羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「臂」という文字

2019年02月14日 16時30分27秒 | Weblog

大谷武一著『新教育體操』を読んでいると、「臂」の文字が頻繁に使われている。

和語だと「ひじ」と読む。では、「臂」と「肘」はどのような違いがあるのか?

一応「臂」を「ひじ」と捉えると、書かれている体操の動きがわからない。

一方で、「腕」という文字は、全く出てこない。

気づいたことは、どうやら「臂」は、「ひじ」を中心に、うでを上げていくこととして読むと、動きがわかってくる。

「腕」「臂」「肘」、これらの漢字の字源を調べていくと、面白いことがわかってきた。

「かいな(かひな)」という大和言葉は、最近では使われなくなったが、そのことによって失われた「うで」の感覚があることに気づかされた。

ちなみに、相撲界では「かひなが強い」という言葉が残っているそうだ。

「かひな」とは、肩から肘までの間のことで、解剖学的な言葉ではない。

解剖学では、腕を曲げる時に働く筋肉は「上腕二頭筋」で「屈筋」、伸ばす時に働く筋肉は「上腕三頭筋」で「伸筋」である、としている。

野口三千三は『原初生命体としての人間』の中で、「腕立て伏臥の腕屈伸」の話の中で、「屈筋」と「伸筋」を例に、解剖学に惑わされないように書くことで、「重さ」と「時間」の問題を論じている。

横道にそれてしまったが、「うで」の使い方として、「臂」と「肘」を分けて感覚することで、動きの質が変わることを実感した。

いや、いや、実感はしていたが、そのことを言語化できるようになった、というのが正確な言い方かもしれない。

2月16日(土)、17日(日)の朝日カルチャーのレッスンでは、この言葉と漢字をテーマに、動きを吟味していただきたい。

昭和12年に出版された本に出てくる漢字は、ある意味で非常に正確な使われ方だったことがわかった。

文字が失われ使われなくなる、言葉が失われ使われなくなる、そのことの意味を今一度考えてみたくなった。

今更、「腕」と「臂」と「肘」を分けて使うことに戻すことはできないが、野口体操としては、身体感覚で違いを探ってみたいと思っている。

詳しいことは、教室で!

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「辰濃文庫」朝日新聞記事に... | トップ | 「高円寺演芸まつり」と高齢... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事