お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

大阪の看板はおもろい。

2006年12月31日 | エッセイ・日記・意見
「なんでもかんでも350円」という看板好きやねぇ。店内のテーブルとか七味入れなども350円なのだろうか。そんな訳ないか・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京では昼食1000円。大阪の素うどんは・・・160円。

2006年12月31日 | 料理・飲み物・食べ物
何と、東京の食べ物屋の料金が高い事か。大阪の160円の素うどんは、なおかつ美味しいぞー!!!!!

なんか、安心して、食事できる感じが良い。最高。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラーメンも日本一。

2006年12月31日 | 料理・飲み物・食べ物
派手に「日本一のラーメン」を堂々と宣伝していた。大阪人は強い。

なんば高島屋前の「南街会館」が「TOHOシネコン」と「丸井」の巨大なビルに変わった。大阪もしばらく見ないうちに次々と変化し続けている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ここは元「なんば花月」があった場所。商売してまんなぁ~

2006年12月31日 | 笑い
紅白を見ていても、大阪・関西出身のアーティストが多い。大塚愛、aiko、倖田 來未、絢香、コブクロなどなど。

いろんな才能・知恵を絞って、商売にする・・・歌を作って歌う。そんな素地が大阪にはあるのではないだろうか。ふと、そんなことを考えた。矢井田瞳もそうだし。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実家の近所のお寺の「お言葉」。

2006年12月31日 | エッセイ・日記・意見
大晦日にいつものお寺に書いてあった「お言葉」。なるほどと思いつつ、同窓会へ向かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女性の肌にはこれでしょう。妻へのバースデープレゼント。

2006年12月31日 | 家族
National イオンスチーマー ナノケア プラチナ(クールパター付) 緑 EH2493-G

National

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
細胞(角質細胞)から、肌年齢を変える。世界初※1“プラチナ美肌スチーマー”

※1 平成18年8月24日発表。家庭用フェイシャル美容器において、プラチナをスチームに配合させる機能。

●プラチナを含んだナノサイズのスチームが、角質層の奥に浸透

プラチナスチームが角質層の奥に浸透。ハリと弾力のある肌へ
新エイジケア成分「プラチナナノ微粒子」を含んだナノサイズのプラチナスチームが、角質層にとどまり、肌細胞のはたらきを高め、目もと・口もとからデコルテ(胸もと)まで、肌にぷっくりとしたハリと弾力を与える


今日は恒例の「大晦日・大学同窓会」だった。梅田のヨドバシカメラに寄り、妻が欲しいと言っていた「肌を綺麗に元気にする美容機器」を購入。ヨドバシカメラでも人気No.1と表示されていた。同窓会は卒業以来、人数に変化はあっても、20年以上続いている。それぞれが「思ってもみなかったそれぞれの人生」を生きている。なんばの「がんこ寿司」で鍋をつつきながら、話は弾んだ。今年結婚した同級生が急遽来られなくなったのが残念だった。食事後、水掛け不動尊にお参りし、改築された「夫婦善哉」でぜんざいを食べて散会。神戸から参加の同級生もいて、片道二時間、頭が下がる思いである。
午後九時に帰宅。当然、「紅白歌合戦」をやっている。昨日の「レコ大」も「紅白」もそろそろ店じまいしてもいいのではないだろうか。TBSとNHKに勇気のある人が居ればだが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モバイル・パソコン用にワイヤレスマウスを購入。

2006年12月31日 | インターネット
BLMU-W24N/MDB 無線レーザーマウス(ディープブルー)

バッファロー

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp 商品紹介
ケーブル不要。読取り精度に優れたレーザー式、レシーバが本体に収納できる使い勝手抜群の無線レーザーマウス
無線接続でケーブル不要、読取り精度に優れたレーザーセンサーを搭載した無線レーザーマウス。マウス内部にレシーバ収納可能、電池残量表示、専用キャリングケース付属等モバイルユーザにもうれしい機能が満載。 可視光線クラス1相当の安全設計で安全性も確保。マウス操作のストレスを解消する高性能マウス。

無線通信に2.4GHz帯を採用
最大10m先(木の机)で使える良好な電波の飛びで、従来の無線マウス(27MHz帯)にありがちなマウス動作のストレスがない。

本体にレシーバ収納機構
マウス内部にレシーバが収納できる機構を採用。ケースを開ければ簡単にレシーバの取り出しができ、持ち運びに便利。さらにレシーバを収納することで電源がOFFされ、電池のムダな消費も防止できる。

1mの延長ケーブルの添付により無線使用がスムーズ
レシーバの位置により左右されがちな、無線マウスの操作性を安定させるため、1mの延長ケーブルを添付。デスクトップPCで背面にしかUSBポートがない方、机の足元にPCを置いている方にも、快適な無線マウスの操作性を提供する。

読取り精度に優れたレーザーマウス
センサーに非可視光のレーザー光線を使用。従来の光学式マウスでは読み取りにくい光沢のある机等でもスムーズな操作が可能。可視光線クラス1(JIS C6802Cに基づいたCLASS1)に相当する非可視光レーザーを使用し、確かな安全性を確保している。

電池残量表示付き
レシーバに電池残量表示用LEDを装備。電池残量が25%未満になったら、LEDが赤く点灯、電池の交換時期を知らせる。

持ち運びに安心・便利な「専用キャリングケース」付
専用キャリングケース付なので持ち運びも安心・便利。移動中もマウスに傷をつけることなく気軽に持ち運びできる。

商品紹介
無線通信に周波数2.4GHz帯を採用し電波到達距離で最大10mを実現。従来の無線マウス(27MHz帯通信)と比べ、電波の途切れによるマウスポインターのフリーズや飛びが少なく、安定したマウス操作が可能。マウス本体のセンサーには、高精度な読み取りを可能にする非可視光レーザーを採用。


ワイヤレスは楽チンだと思いつつ、画面上の矢印がちゃんと動くのか心配だったが、店員さんの薦めで、「パッファロー製のレーザー方式のワイヤレスマウス」が良いとの事で買い、使っているがめちゃめちゃ快適。収納も優れもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾旅行で前のデジカメが壊れたので、新しいものを買いました。

2006年12月31日 | 写真・カメラ
Panasonic デジタルカメラ LUMIX FX07 グロスゴールド DMC-FX07-N

松下電器産業

このアイテムの詳細を見る

メーカーより
FX07は持ち歩きやすいスタイリッシュなボディにワイド端28mmのズームレンズを搭載。より広い範囲を撮れる広角28mmは、狭い室内や後ろに下がれない場所、大勢を1枚に収めたいシーンなどで大活躍。また、遠近感を強調する効果もあり、風景や建物などをダイナミックに写し撮ります。通常の36mmにない空間の広がりを表現でき、今まで撮れなかった光景も気軽に収められます。
35mmフィルムカメラでは、焦点距離分の1秒のシャッタースピード(焦点距離35mmの場合、1/35秒)が手持ち撮影の限界とされています。1/30秒以下の低速シャッターとなる薄暗い光の下では、広角36mmでも手ブレになってしまいます。そんな状況でも、わずかな手ブレも抑えてシャープな画像を実現するのが、光学式手ブレ補正ジャイロ(MEGA O.I.S.)。
オートフォーカスでピントを合わせる測距点を、画面上の9カ所に増設。ピントを合わせたいものが中央になくても、正確にピントをキャッチ。フォーカスロックなどの手間が省け、スピーディに撮影できます。さらに、画面の一部にだけピントを合わせるスポットAFや、高速3点、高速1点など6モードのオートフォーカスを採用。状況に合わせて最適のモードを選択することにより、こだわりの撮影も思いのままです。

商品紹介
■光学式手ブレ補正 ■インテリジェントISO感度コントロール(I.ISO)■後ろに引けない場所でも広く撮れる、広角28mm■高画質と省電力を両立、ヴィーナスエンジンIII■●EX光学ズーム(EZ)最大5.5倍※4(300万画素以下時) ■大きく見やすい、2.5型高精細パワー液晶 ■明るくワイドに撮れる、高感度16:9動画 ■大容量カードも使用できる、SDHC対応■シーンモード全18モード(ビーチ/空撮を追加)■一覧で確認できるフラッシュ設定■2種類の撮影ガイドライン表示 ■旅行に便利なワールドタイム ■見るときも楽しめるスライドショーパターン(4種類)


台湾旅行の最中、ポケットに入れておいたデジカメがタクシーのドアを閉めた時、液晶が割れ、修理センターに訊くと修理代が12000円もかかるとの事。ビックカメラのポイントが溜まっていたので、同じ「LUMIX」の新しいバージョンを買った。操作方法に大差無いので、とても使いやすい。デジカメが無いとブログに載せる写真も撮れないので急遽購入。財政ピンチに陥っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾珍道中・その72

2006年12月31日 | 旅・外国
台湾の若者たちに大人気のスポット。「病院バー」。ビールは写真の様に、「ビールとトマトジュースをミックスした飲み物」を点滴で飲ませてくれます。店員は看護師か医者。少しエロイショーがあって、僕たちもちょっと興奮。お酒の名前が全部「病名」になっているのも、細かい工夫で面白い。

日本だと衛生法でこういう店の営業はできないと思う。明るく楽しいバーだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾珍道中・その71

2006年12月31日 | 旅・外国
自販機の飲み物、日本円で約36円です。という事は物価が四分の一強でしょうか。手書きで注意書きが書いてあるのも、人間的で好き。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕らは「ポンポン菓子」と呼んでいたが・・・

2006年12月31日 | 料理・飲み物・食べ物
ポン菓子(ぽんかし、ぽんがし)、ドン菓子(どんかし、どんがし)とは、コメなどの穀物に圧力をかけた後に一気に開放することによってふくらませて作った駄菓子の一種。ポンポン菓子・パンパン菓子とも、単にポンまたはドンと呼ばれることもある。専門用語では膨化食品(ぼうかしょくひん)と称されており、特に膨化米(ぼうかまい)は地方によって、ばくだん、こめはぜ、パン豆、パフ、パットライス(Puffed rice)、ポップライスなど様々な名前で呼ばれている。

製法
回転式筒状の圧力窯に生の米などを入れ蓋をして密閉し、釜ごと火であぶる。釜の中が十分加圧(10気圧程度)されたら、ハンマーでバルブを叩いて蓋を外し、一気に減圧する。この時原料内部の水分が急激に膨張し、激しい爆裂音とともに米などが釜からはじけ出る。この音から「ポン菓子」または「ドン菓子」と呼ばれるようになった。この膨化と称される作業で、米は元の10倍程度の体積にふくらみ、サクサクした食感の菓子になる。通常はこれに粉砂糖などをまぶして食べる。あらかじめ米に食紅をつけておくことにより、赤いポン菓子を作ることもできる。形状は原料をそのまま大きくした形で、味や食感はシリアル食品に近似している。

厚みのある丸い鉄の型に生米を入れ、型に蓋をして火であぶり数秒加圧し、蓋をはずして減圧することで煎餅状に膨らませる「ポン煎餅」というものもある。

歴史
大正時代から昭和中期頃までは、定番の菓子として子供に人気があった。子供が集まる広場などにポン菓子製造用の器具を持ってきて、目の前で作ってみせるということがよく行なわれていた。特に、リヤカーに取付られた小型の窯を自転車などで牽引し、子供が持参した米をポン菓子に加工して歩く商売人の姿が、かつてはよく見られた。現在では特別なイベントなどでたまに行なわれる程度であり、ポン菓子の製造を見ることは珍しいものになった。

中国では、地方の自由市場などで、今でも製造している様子をみることができる。

商品
ポン菓子自体はスーパーマーケットやコンビニエンスストアなどで現在でも袋入りで販売されている。粒が分離した状態のものと、粒に水飴などをからめておこし状に固めたものなどがある。

また米のポン菓子にチョコレートをまぶしたものは「ライスチョコ」、大麦のポン菓子にチョコレートをまぶしたものは「麦チョコ」と呼ばれ、やはりスーパーなどで多く販売されている。

ポン菓子を橙色などのセロファンでつくった円錐形の袋に入れて販売されている駄菓子は、その形状から「にんじん」と呼ばれる。

愛媛県東予地方では引出物の定番である。米穀店の店頭に「パン豆加工賜ります」の看板が存在する。香川県西讃地方のおいり(おいり豆)も東予地方で引出物になることがあり、混同されがちだが別種の菓子である。

原料
ポン菓子に用いられる原料

コメ
オオムギ
ソバ
トウモロコシ
大豆
空豆
銀杏
マカロニ


マカロニなんか入れたかなぁ?「ポンポン菓子」のおっちゃんが来たら、母にお米と砂糖を貰い、「ポンポン菓子」を作って貰いに行っていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日、「久米宏」の番組を見ていたら、「揚げパン」が出てきて懐かしかった。

2006年12月31日 | 料理・飲み物・食べ物
揚げパンは油で揚げたパン。強力粉の生地を揚げたものと、焼かれたパンを揚げたものとがある。

生地を揚げるタイプでは、チューブのようなものから油の中へ搾り出すものが各国にあり、この製法では棒状になる。中国の油条や、スペインや中南米のチュロスなどがこれにあたる。また、成形したパン生地を揚げるものとしてはカレーパンやロシアのピロシキなどがあげられる。ドーナツも広義では揚げパンの一種といえるだろう。

焼いたパンを揚げたものは、子供に人気の給食メニューである(であった?)。コッペパンを油で揚げたものに砂糖をまぶしつけてあり、シナモンなどで香りをつけたものや黄粉を塗したものもあった。栄養的にはカロリーだけの食品であり、戦後、なんとか児童らの栄養状態を安価に引き上げようと模索したあとが伺える。ある年代にとってはミルメークなどと並んで懐かしいメニューである。

また、小さな賽の目に切ったパンを揚げたものをクルトンといい、スープの浮き実にする。


僕らが小学生の昭和40年代の給食にはご飯が出た事が無かった。いつもパンとマーガリン。時々、「揚げパン」が出て、「カレーシチュー」と共に人気メニューだった。まだ学研の「科学」と「学習」を校内で販売していて、親に無理言って、両方購読していた。付録も楽しみ。長男と次男には、今、「科学」を買っている。二人とも、「科学」が来るのが待ち遠しい様だ。

今日の「久米宏の番組」(TBS)は面白かった。「昭和」という時代の良さを検証する二時間だった。気付いたら、レコ大からずっとTBSを見ていた。森光子さんがちょっとお疲れ気味なのが心配だったが。鶴瓶さんが久米さんの喋りのエネルギーを圧倒していたのが面白かった。これで松嶋尚美がいたらね訳の分からん番組になっていた事だろう。そっちバージョンも見たかったが。TBSらしい真面目な番組。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うちの次男といとこの男の子が異常にハマッテいるアニメ「結界師」。

2006年12月31日 | テレビ番組
結界師指南之書―少年サンデー公式ガイド

小学館

このアイテムの詳細を見る

出版社/著者からの内容紹介
「2006年10月テレビアニメ放送開始の「結界師」原作コミックスをより楽しむためのガイドブック。単行本未収録作品32ページを特別収録。結界師ならではの巻頭付録2点収録。

結界師 15 (15)

小学館

このアイテムの詳細を見る


次男はアニメ好きで、「NARUTO」「デジモン」「メジャー」「かいけつゾロリ」も欠かさず、HDDに録画させられている。「結界師」は「ガンダム」「犬夜叉」を作った「サンライズ」が作っているので、大人でも見られるハイクォリティーなアニメだ。http://www.ytv.co.jp//kekkaishi/index_set.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年はどんな年だったのだろうか、僕にとって。

2006年12月31日 | エッセイ・日記・意見
2006年はどんな年だったのだろうか、僕にとって。あと23時間足らずで、今年も終わる。初めて新番組の立ち上げスタッフに加わった年。(もちろん、ドラマのプロデュースをしていた頃は除いて)

血液検査の数字がすべて正常値に入った年。(毎年、肝機能だけはオーバーしていた)ダイエットをして「体脂肪」を減らした事、ウコンとサントリーのセサミンを飲み続けた事が良かったんだと思う。

ゴルフを止めた年でもある。255というとんでもないスコアでコースデビューして、ベストが135。やはり、まめに練習に行く人がスコアを伸ばす事を実感。あとは「ゴルフ」は「精神力」の闘いであると気付いた瞬間に自分には向いていないと分かった事。「いらち」にはゴルフは合わない。

映画を劇場によく観に行った年でもあった。『名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌』『ディジー』『デス・ノート』『フラガール』『手紙』『父親たちの星条旗』『007/カジノ・ロワイヤル』『硫黄島からの手紙』等が印象的。
デイジー

アミューズソフトエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
画家の卵ヘヨン(チョン・ジヒョン)には幻の恋人がいた。山間の村で絵を描いていた夏から、匿名でデイジーの花を届けてくれる人だ。ある日肖像画の客として現れたジョンウ(イ・ソンジェ)こそがその人と確信し、恋に落ちるヘヨン。しかし本当の贈り主は、刑事であるジョンウが追う孤高の暗殺者パクウィ(チョン・ウソン)だった。はかなく交差する3人の運命…。
『僕の彼女を紹介します』のチョン・ジヒョン、『私の頭の中の消しゴム』のチョン・ウソンがオランダを舞台に魅せる、美しくもせつないラブサスペンス。監督は『インファナル・アフェア』のアンドリュー・ラウ、脚本は『猟奇的な彼女』のクァク・ジェヨン、音楽は『LOVERS』の梅林茂。(仲村英一郎)

メーカー/レーベルより
「僕の彼女を紹介します」「猟奇的な彼女」のチョン・ジヒョンと、「私の頭の中の消しゴム」のチョン・ウソン
の二人が主演。「インファナル・アフェア」のアンディ・ラウ監督、「猟奇的な彼女」のクァク・ジェヨンが脚本と、
アジアを代表するキャストスタッフが結集して作り上げた究極のラブストーリー。

特典映像はアムステルダムでの貴重なメイキング映像ほか、来日中のチョン・ジヒョン、チョン・ウソン映像
などを収録。 特にチョン・ウソンは全国縦断で行ったプロモーションに密着した映像。

映像特典
1.メイキング
2.チョン・ジヒョン、チョン・ウソン、イ・ソンジェ オフィシャルインタビュー
3.韓国プロモーション
4.来日記者会見
5.日本縦断JAPANプレミア
6.予告編集
名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌【初回生産限定盤】

ビーヴィジョン

このアイテムの詳細を見る

メーカー/レーベルより
映画10周年記念超大作はオールスター登場!!
人気探偵たちの華麗な共演が大きな話題になった劇場版がついにDVD化!!
http://www.conan-movie.jp/index.html


本は・・・ドキドキする様な小説にはあまり出会わなかった。
「世界バレー」「アジア選手権」で、「柳本ジャパン」を堪能した。大山加奈が好きなのだが、小山修加と木村沙織の魅力に惹かれた。アスリートは「ケガをしないのも能力のうち」だと僕は思う。竹下佳江、高橋みゆき、杉山祥子がいい例。

疲れが取り難く、老眼っぽくなってきたのも今年。コンタクトをすると良く見えるのだが、近くの新聞や本が読みづらい。困ったもんだ。

そうそう、gooブログで68万ブログ中、一日だけ10位に入ったのにはびっくりした。1000位以内は順位が出るのだが、最近はほぼ毎日、順位が出ている。たくさんの人に読んでもらっているのは嬉しい事。

来年も覗きに来てネ!!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第48回「輝け!日本レコード大賞」を見て・・・

2006年12月31日 | 歌・CD
見終わって・・・うちの実家では「沈黙」が流れた。それ以上は言うまい。個人的感想になるから。


インターネット辞典Wikipediaから引用してみよう。

日本レコード大賞(にほんレコードたいしょう)は、1959年(昭和34年)に始まった、日本で最も有名な音楽に関する賞である。通称はレコ大(レコたい)。

また、民放では数少ないテレビ・ラジオの同時放送番組でもある。

放送番組名は「輝く!日本レコード大賞」。

賞の概要
主催は社団法人日本作曲家協会と日本レコード大賞制定委員会、後援はTBSである。
かつてほどではないが、日本における商業音楽の音楽賞としては最高の権威がある。
賞の種類として、グランプリである大賞の他、最優秀新人賞、最優秀歌唱賞、ベストアルバム賞など、様々な各賞がある。
発表会は2004年から東京都渋谷区本町の新国立劇場・中劇場で開かれている。
その模様はテレビ(TBS系地上波全国28局ネット)とラジオ(JRN全国17局ネット)で生中継されている(2000年から2005年まではTBS系BSデジタル放送のBS-iでも放送されていた)。

歴史

草創期
当初は本選と発表会とに番組が分かれていた。第10回まで開催日は固定されておらず、主に年末の昼間にモノクロ放送で放送された。会場も神田共立講堂など小規模の会場で行われており、賞自体の知名度もきわめて低かった。水原弘は第1回のレコード大賞を受賞した際に「レコード大賞って何だ?」と言ったという。美空ひばりが出演しても客席がガラガラだったこともあったという。
第11回(1969年)では、出場歌手の日程調整をつけ易くするため、大晦日の『紅白歌合戦』(NHK)が始まる前の午後7時から9時までの2時間で本選を開催・放送するようになった。また会場も帝国劇場に移され、元NHKアナウンサーで人気司会者であった高橋圭三を司会進行役に起用した。また、カラーでの放送も開始された。

黄金期
1970年代から80年代にかけて、テレビ歌番組の隆盛と共に番組の最盛期を迎えた。テレビ中継の最高視聴率は第19回(1977年)の50.7%で、「紅白」と並ぶ、大晦日の「国民的行事」となり、放送時間も次第に拡大し、午後6時台のスタートとなった。
第27回(1985年)には会場が日本武道館となり、授賞式の華やかさは最高潮を迎えた。

衰退期
1989年から、「紅白」がそれまでの午後9時スタートから午後7時20分に大幅に開始時刻を早めたことで、バッティングが生じることも多くなり、出演者の移動がままならなくなる。そのため、「紅白」にも出場する歌手が慌しく移動する様子を生中継するのが風物詩の一つとなった(2005年まではこのスタイルが続いていた)。
アイドル歌手が連続して大賞を受賞したことなどから、その打開策として第32回(1990年)から大賞を「ポップス・ロック部門」と「歌謡曲・演歌部門」に分割したが、共に効果がなかったため、第35回(1993年)から再統一した。
第36回(1994年)から第45回(2003年)までは、会場を東京・赤坂のTBS放送センター(ビッグハット)に移した。
第46回(2004年)以降は渋谷のNHK放送センターから比較的近い距離にある新国立劇場に変更されたが、これは『NHK紅白歌合戦』と掛け持ちするアーティスト・演歌歌手の移動に配慮したことが理由である。
平成に入ると、音楽に対する考えの変化から、賞取りレースに左右されない音楽活動をしたいことなどを理由に、受賞そのものを辞退する一部有力J-POPアーティストが増えるようになり、権威は大きく低下した。また、一部の大手レコード会社や有力事務所などによる寡占状態が高まったのもこの頃からである。
大賞のMr.Childrenが授賞式に出席しないという異例の事態となった第36回以降、授賞式に出席しないアーティストを受賞させない傾向が高まった。テレビ放送での生中継をメインにしている関係上、ミュージック・ビデオばかりを流す訳にもいかないという、TBS側の意向が強く反映していると言われる。また、受賞アーティストがエイベックスばかりに偏るようになり、辞退するアーティストはさらに増加した。
第40回(1998年)以降、テレビ放送の視聴率は低落を続け、第47回(2005年)には過去最低の10.0%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)を記録した。

現在
第48回(2006年)は、放送日を大晦日から12月30日に移動することが決定された。これは下記の理由による。
長く続いた視聴率低迷を打破すること
例年、「紅白」出場歌手や大晦日にライブを行うアーティストの出演辞退が相次ぐこと
TBS局内でレコード大賞より視聴率の高い格闘技番組『Dynamite!』の放送拡大を望む声が多いこと
第48回では、氷川きよしが『一剣』で受賞した。演歌歌手としては第35回(1993年)の香西かおり以来13年ぶりの受賞となる。

司会者
司会者は、高橋圭三(故人)が長く務めていた(1969年~1983年)。最近では1996年から堺正章が務めている。アシスタントには、その年に最も輝いているタレントや女優、キャスター、その当時のTBSの最も人気のあるアナウンサーなどが選ばれている(詳細は後述)。また、最近は番組の途中で司会者全員衣装を変えるのが恒例となっている。
TBSラジオでは、別に中継実況アナウンサーがいる。1998年までは松宮一彦が、1999年からは小島一慶が務めている。

問題点
現在のレコード大賞は15人の審査委員の審査により賞が決定される。そのため、審査基準は明確ではなく、大賞受賞曲はその年のCD売上1位の曲とは大きく異なる場合が多い。この審査基準の長所としては、売り上げだけでなく、楽曲の内容、詞の奥深さなどを加味し、総合的にその年の最優秀楽曲を決定できるという点にある。しかし、特定の審査委員と特定の芸能事務所・レコード会社との癒着疑惑、世間が支持する「その年を代表する曲」との乖離など多くの問題点がある。そのため、「出来レース」と非難されることが多い。
賞の対象は楽曲であるにも関わらず、テレビ中継の演出が年々過剰になって来たため、楽曲よりも歌手のみが注目される傾向にある。
近年は、音楽そのものに対する考えの変化から、賞取りレースに左右されない音楽活動をするアーティストが増えたことにより、出演やノミネートそのものを辞退するアーティストが増えている。なお、歌手が出演を辞退した場合、または歌手がその年に死去した場合その楽曲は大賞受賞曲とはならない。
1990年代後半以降になると、低迷に追い討ちをかけるように、大物アーティストの大晦日から元旦にかけてのカウントダウンライブや各種格闘技イベントなどが隆盛し、賞の注目度そのものが低下している。
とりわけ浜崎あゆみの受賞以降は、総合的な音楽業界への貢献度(全体のセールス)やTBSでのタイアップの高さなどが評価された「歌手」に授与される傾向となっており、楽曲に授与するというレコード大賞の本来の目的から外れている状況である。国民的に支持される楽曲が生まれにくい現状もこういう事態に招いていると考えられている。
「レコード」大賞というタイトル自体が時代遅れとする指摘もある。
時代の主力音盤の媒体が変わる毎に名前を変えると、これまでの伝統が失われるという理由で、今後もこのタイトルで行われる(「レコード」のもう一つの意味合いとして「記録」にもかけているとされる)。

癒着疑惑・事件・騒動など
第6回(1964年)
この年は、村田英雄の『王将』が同名の映画の主題歌として大ヒットし、翌年にかけて150万枚を越える大ヒットを記録したが、大賞受賞曲は、売り上げでは『王将』に遥かに及ばない青山和子の『愛と死をみつめて』であった。これは、主題歌となった映画『愛と死をみつめて』の主演・吉永小百合がレコード大賞創設に大きく貢献した作曲家・吉田正の弟子であったためと言われている。

第8回(1966年)
この年は、加山雄三の『君といつまでも』が自身が主演した映画の挿入歌として300万枚を越える大ヒットを記録し、その中の歌詞「幸せだなあ」が流行語になるほどの大ヒットを記録した。当時のマスコミもこの年の大賞は「加山で決まり」と評していた。しかし、売り上げも少なくヒット曲とは言えない橋幸夫の『霧氷』が受賞した。橋も吉田正の弟子である。

第21回(1979年)・第24回(1982年)
1979年はジュディ・オングの『魅せられて』、1982年は細川たかしの『北酒場』が初の受賞だった。しかし1979年の日本歌謡大賞の大賞を受賞して有力だった西城秀樹の『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』、1982年の日本歌謡大賞の大賞を受賞して有力だった岩崎宏美の『聖母たちのララバイ』(日本テレビ『火曜サスペンス劇場』テーマ曲)は外国人の作曲であることを理由にノミネートを見送られた。西城は『勇気があれば』という別の楽曲でのノミネートになり、事実上大賞レースから外れた。岩崎はこの年ノミネートさえされない異常事態になり、このことは様々な論議を呼んだ。余談ではあるが、西城、岩崎、共に当時の所属事務所は『芸映』であった。

第27回(1985年)~第28回(1986年)
中森明菜が第27回『ミ・アモーレ』、第28回『DESIRE』で2年連続の大賞を受賞、史上初の女性歌手の2年連続大賞を受賞。なお、1986年のオリコン年間シングルチャートの第1位になり大ヒットした石井明美の『CHA-CHA-CHA』に新人賞が授与された。同時に、外国人の作曲ということから大賞選考外となったため特別賞(外国音楽賞)という賞が設けられて授与された。1979年と1982の反省からか外国人の作曲に門戸が開かれた。また、この楽曲は、TBSで放送された大ヒットドラマ「男女7人夏物語」の主題歌だった。

第29回(1987年)~第30回(1988年)
第29回は近藤真彦が『愚か者』で念願の大賞を受賞した。しかし、授賞式直前に近藤の母親の遺骨が盗難され、「レコード大賞を辞退しろ」などと書かれた脅迫状がレコード会社に送りつけられるという事件が起こった。第30回も光GENJIが『パラダイス銀河』で大賞を受賞し、男性アイドルが多く在籍するジャニーズ事務所系は2年連続の受賞となった。しかしながら、男性アイドルの大賞受賞は第30回(1988年)を最後に現在まで生まれていない。

第31回(1989年)
同年の『日本歌謡大賞』の大賞を受賞し、2曲がオリコンの年間1位と2位を占めて最有力だったプリンセス・プリンセス、工藤静香、長渕剛などの辞退で、賞の形骸化が顕著となった。その中で同年死去した美空ひばりの『川の流れのように』、前年からの2連覇を狙った光GENJIの『太陽がいっぱい』、年間ベスト10に3曲を送り込むなど一大ブームとなったWinkの『淋しい熱帯魚』が3つ巴になり混戦した。一時は美空ひばり有力とも噂されたが、故人が受賞した前例がないことなどから、結果的にセールスの実績を重視されたWinkが大賞を受賞した。第27回(1985年)の中森明菜以降、5年連続でのアイドル歌手の大賞受賞であり、演歌界や演歌ファンの不満が増大することとなった。そのため、翌1990年の第32回から演歌界の枠として「歌謡曲・演歌部門」が創設されることとなった。

第33回(1991年)~第34回(1992年)
演歌界の指定枠「歌謡曲・演歌部門」によって、長らく無冠の帝王であった北島三郎が悲願の大賞を受賞した。また翌1992年の第34回も「大物」大月みやこが受賞した。レコード大賞から離れてしまった演歌ファンの心を引き戻すために創設された「歌謡曲・演歌部門」ではあったが、大物が簡単に賞を獲得できる弊害を早々に露呈してしまい、視聴者に明確な存在意義を示せないまま、創設後3年で廃止されることとなった。

第35回(1993年)
前年まで続いた「ポップス・ロック部門」と「歌謡曲・演歌部門」を再統一し、その年の最優秀楽曲1曲に大賞を贈るスタイルに戻した。この年は、ヒット曲が近年稀に見る豊作の年で、CHAGE&ASKAの『YAH-YAH-YAH』やTHE 虎舞竜の『ロード』などの名曲が多く世に出た。しかし、大賞受賞曲はオリコン年間101位だった香西かおりの『無言坂』だった。この曲に関しては、その年の司会者であった宮本亜門が受賞するまでこの曲を知らなかったというエピソードもある。だが、玉置浩二作曲・久世光彦作詩による楽曲の良さや話題性、また香西かおりの全盛期であったこともあり、純粋に楽曲が評価されての受賞であるとみることもできる。

第36回(1994年)
この年は、審査・授賞式共に空転したが、Mr.Childrenの代表曲『innocent world』(年間シングル売り上げ1位)が受賞した。表面上は問題がないように思えるこの曲の受賞は、「審査委員が審査をストライキする」という異常事態によるものであった。これは前年の「香西受賞」で危機感を抱いたある大手芸能事務所がある歌手を受賞させるよう審査委員に圧力をかけ続けたため、これに嫌気が差した審査委員がこぞってMr.Childrenに投票したのである。さらにMr.ChildrenがPV撮影を理由に授賞式を欠席した。『innocent world』の生演奏は行われず、TBSの音楽番組『COUNT DOWN TV』の収録で同バンドが演奏した際の映像を流すのみという形となった。Mr.Childrenは「自分たちの楽曲が正当に評価された訳ではない」と受賞後も不信感を抱くこととなる。その後、審査制度・ノミネート方法は大きく変貌を遂げた。

第37回(1995年)~第45回(2003年)
レコード会社のエイベックス所属アーティストが1999年の第41回と2000年の第42回を除いて大賞を受賞する状況になったため、「エイベックスの出来レース」という声も出たことから、選考過程が不透明だという批判も一部にあった。しかし、当時ブームだった小室ファミリー(エイベックス系列)の積極的な参加でレコ大が息を吹き返したことは事実である。

第38回(1996年)から第39回(1997年)は安室奈美恵が中森明菜以来となる女性歌手による2年連続大賞受賞。
第40回(1998年)のglobeの受賞は、売上枚数を見る限り最有力と見られたL'Arc~en~CielやGLAY、SPEED(当時、レコード会社はトイズファクトリー・現在はエイベックス)を抑えての受賞だっただけに波紋を呼んだ。この年から楽曲に授与という本来の目的より、歌手に授与という傾向が強くなった。
第43回(2001年)から第45回(2003年)までは、浜崎あゆみが史上初の3連覇を達成する一方で、浜崎以外の有力歌手が軒並み辞退するという事態に陥った。特に第45回はSMAPの『世界に一つだけの花』が記録的な売り上げを残して大賞確実と囁かれていた。しかし、レコード大賞審査会でのノミネート直前に受賞を辞退した。「ナンバーワンよりオンリーワン。どの歌が優れているということはない」とのコメントはあったが、とりわけ平成に入ってから軒並み賞レースを辞退しているジャニーズ事務所の方針に従ったとの見方が強い。
第46回(2004年)
浜崎3連覇やエイベックスの寡占状態への批判が高まっていた中、8月に発生したエイベックスのお家騒動に責任を感じていたという浜崎がノミネートを事前に辞退した。なお、浜崎の辞退に関しては主催者側が辞退したという話を全く聞いておらず、ノミネート曲があったものの落選したとしたため、双方の「ノミネート」の認識に食い違いが起きるという異例の事態となった。また、年間1位のヒットシングルであり、TBSも制作に関わっていた映画『世界の中心で、愛をさけぶ』の主題歌平井堅の『瞳をとじて』が最有力と見られたが辞退した。結局、シングル2曲が年間2位と5位に入り、売り上げ的に平井と遜色がなかったMr.Childrenの『Sign』(オリコン年間2位)に10年ぶりの大賞を授与した。出演の背景には、この曲がこの年TBSが放送した連続ドラマ『オレンジデイズ』の主題歌だったこと、10年前の「内紛」をMr.Children側に謝罪したこと、TBSが桜井が所属する非営利組織「ap bank」を支持すること、さらに桜井が要求していた「受賞は今回限り」という条件を受け入れる約束をしたことなどが挙げられる。

第47回(2005年)
『ベストヒット歌謡祭』演歌歌謡曲部門グランプリと『日本有線大賞』の2冠に輝いて有力候補と目されていた演歌歌手・氷川きよしの『初恋列車』(オリコン年間40位)を抑えて、TBSの昼ドラマ『愛の劇場・コスメの魔法2』の主題歌だった倖田來未の『Butterfly』(オリコン年間売上85位)が受賞した。なお、この曲の売り上げ枚数は少なかったものの、アルバムの高セールスや年間を通しての音楽業界への貢献度が高かったこと、TBSでのタイアップが評価されたことなどが大賞受賞理由と思われる。しかし、最優秀新人賞をAAAが受賞し、倖田の大賞受賞を含めると、エイベックスの寡占状態をこの年も食い止めることはできなかった。さらに、授賞式直前に審査委員長の阿子島たけしが謎の死を遂げる事件が起こったため、賞の透明性が改めて問われることになった。これが視聴率史上最低となる一因になったと言われている。

第48回(2006年)
長年大賞候補と目されていた氷川きよしの「一剣」が受賞し、演歌歌手としては「無言坂」受賞した香西かおりの第35回以来13年ぶりの快挙を達成した。なお、氷川の「一剣」はオリコン年間シングルチャートの76位に入り、金賞を受賞した10曲の中では3番目に高かった。また、氷川の「一剣」を上回った2曲は、75位に入った大塚愛の「恋愛写真」と26位だった倖田來未の「夢のうた」で、両方ともエイベックスから発売された楽曲。この状態からすれば、本来は大塚の「恋愛写真」か倖田の「夢のうた」が受賞していてもおかしくなかったと思われるが、今回氷川の「一剣」が受賞した背景には、視聴率低迷の原因となっていた、視聴者・業界双方からの「エイベックスの出来レース」に対する批判を回避したいという審査委員会の決意があったものと思われる。


阿子島たけし事件
2005年12月13日、同年の大賞審査委員長で音楽評論家の阿子島たけしの自宅が全焼(神奈川県警は失火が原因とした)し、16日玄関先で遺体が発見された。「業界関係者との金銭授受があった」「阿子島は委員長を辞めろ」などという阿子島への怪文書が出回っていたことで、大賞の審査過程と事件の関連性が注目された。
審査委員長が死亡したため、三木たかし実行委員長を審査委員長代行として審査が行われ、TBS以外のJNN系列基幹4局(MBS・CBC・HBC・RKB)の代表が審査委員として加わった。
授賞式の放送の最後に追悼のメッセージが放映された。また、音声はモノラルに切り替えた。
現在の審査委員長は作詞家の湯川れい子。

各賞の種類と定義
各賞の詳細は日本作曲家協会のサイトを参照のこと。

「日本レコード大賞」
対象年度に発売されたすべての邦楽シングルCDの中で、
「作曲、編曲、作詩を通じて、芸術性、独創性、企画性が顕著な作品」
「優れた歌唱によって活かされた作品」
「大衆の強い支持を得た上、その年度を強く反映・代表したと認められた作品」
以上3点に該当する1作品に贈る。
審査対象は、「金賞」に選ばれた作品とする。
「最優秀歌唱賞」
対象年度内の作品を最も的確に表現し、さらに高めた歌手に贈る。
審査対象は、「金賞」に選ばれた作品の歌手とする。
「金賞」
大衆の強い支持を得て、作品としても芸術性・独創性に優れ、その年度を反映したと認められた作品に贈る。
「最優秀新人賞」
「新人賞」の中から最も優秀と認められた歌手に贈る。
「新人賞」
対象年度内においてデビュー(初めて芸能活動として歌う)し、大衆に支持され、将来性を認められた歌手に贈る。
「ベストアルバム賞」
対象年度に発売されたすべての邦楽アルバムCDの中で、最も芸術性・独創性に優れ、その年度を強く反映・代表したと認められた作品に贈る。
「吉田正賞」
作曲家・吉田正(故人)の偉大な業績を記念し、伝統的な日本の歌を充実させ、前進させた作曲家に贈る。
「美空ひばりメモリアル選奨」
歌手・美空ひばり(故人)が戦後日本の社会、歌謡史に残した偉大な業績を称え、それを記念するにふさわしい豊かな魅力と力量を持った歌手に贈る。
「作曲賞」「編曲賞」「作詩賞」
特に作曲・編曲・作詩の分野で独創的であると認められた作品・作者に贈る。
「企画賞」
独創的な企画意図をもって製作され、それによって成果を上げ、大衆音楽に大きな貢献をした作品(ミュージックビデオを含む)に贈る。
「功労賞」
長年にわたり、レコードやCDを中心とする音楽活動を展開し、日本音楽界に大きな貢献をした者に贈る。
「特別賞」
対象年度において、社会的に最も世の中を賑わせ、注目された人、楽曲、作品、現象などに贈る。
その他にも年によって特別な賞が設けられる場合がある。
「特別功労賞」
長年にわたり、音楽活動・評論活動を展開し、音楽界に大きな貢献をした故人に贈る。
「大衆賞」
大衆との間にユニークな接点を生み出し、独自の活躍で、その作品を世の中に浸透させた人に贈る。2005年よりスタートしたもので、以前の大衆賞とは位置付けが異なる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする