ドキュメンタリー「29歳の同窓会」を見た。
東京・品川にある女子高校が「卒業の10年後」に開く同窓会。カメラは彼女たちの高校時代から29歳の今までを追っている。
「地下アイドルになりたいと言った子」
「必ず社長になると宣言していた子」
「高校を卒業する時、笑顔が全く無く不登校になっていた子」
彼女たちの今。
「必ず、東大に行くと言っていた子」
彼女、実は隠された事情があった。
彼女の父親は東大を目指していたが、東大には入れず、早稲田大学へ。
その事が父親の「大きなコンプレックス」になった。
そこから、「自分の娘を東大に必ず行かせるという押し付け」が始まったのだ。
父親は娘に、「今日は参考書の◯◯ページから◯◯ページまで勉強しなさい。それまでは寝てはいけない」と連日、東大に合格する為の勉強を強制した。
娘は父親の「コンプレックス」を晴らす為に懸命に勉強したが、東大には合格出来ず、慶應大学へ。
20歳の時、父親と離れて、彼女は一人暮らしを始める。
「人生で自分は一体何がやりたいのか?」
を模索する日々が始まった。
舞台役者、勉強が嫌いな受験生の為の教材作り、ラジオのパーソナリティ、等々・・・
彼女には最近、彼氏が出来た。
ただ「自分の家族」を持つのには不安がある。
「自分のコンプレックス」を子どもに押しつけるのではないか、正直今は怖い。
この彼女が生きた10年間を見て、僕は思った。僕の人生と共通する部分が多い。
小学4年生の時、母が一冊の算数の参考書を持って来て、
「今日から、中学受験の為にこれで勉強するのよ」と一方的に言った日。
あの日から、自分の意思で選んだのでは無い「中学受験への道」がスタートしたのである。
そして、小5・小6と二年間通わされた中学受験の為のハードな学習塾。心底、死にたいと思っていた。
僕の意思は全く通らず、友だちと遊ぶ事も出来なかった。
母には「親から愛情をちゃんと受けて来ていないコンプレックス」があったのだろう。
それゆえ、生まれて来た「自分の子供」に、「彼女なりの有り余る程の愛情」を降り注いだのかも知れない。一方的に。
「子供の人格」の否定。
「子供の意思」を無視。
今、僕は自分が持っている「コンプレックス」を3人の子供たちに押し付けなくて良かったと思っている。
子供には「子供の人生」がある。
生きて行く「方向性」を探して、自分で考えられる選択肢の中から決めるのは子供自身。それが「自己責任」というものだ。
もちろん、迷った時には親や友人に相談すれば良い。
自分で決めた事に関しては、「反省」はするが、「後悔」はしない。
各々の人生、それは素晴らしいもの。地球上、同じ人間はいない。
みんな個性的な、そして魅力的な「人格」を持っているのだ。
それゆえ、親の「コンプレックス」を子供に強制してはならない。
最近つくづくそう思う。人間は「操り人形」じゃ無いのだから。
もう、「コンプレックス」の連鎖だけは止めて欲しい。
お腹がグルグル鳴っていた。漏れそうだった。大学の最寄り駅で降りて、駅前のパチンコ店のトイレを借りた。借りっぱなしでは悪いと思い、500円で生まれて初めてパチンコをした。
「ウィンウィン」と音がして、パチンコ台が赤く点滅し出した。フィーバーだった。一万円の儲け。その後、パチンコ店に行く度、10回連続フィーバーした。9月の出来事だった。
前月8月、友人と海水浴へ。麻雀をして、二日間で三回「役満(なかなか出ない高得点の上がり)」を上がった。なんか不吉な予感がしていた。
8月〜9月とびっくりするほどツイテいて、10月1日を迎えた。僕は大手旅行代理店に内定をもらっていたので上京。10月3日まで、他の会社に逃げられない様に、箱根の療養所に拘束され、三日間宴会をして帰阪。
数日後、一本の電話がかかって来た。「内定取り消し」の連絡だった。
健康診断の結果、「高血圧」「不整脈」「肝機能異常」が見つかり、激務をこなさなければいけない「添乗員」の職務が行えないという理由。
その時、「人間の持つ運の量」は一定で決まっていると思った。僕は麻雀とパチンコで運を使い果たしたと。
「就職浪人」する事になった。
わざと「ゼミの単位」を落としてもらった「ゼミ」以外、週6休みの生活。僕は鬱状態になり、ほとんど布団から外に出なくなっていた。
そんなある日、知人の紹介で新しいバイトをする事になった。家から電車で片道一時間半かかる西宮の工場。
戦争中、戦闘機を作っていた大手企業の敷地内にある下請け会社。山田さんという社長が一人でやっている「山田工業」だ。
小型ダンプカーの荷台を斜めに上げる油圧機の製造。一回の工程で12個の油圧機を作る。一日に作れて48個。
基本となるステンレス製の型に開いた穴にグリース(粘着質の油)を塗り、そこへゴムパッキンをはめていく。そして、所定の位置にネジを差し込む。それを電動のネジ回しで一つずつ締めていくのだ。単調な仕事だった。
「電動ネジ回し」を使っていると、その振動で手の感覚が無くなってくる。それゆえ、昼ごはんを摂りに社員食堂に行った時、たくさんの従業員が並ぶ中、僕はご飯がいっぱい入った器を床に落とし、お米をぶち撒けてしまった。今、思い返しても、顔から火が出るほど恥ずかしい瞬間だった。
当時、35歳位だった山田さんは「この仕事以外に選ぶ仕事が無かった」と言っていた。
ギャンブル・酒・女などに溺れて、仕事を辞めていった同僚をたくさん見てきたそうだ。
彼には6ヶ月になる娘さんがいた。とにかく娘さんの事が愛おしい。すごく愛していた。彼女の話になると顔全体で少し恥ずかしそうに笑う。いい笑顔だ。
20歳になった娘の振袖姿を見たいと言う。
山田さんのストレス解消は給料日が来て、お金が入ったら、毎月自宅近く、西宮のスナックで飲み明かす事。そして、スナックの女の子を全員連れてタクシーで三宮のラウンジでどんちゃん騒ぎする事。
しかしお酒の飲み過ぎで山田さんは胃潰瘍を患い、このままお酒を飲み続けると「余命半年」と主治医に言われていた。
あれから数十年が経ち、娘さんも40歳を過ぎた事だろう。山田さんは御存命なのだろうか。その事が僕の頭の中から消える事は無い。
久しぶりに西宮の工場の前を通り過ぎたら、広大な工場そのものが無くなっていた。更地だった。
山田工業でアルバイトしていた翌年、僕はテレビ局に就職した。こちらの健康診断でも「肝機能異常」で引っかかったが、人事の担当の人が「制作部」に案内してくれ、言った。
「みんな顔黄色いやろ。酒飲み過ぎて、肝臓悪いねん」
僕は山田さんの事に想いを馳せた。孫が出来て、いいおじいちゃんになっているのか、それとも・・・
気にするな (新潮新書)弘兼 憲史新潮社このアイテムの詳細を見る |
夜行観覧車湊 かなえ双葉社このアイテムの詳細を見る |
とにかく休養。弘兼憲史の「気にするな」と湊かなえの「夜行観覧車」を読みつつ、ブログ更新とメールチェック以外、土日は寝ていた。
「刑事コロンボ・策謀の結末」をNHKハイビジョンで観た。小池朝雄の吹き替えバージョンが発見され、今日、放送されたのだ。犯人役の声は銭形警部やチャールトン・ヘストンを吹き替えしている納谷悟朗。脚本がよくできている。観ていないエピソードで堪能した。
<t>
刑事コロンボ完全版 DVD-SET 4 【ユニバーサルTVシリーズ スペシャル・プライス】ジェネオン・ユニバーサルこのアイテムの詳細を見る |
チャップリン メモリアル・エディション BOX1 [DVD]紀伊國屋書店このアイテムの詳細を見る |
三省堂書店本店で、ハリウッドスターの直筆のサインを売っていた。いちばん高かったのが、チャップリンの69万円。キャメロン・ディアスが7万円台だった。映画大好き人間の僕は過去と現在のハリウッドスターのサインに囲まれ、至福の一刻だった。
イン・ハー・シューズ [DVD]20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパンこのアイテムの詳細を見る |
私の中のあなた [DVD]Happinet(SB)(D)このアイテムの詳細を見る |