羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「禅と骨」

2017年09月19日 15時55分54秒 | Weblog
 東中野ポレポレで、「禅と骨」見てきた。
 日経アメリカ人禅僧ヘンリ・ミトワの生涯を、ドキュメンタリー+ドラマ+アニメで描いた作品。
 今日は、細かいことは書かずにおく。

 一言。
「いとおかし」である。
 万人むけではないが、いい作品である。

 とりわけ中盤から後半にむけて、 “いとおかし” なのである。

「野口三千三授業記録の会」の活動のなかで、いろいろあった!
 あの時は、無我夢中だった。先生と衝突した。
 口もきかないときもあった。

 そんな二人を横目に、ひたすらカメラを回し続ける佐治さんがいた。
 今日も、佐治さんがいてくれるような気がして横をみると、そこにいたのは若いカップルだった。

 とにもかくにも、ポレポレの真っ赤な椅子に、深々と体をしずめて見ていたのだが、次第に乗り出して見ている。
 ヘンリ・ミトワなのか、野口三千三なのか。

 死に顔なんかそっくりだった?
 いやいや、ちゃうちゃう!

 ……いとおかし……

   つづく
コメント (2)
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登りはじめて一合目

2017年09月19日 10時10分18秒 | Weblog
 施設始まって以来の脱ぎップリの母も、3ヶ月が過ぎるころにはおちつき、食事は箸をつかってしっかり食べているという。 

 これで一つの山を越えた、とホッとしたのも束の間、もう一つの山が目の前に現れた。
 8月のことだった。
 丁度、「野口体操の会」会報「早蕨 SAWARABI」創刊号編集がいちばん大変な時期だったが、この山も越えるために登りはじめてしまっていた。

 このご時世、いつ何時何が起こるかわからない。
 母が一人残されたときに困らないための段取りをつけておく。
 私が先に逝くことは、限りなゼロに近いかもしれない。
 が、しかし、こればっかりは、わからない。

 そこでさまざまな観点から、想像し、考えて胃が痛くなった。
 寝られない夜もある。

 実に難しい。
 そもそも自分が死ぬことのイメージがわかない。
 考えたくない。
 それでも捨て置けないことだ。

 今回は、母にとってどのような手だてをこうじておくことがよいのか、その一点で考える方向は定まった。

 先ずは、お寺さんに電話をして、分骨の相談する時間を予約したところだ。
 なんともめんどくさい家庭環境で育った父の問題を、解決しなければならないことに気づかされたからである。
 
 家の片付けは後回し。
 先ずはお墓の問題に取り組むことにしよう。

 本日は、これから『禅と骨』を見に行く約束をした。
 タイムリーな映画かもしれない。
 
 よき案がもたらされることを念じつつ……。
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