このところ興味深い本が次々と手に入って、時間があくとページをめくる日々が続いている。
ブログ更新が出来ないまま、7月の声を聞いてしまった。
さて、2014年9月に全国大学体育連合主催の「大学体育指導者全国講習会」で、先生方に紹介した「背中の対話ー股関節周辺の柔軟性を求めて」という動きが、最近になって新しい展開をみたことを報告したい。
背中の柔軟性をもとめて二人で行う運動は、人は他者のぬくもりであたためられ、背骨を中心に背中全体からからだの中心部までほぐれ、結果として「やすらぎの動き」が気持ちよくなる、という動きである。
まず、最初に行うことは、背中合わせになって骨盤を立て、背中が触れる姿勢をとる。
この時、一人では骨盤を立てることができなくても、二人になると不思議なくらい骨盤がたってくれる。仙骨の在処が自分自身の仙骨も相手の仙骨も、共にはっきり自覚できる。
その時の姿勢は両足を揃えて伸ばしておく。その姿勢で、相手の重さを受けたり、相手に重さをゆだねたりすることを何回か繰り返す。
次に、軽く開脚しその姿勢で、重さのやり取りを行う。このとき絶対に無理をしないように。人によっては重さのやり取りをはやめにしておくことが大切。足もそれぞれの条件によって伸ばした状態ではなく、膝からかるく曲げられていてもかまわない。
しばらくやり取りを行ったら、最初の姿勢に戻って背中の状態を味わってみる。
自己主張をしていた相手の背骨や背中の硬さがとれて、あたたかさに包まれ、相手の境目がなくなって、蕩けだし、浸されて、いつまでのその姿勢を続けていたくなる。
この時、相手に寄りかかっているのではない。骨盤は立った状態が維持できて、背骨はすっきり伸ばされていて、自立しながら優しく寄り添っている実感が湧いて来る。
実はこの運動は、2014(平成26)年に、自信をもって紹介しているので、それよりも数年前から、「背中の対話」として、朝日カルチャーセンターのレッスンや大学の授業で、毎回行って好評を得ている。
ところがこの5月過ぎ、6月にあたらしい要素を組み合わせてみた。
背中の対話であたたかさを十分に得た後に、そのまま何もしないで別れることを惜しむ方が多く見られたこともあって、そっと触れ合ったまま「片鼻呼吸」をしばらく行い、その後に瞑想あるいは坐禅を試してみた。
「背中が触れ合ったままでなく、少し離れても結構です」
私の呼びかけに、誰一人として応じたがらず、背中が触れ合ったまま、静かに坐禅の姿勢をとりながら瞑想をしている。
長い時間ではなく、ごく短い時間だったが、教室内が静寂に包まれて、静謐な空気が流れていった。
頃合いをみて声かけをする。
「からだを丁寧に揺すって、お互いの揺れのリズムが合ってきたら、液体が流れ出すように右側にからだを傾け、床ににょろにょろと倒れて頭が最後になるようにゆっくり上体をおこし、正座してください」
その言葉に促されて、そのまま野口体操の「にょろ転」に入る方もおられた。
実は、この発想には伏線があった。
5月のある日、91歳の母に付き添って皮膚科に出かけた。
待合室で母が背もたれのない、80センチ四方の椅子に腰をかけてしまった。
同じ椅子が4つ固まってあった。母の椅子の後ろ側の椅子に彼女を支えるつもりで背中合わせで私も腰をかけた。
そのまま待たされていたのである。
その間、母が時々重さをかけて寄りかかってきたけれど、重くはなかった。自立してくれていた。
「こんなことがあるんだろうか」
半信半疑ながら背もたれなしで、3、40分穏やかに時がながれ、過ごしていた。
そのことがあって教室で“背中合わせの瞑想というか坐禅もどき”の発想につながったわけだ。
本日の青山学院の女子短期大学「子ども学科」二クラスのゲスト授業で、この一連の運動を試してもらった。
「にょろ転」までは出来なかったが、右にからだをたおして頭が最後になるように上体をおこしてもらうところまでつなげられた。
静寂。静謐。大人の雰囲気が十代後半の学生たちに溢れてきた。これまでにない体験だった。
繰りかえすが、あたためられた背骨に呼吸が通って、頭の中心から骨盤の中心に柔らかな管が通り、骨盤全体がすっきりと立って、座位のまま瞑想する僅かな時間で、それそれの意識のおきどころが変化していく様子が見えてきた。
自立しながら触れ合う。
背骨の柔らかな感触は、ゆったりとした呼吸を導きだしてくれる。
もちろん一人で坐る意味は深いのだろう。
それとは全く別ものとして味わってもらいたい。
背中合わせで相手のぬくもりを感じながら背骨を解放する瞑想(坐禅)は、邪道だと言われそうだが、あくまでもこれは“野口体操のほぐし”のなかの一つの在り方だといってほしい。
ただし、背中(背骨周辺)がものすごく固く、骨盤を立てることもできない方もおられる。
それはそれとして試していると、部分ではあるけれど自然に溶け出す背中もあり得る。
本当に緩められた背中は自然に真っ直ぐに、というか「美しいS字」を描いている。
ご注意申し上げます!
これをお読みになって、手順を踏まずに行うと「害あって一利なし」の結果になるかもしれません。
お気をつけくださいませ。
できれば朝日カルチャーの教室にお越し下さい。
ブログ更新が出来ないまま、7月の声を聞いてしまった。
さて、2014年9月に全国大学体育連合主催の「大学体育指導者全国講習会」で、先生方に紹介した「背中の対話ー股関節周辺の柔軟性を求めて」という動きが、最近になって新しい展開をみたことを報告したい。
背中の柔軟性をもとめて二人で行う運動は、人は他者のぬくもりであたためられ、背骨を中心に背中全体からからだの中心部までほぐれ、結果として「やすらぎの動き」が気持ちよくなる、という動きである。
まず、最初に行うことは、背中合わせになって骨盤を立て、背中が触れる姿勢をとる。
この時、一人では骨盤を立てることができなくても、二人になると不思議なくらい骨盤がたってくれる。仙骨の在処が自分自身の仙骨も相手の仙骨も、共にはっきり自覚できる。
その時の姿勢は両足を揃えて伸ばしておく。その姿勢で、相手の重さを受けたり、相手に重さをゆだねたりすることを何回か繰り返す。
次に、軽く開脚しその姿勢で、重さのやり取りを行う。このとき絶対に無理をしないように。人によっては重さのやり取りをはやめにしておくことが大切。足もそれぞれの条件によって伸ばした状態ではなく、膝からかるく曲げられていてもかまわない。
しばらくやり取りを行ったら、最初の姿勢に戻って背中の状態を味わってみる。
自己主張をしていた相手の背骨や背中の硬さがとれて、あたたかさに包まれ、相手の境目がなくなって、蕩けだし、浸されて、いつまでのその姿勢を続けていたくなる。
この時、相手に寄りかかっているのではない。骨盤は立った状態が維持できて、背骨はすっきり伸ばされていて、自立しながら優しく寄り添っている実感が湧いて来る。
実はこの運動は、2014(平成26)年に、自信をもって紹介しているので、それよりも数年前から、「背中の対話」として、朝日カルチャーセンターのレッスンや大学の授業で、毎回行って好評を得ている。
ところがこの5月過ぎ、6月にあたらしい要素を組み合わせてみた。
背中の対話であたたかさを十分に得た後に、そのまま何もしないで別れることを惜しむ方が多く見られたこともあって、そっと触れ合ったまま「片鼻呼吸」をしばらく行い、その後に瞑想あるいは坐禅を試してみた。
「背中が触れ合ったままでなく、少し離れても結構です」
私の呼びかけに、誰一人として応じたがらず、背中が触れ合ったまま、静かに坐禅の姿勢をとりながら瞑想をしている。
長い時間ではなく、ごく短い時間だったが、教室内が静寂に包まれて、静謐な空気が流れていった。
頃合いをみて声かけをする。
「からだを丁寧に揺すって、お互いの揺れのリズムが合ってきたら、液体が流れ出すように右側にからだを傾け、床ににょろにょろと倒れて頭が最後になるようにゆっくり上体をおこし、正座してください」
その言葉に促されて、そのまま野口体操の「にょろ転」に入る方もおられた。
実は、この発想には伏線があった。
5月のある日、91歳の母に付き添って皮膚科に出かけた。
待合室で母が背もたれのない、80センチ四方の椅子に腰をかけてしまった。
同じ椅子が4つ固まってあった。母の椅子の後ろ側の椅子に彼女を支えるつもりで背中合わせで私も腰をかけた。
そのまま待たされていたのである。
その間、母が時々重さをかけて寄りかかってきたけれど、重くはなかった。自立してくれていた。
「こんなことがあるんだろうか」
半信半疑ながら背もたれなしで、3、40分穏やかに時がながれ、過ごしていた。
そのことがあって教室で“背中合わせの瞑想というか坐禅もどき”の発想につながったわけだ。
本日の青山学院の女子短期大学「子ども学科」二クラスのゲスト授業で、この一連の運動を試してもらった。
「にょろ転」までは出来なかったが、右にからだをたおして頭が最後になるように上体をおこしてもらうところまでつなげられた。
静寂。静謐。大人の雰囲気が十代後半の学生たちに溢れてきた。これまでにない体験だった。
繰りかえすが、あたためられた背骨に呼吸が通って、頭の中心から骨盤の中心に柔らかな管が通り、骨盤全体がすっきりと立って、座位のまま瞑想する僅かな時間で、それそれの意識のおきどころが変化していく様子が見えてきた。
自立しながら触れ合う。
背骨の柔らかな感触は、ゆったりとした呼吸を導きだしてくれる。
もちろん一人で坐る意味は深いのだろう。
それとは全く別ものとして味わってもらいたい。
背中合わせで相手のぬくもりを感じながら背骨を解放する瞑想(坐禅)は、邪道だと言われそうだが、あくまでもこれは“野口体操のほぐし”のなかの一つの在り方だといってほしい。
ただし、背中(背骨周辺)がものすごく固く、骨盤を立てることもできない方もおられる。
それはそれとして試していると、部分ではあるけれど自然に溶け出す背中もあり得る。
本当に緩められた背中は自然に真っ直ぐに、というか「美しいS字」を描いている。
ご注意申し上げます!
これをお読みになって、手順を踏まずに行うと「害あって一利なし」の結果になるかもしれません。
お気をつけくださいませ。
できれば朝日カルチャーの教室にお越し下さい。