺さってきていたのだった。
楽器は発音体があるだけでは楽器とは言わない。反響板があってはじめて楽器と呼ばれる。実は、このキーボードは、昭和初期の四角い卓袱台に置いてある。キーボードにはわずかだが傾斜がついているので、ちゃぶ台との間には空間ができる。楽器の構造に近いわけだ。
この卓袱台は、反響板の役割を十分に担っている。72センチ四方、トントンたたくといい音がする。80年以上の年齢である。木もよく枯れていて、響きがいいというわけ。
そろそろ今日のブログも、終わりにしたい。
不思議なのは、壊れている音域が、耳に入ってくると、なぜ、こんなにも唸ってしまうのか。よくわからない。当初は、この音域の耳鳴りに辟易していた。今でも右耳からは高音のサーッという音が、常に聞こえていている。ホワイト・ノイズとは違うがそんな感じ。しかし、意識を集中して耳を澄まさないと、普段は忘れている。
「制御を失って暴走している高音の波」は、一生、私の耳の中で鳴り続ける。