大谷武一著『新教育體操』を読んでいると、「臂」の文字が頻繁に使われている。
和語だと「ひじ」と読む。では、「臂」と「肘」はどのような違いがあるのか?
一応「臂」を「ひじ」と捉えると、書かれている体操の動きがわからない。
一方で、「腕」という文字は、全く出てこない。
気づいたことは、どうやら「臂」は、「ひじ」を中心に、うでを上げていくこととして読むと、動きがわかってくる。
「腕」「臂」「肘」、これらの漢字の字源を調べていくと、面白いことがわかってきた。
「かいな(かひな)」という大和言葉は、最近では使われなくなったが、そのことによって失われた「うで」の感覚があることに気づかされた。
ちなみに、相撲界では「かひなが強い」という言葉が残っているそうだ。
「かひな」とは、肩から肘までの間のことで、解剖学的な言葉ではない。
解剖学では、腕を曲げる時に働く筋肉は「上腕二頭筋」で「屈筋」、伸ばす時に働く筋肉は「上腕三頭筋」で「伸筋」である、としている。
野口三千三は『原初生命体としての人間』の中で、「腕立て伏臥の腕屈伸」の話の中で、「屈筋」と「伸筋」を例に、解剖学に惑わされないように書くことで、「重さ」と「時間」の問題を論じている。
横道にそれてしまったが、「うで」の使い方として、「臂」と「肘」を分けて感覚することで、動きの質が変わることを実感した。
いや、いや、実感はしていたが、そのことを言語化できるようになった、というのが正確な言い方かもしれない。
2月16日(土)、17日(日)の朝日カルチャーのレッスンでは、この言葉と漢字をテーマに、動きを吟味していただきたい。
昭和12年に出版された本に出てくる漢字は、ある意味で非常に正確な使われ方だったことがわかった。
文字が失われ使われなくなる、言葉が失われ使われなくなる、そのことの意味を今一度考えてみたくなった。
今更、「腕」と「臂」と「肘」を分けて使うことに戻すことはできないが、野口体操としては、身体感覚で違いを探ってみたいと思っている。
詳しいことは、教室で!
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