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ふたりの男を殺して逃亡する榎津巌(緒形拳)は投身自殺を偽装して警察の目を欺き、以後も次々と殺人を繰り返していく。やがて彼は浜松に住むハル(小川真由美)の情夫となるが…。
直木賞を受賞した佐木隆三のノンフィクション小説を原作に、名匠・今村昌平監督が映画化した、その名に偽りなしの問題作。現在進行形のドラマに主人公の過去の経歴が挿入され、稀代の殺人鬼と謳われた彼の深層心理が次第にあらわとなっていく。その重大な要素をしめる父親(三國連太郎)との確執は、すさまじい表現力で画に定着されている。また、男ふたりを取り巻く女たちの描写も、さらなる人間の原罪と救済を描くことに大いに貢献。キネマ旬報ベストテン第1位など、その年の映画賞を総なめ。海外でも評価の高い傑作である。(的田也寸志)
(Amazon.の紹介より)
今村昌平監督が亡くなった。僕が最初に観た「今村作品」は「復讐するは我にあり」だった。映画館の画面から凄いパワーを感じた。倍賞美津子を緒形拳が台所で犯すシーンは壮絶そのもの、人間の欲望の塊がぶつかり合っている様な感じ。そして、最後に「遺骨を投げるシーン」で「遺骨」がストップモーションになったところで、映画は終わった。未だに心に残るラストシーンである。
その後、「楢山節孝」「ええじゃないか」と観て、少しがっかりし、過去の「豚と軍艦」「赤い殺意」などには度肝を抜かれた。確か、川島雄三監督の助監督だったと記憶している。中学・高校・大学時代はよく映画を観た。同時代を生きてきた映画監督が亡くなると哀しい。平成生まれの人達の多くは、今村昌平監督を亡くなったニュースで知った人も多いだろう。今、その作品の多くはDVDで観られるので、是非観て欲しい。
(以下、Wikipediaより)
今村 昌平(いまむら しょうへい、1926年9月15日 - 2006年5月30日)は、映画監督。東京都出身。父親は開業医。筑波大学附属高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。長男である天願大介も映画監督。人間の欲望をユーモラスに描いた作品に定評があった。映画通の間の愛称はイマヘイ。50年余の映画監督人生の中で、監督した作品は20作品。
大学を卒業した1951年、松竹大船撮影所に入社。1954年に日活に移籍する。『豚と軍艦』、『にっぽん昆虫記』、『赤い殺意』などで監督として世間に認められるも、一時は企画がまったく受け入れてもらえず、胃潰瘍を患いながら明日の米にも困るどん底の赤貧生活を経験している。
佐木隆三の『復讐するは我にあり』の映画化権を多くのライバルから奪い、見事に復活を遂げたが、翌年の『ええじゃないか』(1981年)の大失敗で「天下の今平も終わったな」と観客を失望させた。起死回生の『楢山節考』(1983年)を発表。本作と『うなぎ』(1997年)で、日本人では初めてカンヌ国際映画祭で2度グランプリ(現・パルム・ドール)を受賞している。同じ功績ではアメリカのフランシス・フォード・コッポラ監督など5名がいる。なお『楢山節考』を出品した時は、「カンヌ(映画祭)出品のために作った作品ではない」とカンヌ映画祭を欠席。『うなぎ』の時は出席はしたものの受賞作を発表する前に帰国した。
名作・川島雄三監督『幕末太陽伝』や浦山桐郎監督の『キューポラのある街』の脚本家でもある。学生時代からの友人であるフランキー堺や小沢昭一、加藤武との親交が深い事も知られている。『神々の深き欲望』の過酷な撮影現場に耐え切れず脱走を試みた 嵐寛寿郎のエピソードは有名。 1975年横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)を開校し、校長をつとめ、三池崇史・金秀吉・佐々部清・本広克行・李相日などの映画監督、鄭義信などの脚本家・芥川賞作家阿部和重などの人材を輩出した。
2006年5月30日午後3時49分、転移性肝腫瘍のため東京都渋谷区の病院で死去。享年79。遺作は『11'09'01/セプテンバー11 』中の短編。
[監督作品]
盗まれた欲情 (1958年)日活
西銀座前駅 (1958年)日活
果てしなき欲望 (1958年)日活
にあんちゃん (1959年)日活
豚と軍艦 (1961年)日活
にっぽん昆虫記 (1963年)日活
赤い殺意 (1964年)日活
エロ事師たちより 人類学入門 (1966年)日活・今村プロ
人間蒸発 (1967年)日活・ATG・日本映画新社・今村プロ
神々の深き欲望 (1968年)日活・今村プロ
にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活 (1970年)日本映画新社・東宝
復讐するは我にあり (1979年)松竹・今村プロ
ええじゃないか (1981年)松竹・今村プロ
楢山節考 (1983年)東映・今村プロ
女衒 ZEGEN (1987年)東映・今村プロ
黒い雨 (1989年)東映・今村プロ・林原グループ
うなぎ (1997年)松竹・ケイエスエス・衛星劇場・グループコーポレーション
カンゾー先生(1998年)東映・今村プロ・東北新社・角川書店
赤い橋の下のぬるい水(2001年)日活・「赤い橋の下のぬるい水」製作委員会
11'09'01/セプテンバー11 (2002年)
[助監督作品]
東京物語 (1953年)松竹(フォース助監督)
愛のお荷物 (1955年)日活
あした来る人 (1955年)日活
銀座二十四帖 (1955年)日活
風船 (1956年)日活
洲崎パラダイス 赤信号 (1956年)日活
わが町 (1956年)日活
飢える魂 (1956年)日活
続・飢える魂 (1958年)日活
幕末太陽傳 (1958年)日活
[受賞歴]
1963年 ブルーリボン賞監督賞・脚本賞『にっぽん昆虫記』
1979年 ブルーリボン賞監督賞・日本アカデミー賞監督賞・キネマ旬報賞監督賞 『復讐するは我にあり』
1989年、日本アカデミー賞監督賞・キネマ旬報賞監督賞 『黒い雨』
1997年、日本アカデミー賞監督賞・毎日映画コンクール監督賞 『うなぎ』