羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

記録と記憶 1

2006年03月28日 16時52分59秒 | Weblog
 1月期からはじまった火曜日・朝の野口体操講座は、今日で一区切り。
 今年になって開いた新講座で、当初の予想では、女性ばかりのメンバーをイメージしていた。
 ところが、実際に参加された男女の比率は半々だった。
 野口先生の時代は、女性優勢で男性は数えるほどしかいなかったのが、私の代になってからはともすると男性の方が多いという傾向が顕著になった。

 今回も開講して二・三回まで、男性は苦戦を強いられた。
「力が抜けない」のその一言である。
 
 授業のすすめ方としては、はじめて「テキスト」を使ってみた。
 使ったといっても、私が使っただけで、受講される方に読むことを強制したわけではない。
 
 テキストは『野口体操 自然直伝』の第一章を始から取り上げた。
 野口先生の語録をもとに自分で書いたものなのだが、すっかり忘れているとこもあり、いい勉強をさせていただいた。
 この本は、1999年に野口先生の一周忌・メモリアルとして柏樹社から出版していただいた。
 その後、しばらく絶版状態だったものを、その後書いたエッセーと論文を加えて、2004年に春秋社が再版してくださった。
 
 大学での授業は別として、他のクラスではテキストに添ってすすめることはない。はじめてのやり方で、途中、自分自身が縛られる感じがしたこともあった。しかし、はじめての方が対象の場では、こうした在り方も悪くないという印象を持った。
 予習・復習をしてくださる方がいらして、一ヶ月過ぎるころには変化が見られ、三ヶ月を迎えるころには、動きのイメージがかなりはっきりとされてきたようだった。

 ある年齢になっていままでやったこともない新しい動きを覚えるには、その動きの理論、もっといえば野口体操の価値観を理解されることが、必須条件とまでは行かなくとも、かなりの部分を占めていることは確かだ。
 言葉が喚起するもの・こと・うごきがある。
 からだ・うごき・ことばのトライアングルを行きつ戻りつ・行ったり来たりすることで、いつの間にか「動きが身につく」ということが起こるようだ。

 何事もやってみなければわからない。
 行動しながら感じとったことを源とする以外に、人間の理解は無理らしい。
 こうした野口体操を伝えることは難しいのだが、最近では遣り甲斐を感じている。
 
 人生、先の予想はたたないと、前のブログにも書いたかもしれないが、私自身、生きる道が「野口体操」に通じてくれるとは、30年前にまったく予測してはいなかった。
 今年の1月・火曜日に、はじめて出会った方々と、野口三千三先生のビデオを最後に見ながら、「野口三千三授業記録」を残しておいてほんとうによかったと実感した。
 野口体操には、書籍あり、ムービーあり、写真あり、なにより先生に直に接した方々のお一人おひとりにの記憶に生きる先生が、まだ存在している。
 たぶん、その記憶はまだまだ風化してはいないと思う。
 
 これからは、あらたな記録を残してみたいものだと、つくづく思っている。
 明日は、野口三千三先生の祥月命日である。
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