羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ため息

2006年03月27日 08時57分36秒 | Weblog
 昨日のこと。
 分厚く立派な冊子が届いた。
 茶色に黒文字で『研究集録』40・2005年
 編集:日本教育大学協会養護教諭部門 
    全国国立大学附属学校連盟養護教諭部会

 表紙に記されている。

 手に取ったときには、なぜ、送られてきたのかわからなかった。
 パラパラとめくるうちに、野口体操を指導している自分の姿と受講しておられる先生方の写真と報告が載っていた。すっかり忘れていたが、昨年8月にお引き受けしたワークショップを受けられた山梨大学人間科学附属幼稚園 宮崎節子先生の記録だった。読んでみると、とてもよくまとめられている。
 
 この冊子は、創立40周年記念の式典と研究会がお茶の水大学で行われた研究発表報告書だった。
 そもそも私がここに出かけていったのは、三月で定年退官されたお茶の水女子大学の片岡康子先生に依頼されて、お引き受けしたことだった。
 添付されている名簿を見ると、日本全国から養護教諭の先生方がお集まりになったことがわかる。そして参加のお名前は全員女性名だった。
 なるほど、そういうことだったのかと、今になって納得している。

 文部科学省の技官の方、国立大学の教授・附属養護小学校・中学校・高校の先生方が、一同に集まって行われた協議会と総会だったことが、しっかり記録されている。
 日本の養護教育行政の全貌とまではいかなくても、門外漢にもおぼろげにも見えてくるものがある。
 
 あの日は、ものすごく大変な現場をお持ちの先生方と過した2時間だったが、とても明るく素直な反応を返してくださった。皆さん、野口体操を体験されて、力を抜くことの気持ちよさを味わっておられた。
 実際の現場で活かすのは、大変なことだけれど、少なくとも先生の感覚が変わることの大切さについて、終わった後に話しかけてくださった。

 ところで、「記録」は「記憶」を甦らせる呼び水だということを、冊子に目を通しながら感じていた。

「控え室になっていたお茶の水大学附属高校の校長室は、重厚な趣の部屋だったなぁ」
 この「研究集録」は、その部屋の内部の色合いや匂いまでも喚起させてくれる。
 一期一会のワークショップで、お目にかかった先生方の顔までもが浮かんでくる。
 もちろん、写真や文字では表しきれないし、言い尽くすことはできないけれど、記憶を掘り起こす手立てとしての働きは十分にあるのだと、冊子をしみじみと手にとって眺めている。
 
 そのことから考えさせられることがある。
 手元にある野口三千三先生の記録を、どのようにまとめ、残していくのがいいのだろう。
 
 珍しく腕組みしながら、ため息をついている月曜の朝だ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  | トップ | 記録と記憶 1 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事