犬の本を読んでいると、「犬」に対する「飼い主」の熱い気持ちが伝わってきて、グッときてしまう。その本に書いてあるように、人間の子供だと「教育問題」があったり、様々な心配事が出てくる。ペットの場合は、それが少なくて済むようで、今のペットブームは成り立っているようだ。僕も子供が小さい時、動物園に行って、「動物を触れるコーナー」で、ウサギや羊、犬などを抱いていると、温かくて、情が移ってくる。でも、糞の始末や、特にペットか死んだ時の事を考えると、僕と妻は「ペットを飼う」というテンションまではいかない。僕の妹の長女が動物が好きで、「獣医さん」になるという。名前は分からないが、大きな犬を飼っている。(と言っても、彼女の父方のおじいちゃんの家でた゛が)でも、「本当に癒されるんだろうなあ」と思う。昼間、小憎らしい事を言ったり、嘘をついたりしている我が家の次男も寝顔は可愛い。時々、寝ていると、足で蹴られるが、それもまた愛嬌。朝になると、「寝起きの悪い長男を怒る妻の声」が僕の起床の合図となり、目が覚める。そして、いつもの一日が始まるのだ。長男は、それだけ、毎日怒られても、ほとんどめげずに、ニコニコしている。精神的に強いんだろうなぁ~と感心しながら、会社に出勤する事になる。
アメリカ映画で、タイプライターを打っているシーンが出てくると、僕もタイプライター欲しいなぁと思っていました。アルファベットって、26文字しか無いので、あの形のタイプライターが作れたのでしょうね。和文タイプは、全然形がちがっていて、「漢字探索機」のようでした。だから、ワープロが出た時にはすぐ飛びつきました。僕は「字」が下手なので、ワープロは編集もできるし、活字で印字できるし、最高に便利だと思っていました。そしたら、今度はパソコンが出現し、その便利さはワープロをはるかに超えたものだったので、今はパソコンのワードを愛用しています。もちろん、人に手紙やメモを書く際は、万年筆を使っていますが。日本語用の「ワード」を開発した人は凄いですね。日本語ほど難しい言葉は無いのに、それほどストレスを感じる事無く文章が打てるのですから。韓国映画を見ていると、当たり前の事ですが、メールを打つシーンでは、「ハングル文字」が出てきます。アラビア文字のワードとかもあるのでしょうか。中国語とかロシア語とか。こういう現地の言葉の「ワード」はアメリカのマイクロソフト本社ではなく、各国の現地法人が開発したのかなぁ。ちょっとした疑問です。
日本人は温泉好きな民族です。「ジャイアンツ」という映画のラストシーンだったと思うのですが、油田を掘っていて、ついに原油が飛び出し、ジェームス・ディーンが顔を真っ黒にしながら、喜びの表情を浮かべるシーンがあったと思うのですが、日本人なら、温泉ですね。先般、温泉に色をつけたとかがニュースになりましたが、それくらい温泉側もお客に来て欲しいし、ニーズもあると思います。旅館について、まず温泉に入り、部屋に戻って、浴衣に着替え、ビールでも飲みながら、テレビをボヤッと見ている時間が好きです。僕が分からないのは、浴衣に着替えて、温泉にいく人達。今まで着てきた服を脱いで、温泉で、汚れを落とし、まっさらな浴衣を着るというのが普通ではないですか。潔癖症の僕にはできないことです。僕の知識では、温泉はマチュピチュ(ペルー)とドイツにあったという知識しかないのですが、他の国にもあるのでしょうか。つまり、旅館の様に泊まれて、温泉に入り、食事をたべれるという様な場所です。誰か御存知でしたら、教えて下さい。暑い国には、「温泉」そのものが似つかわしく無いので、インドで「いい温泉」を見つけたよ!と言われても、結構困惑してしまいます。物凄いおおざっぱな言い方をすると、火山帯が無いと、「温泉」は湧きませんよね。だから、火山帯の多い日本には数々の温泉があるのでしょう。
ちょっと話は変わって、野沢菜って、野沢温泉で食べるとあんなに美味しいのに、自宅に持ち帰って食べると、どうして感動的な味にならないのか・・・多分、保存料とかが入っているからなのかなぁ。美味しい「野沢菜」でお茶漬けをしたいこの頃です。
ちょっと話は変わって、野沢菜って、野沢温泉で食べるとあんなに美味しいのに、自宅に持ち帰って食べると、どうして感動的な味にならないのか・・・多分、保存料とかが入っているからなのかなぁ。美味しい「野沢菜」でお茶漬けをしたいこの頃です。
「物語」というものがあります。さっき、考えていたのですが、「物語・・・小説」というものは、「熱帯雨林」には生まれづらく、「日本」のような四季のある国から「ツンドラ」の寒い国まで、どちらかというと、暑い所には、宗教上の物語は残っていても、普通の小説のようなものは、ほとんど無いのではないでしょうか。私見です。旧ロシアだけでも、チェーホフ、ドストエフスキー、トルストイなど、思いつくだけでも、たくさんの作家を出しています。じゃあ、イタリアはどうかというと、世界的な作家は出していません。「熱帯雨林」でもないのに。寒い地方は、「寒さの中の楽しみ」として、「物語」が数々生まれたのではないでしょうか。インドとか、インドネシアに行ってみて、暑い季節は日向が60℃にもなるところで、小説を書く気は起きないでしょう。
去年、フランスのフランソワーズ・サガン、中島らも、そして森村桂、鷺沢萌ら、作家が亡くなりました。お酒か、薬物か、自殺でした。作家は神経質で、きっと嫉妬深い人達なのでしょう。いちばんのプレッシャーは今まで書いてきた自作と新しい作品を比較されること。そのプレッシャーは大変なものだと思います。僕も仕事のストレスから泥酔し、新宿ゴールデン街の階段を二階から下まで転げ落ちた事が二度あります。泥酔していると、余計なところに力が入らないので、服が汚れて、一緒にのみに行った人に迷惑をかけた事以外は、ケガ等はありませんでした。先日、初めて入ったゴールデン街の店で、「中島らもさん」が亡くなる5日ほど前に来たという話をその店のマスターから聞きました。泥酔状態だったそうです。文壇バーに行って、よく喧嘩を見かけるのも、「弱い犬ほど吠える」という現象に過ぎないのではないでしょうか。いくら、文学論を展開しても、作家一人一人、個性が違うのだから、喧嘩しなくてもいいのにと思いつつ、僕は焼酎のお湯割りを傾けるのです。
去年、フランスのフランソワーズ・サガン、中島らも、そして森村桂、鷺沢萌ら、作家が亡くなりました。お酒か、薬物か、自殺でした。作家は神経質で、きっと嫉妬深い人達なのでしょう。いちばんのプレッシャーは今まで書いてきた自作と新しい作品を比較されること。そのプレッシャーは大変なものだと思います。僕も仕事のストレスから泥酔し、新宿ゴールデン街の階段を二階から下まで転げ落ちた事が二度あります。泥酔していると、余計なところに力が入らないので、服が汚れて、一緒にのみに行った人に迷惑をかけた事以外は、ケガ等はありませんでした。先日、初めて入ったゴールデン街の店で、「中島らもさん」が亡くなる5日ほど前に来たという話をその店のマスターから聞きました。泥酔状態だったそうです。文壇バーに行って、よく喧嘩を見かけるのも、「弱い犬ほど吠える」という現象に過ぎないのではないでしょうか。いくら、文学論を展開しても、作家一人一人、個性が違うのだから、喧嘩しなくてもいいのにと思いつつ、僕は焼酎のお湯割りを傾けるのです。
「鍋」の季節ですねぇ。数年前、秋田ロケで食べた「キリタンポ鍋」も美味しかったし、寒い冬には、ふうふう言いながら、「鍋」を囲むのも楽しいものです。「鍋」こそ、原始人が作った最古の料理の一つではないでしょうか。かれらは、今のように「防寒服」も無く、洞窟などで暮らしていた訳ですから、「火」は必要不可欠なものだったと思います。そうすると、狩猟や農産物や森で採れたものを入れ、グツグツと煮て、「鍋」て゛体を温めていたのでしょう。十二単などを着ていた「平安時代」の女性達は「鍋」を食べていたのでしょうか。それとも、12着着ているのだから、温かくて、普通の食事で済ませていたのかもしれません。武士は戦場では「鍋」をやっていたでしょう。何故、テーマが「鍋」かって?今日のうちの夕食が「鍋」なのです。「鍋」にうどんを入れますか、それとも、ラーメンを入れますか・・・うちの場合はアトピーで次男がラーメンを食べれないので、まずうどんを入れ、それを食べきったら、ラーメンを入れる仕組みです。心から温まる「鍋」。楽しみ楽しみ。
テレビ電話が発達したら、会社の会議も自宅にいながらにして出来てしまい、後は資料を運搬する代行業の人がいれば、テレビ局の仕事も成立してしまうのではないかと、「人ごみ嫌い」で、「人見知り」の僕にとっては最高のシチュエーションが訪れる事になります。チェックする映像も音楽も光ファイバーを通して、自宅に届けられ、自宅のパソコンとテレビが合体したようなものが仕事の指令塔となって、僕の机の上に載っていたら、どうかなぁと思いました。20年前には、一人一人が携帯電話を持つなんて考えられなかった時代・・・僕が入社した1983年には、制作部にFAXが無く、管理部の人にお願いして入れてもらった記憶があります。当時の制作部は、「面白くてヒットする番組を作っていれば」、あとは何をしてもいいというまことにおおらかな雰囲気を持っていました。制作部長と昼飯に行っても、自然にビールが出てきましたから。午後、若手だけで、仕事をサボってボーリングに行ったり、午後五時には雀荘に集合していたりと、今では考えられない様な事を平気でしていました。まだ、本社の建物が開局当時の古い時で、「平成」に替わるすぐ前、新社屋ができてからは、そんな「野武士的」な管理職やプロデューサーはいなくなり、会社自体の雰囲気も、「ものを創る」ところから、「企業」という考え方にシフトしてきた様に思えます。それがいい事かどうか、「日本社会」の変化と共に見ないといけないと思うので、一概に「是」とも「否」とも言えません。
いわゆる日本で言う「漫談」のことを「スタンダップ・コミック」とアメリカでは言うという事が「スタンダップ・コメディーの世界」という書名だったと思うが高平哲郎さんの著書に載っていました。あの俳優の「ロビン・ウィリアムス」始め、多くのアメリカの俳優はスタンダップ・コミックから誕生しています。AFI(アメリカフィルム協会)監修のDVD三本セットが出ていて、僕は偶然銀座のレコード店で買って、ラッキーという感じだったのだが、これが「映画ベスト100」「男優・女優ベスト100」そして、「コメディーベスト100」の三本に分かれていて、いかにアメリカ人にとって、「コメディー」というジャンルが重要かがよく分かります。「コメディー映画」って、日本ではヒットしませんね。
僕は「1941」(スティーブン・スピルバーグ監督作品)が好きです。ロードショーで観た時は「何だ、これは」という感想でしたが、テレビ放映やビデオで見ているうち、その面白さが心に沁み行って来ました。そんな映画ってありませんか。「パピヨン」もそんな感じで、その時、おもしろくないなぁと思ってものちのち、心に引っかかってくる映画ってあるものですね。ただ、今回のテレビでのお笑いブームで「エンタの神様」から、コメディーもシリアスも演じれる俳優が誕生してくれれば最高です。
僕は「1941」(スティーブン・スピルバーグ監督作品)が好きです。ロードショーで観た時は「何だ、これは」という感想でしたが、テレビ放映やビデオで見ているうち、その面白さが心に沁み行って来ました。そんな映画ってありませんか。「パピヨン」もそんな感じで、その時、おもしろくないなぁと思ってものちのち、心に引っかかってくる映画ってあるものですね。ただ、今回のテレビでのお笑いブームで「エンタの神様」から、コメディーもシリアスも演じれる俳優が誕生してくれれば最高です。
「物語」を創る事の難しさを痛感した。今までは、「物語」ではなく、こうしたブログとか、会社の資料の作成の文章を書いていたが、今まで脚本家に浴びせた数々の批評・・・脚本家は本当に「孤独」な仕事で、その脚本が書き上がった時には「褒めて欲しい」ことを実感した。もちろん、脚本打ち合わせの時も、「まずは全体的に褒めてから、場合によっては9割書き直し」という事をやっていた。「ものを書く」ことを「生業(なりわい)」にする人は、アメリカのベストセラー作家D・R・クーンツ曰く、「孤独」の極みだと。この商売を選ぶという事は、余程「孤独」に耐えうる力を持った人でないとできないと「ベストセラー小説の書き方」に書いている。今、昼寝から起きたところだが、「あそこも面白くない、ここもおもしろくない・・・いろんな不安」が心の中で増殖してくる。もしかしたら、甘い考えかもしれないが、一編でも、OKがでたら、どのような面白さを読者が求めているのか、わかって、書きやすくなりはしないだろうか。まずはそんなことを言っていても最初が肝心。面白いものに仕上げよう。「書き手」が「面白い」と感じなければ、読み手が面白いはずはないので。小説という世界の富士山頂はまだはるか、雲の上だ。
子犬は毎日、14~15時間寝ると言われているが、羨ましい限りだ。僕も昼間、寝るのが好きなので、犬になりたい。無理か。でも、土日、どちらかは昼寝をする。30代は子供も小さくて、お稽古事とかが、入っていなかったが今は、三人の子供のうち、誰かがどちらかの日にお稽古に行くので、家族で近郊にピクニックとか動物園とかに行くスケジュールが取れない。かといって、こんなに寒くては「ゴルフの練習場」に行く元気も出てこない。つまり、寝るしかないのだ。勝手な理由だが。長男は今、図書館から「キャプテン翼」を20冊借りてきて、読むのに集中している。二回目なのに。「一姫二太郎」とはよく言ったものだ。小学校6年生の長女がしっかりしていて、4年生の長男はひょうきんな性格で、これが誰からも憎めない。受けないジョーダンをいうのは僕そっくりだ。次男は、柔道の試合に行っているが、行く前から、体が痛いと言っていた。「試合」が嫌なのか、本当に打ち身か何かしているのか・・・ともかく試合には行った。明日からはまた、仕事。携帯に追いかけられる毎日になりそうだ。
気温10℃の東京。ニューヨークの友人にメールを送ったら、向こうは体感温度がマイナス26℃で、とても寒いとの事。雪降ろしがとても大変らしい。
確かにニューヨークという町は、下水道の流れ込む口から、水蒸気が出ていた記憶がある。それほど寒いのだろう。ニューヨークを舞台にした映画でも、そういう光景は印象的だ。だから、西海岸を舞台にした映画と色調も違うのだと思う。ジャズの本場・ニューオリンズには行ってみたい。本物のミシシッピー川も見てみたい。東京も今日のような日が続くといいのだが。先週は寒かった。特に僕の仕事場のある新橋はビル風が吹き、とても寒い。うちの会社の入っているビルの回転扉がまた使用を開始した。この、スピードが遅い。イライラして待っている人をよく見かける。再開したという事は、やはり、外気が入ってこないで、保温効果が高いのだろうと思う。さっき、小説第二稿の原稿が出来上がった。これをプリントアウトして、第一稿で指摘された点の検討と修正に入ろうと思う。が、それは明日、夜やろう。ウィスキーと似ているのかもしれないが、「熟成」させたい。というか、書き上げてすぐは、同じ価値観でしか見れないので、原稿をおいて他の事をしようと思う。
確かにニューヨークという町は、下水道の流れ込む口から、水蒸気が出ていた記憶がある。それほど寒いのだろう。ニューヨークを舞台にした映画でも、そういう光景は印象的だ。だから、西海岸を舞台にした映画と色調も違うのだと思う。ジャズの本場・ニューオリンズには行ってみたい。本物のミシシッピー川も見てみたい。東京も今日のような日が続くといいのだが。先週は寒かった。特に僕の仕事場のある新橋はビル風が吹き、とても寒い。うちの会社の入っているビルの回転扉がまた使用を開始した。この、スピードが遅い。イライラして待っている人をよく見かける。再開したという事は、やはり、外気が入ってこないで、保温効果が高いのだろうと思う。さっき、小説第二稿の原稿が出来上がった。これをプリントアウトして、第一稿で指摘された点の検討と修正に入ろうと思う。が、それは明日、夜やろう。ウィスキーと似ているのかもしれないが、「熟成」させたい。というか、書き上げてすぐは、同じ価値観でしか見れないので、原稿をおいて他の事をしようと思う。
世の中、急速に「コンピューター化」されています。うちの美術のデザイナーが停電しただけで、テレビ番組のセットデザインを書けないというぐらいですから。ちなみに、多くのテレビ番組のデザイナーは「Mac」を使っています。僕が入社して、ディレクターを始めた頃は、もちろん手書きで「青焼き」という技術を使って、セット図をコピーして貰っていました。台本も恒星作家が、鉛筆や万年筆を使って書いていました。万年筆の場合は、消せないので、直すのに困った想い出があります。新聞記者も、今ではほとんど原稿は「ワード」です。その方がデスクも直しやすいし、間違いも無いからでしょう。うちの父は新聞記者で、当時は「わら半紙」(新聞紙と同じ材質のもの)に5字×3の15文字を書いて、電話送稿していました。「ひ」は「彦根」の「ひ」という様に。東京に大地震が起こって、広範囲で、電気が供給されなくなったら、新聞社もテレビ局も困ることでしょう。今、東京で地震が起こる確率が高いと言われているので、不安です。僕んちはマンションの二階なのですが、三階が崩れ落ちてこないか心配です。「大家」がドケチなので、安い建材を使っているのではないかと心配しています。多分、つかっているんだろうなぁ。
今日の日本テレビ「世界でいちばん受けたい授業」で「自動販売機」の事をやっていた。「日本」は「世界一の自動販売機売り上げ国」なのだそうだ。確かに、外国に行ってもいちばん不自由するのが、「自販機」が無くて、例えば暑い時に、冷たい飲み物をすぐ飲めない事。僕が行く地域は「コンビニ」もほとんど皆無なので、夜はホテルの自室の冷蔵庫で、高いミネラルウォーターを飲まなくてはならない。日本がなんで世界一かというと、「治安がいい」という事が大きな要素だそうだ。確かに、ブラジルとかで、夜間(昼間でも)自販機を外に置いておこうものなら、きっとトラックか何かで持ち去られ、商品も現金も奪われてしまう事になるんだろうなあという事は、想像できます。ただ、「お店」でジュース一本買う事から、「人と人のコミュニケーション」は始まるのですから、「自販機世界一」も一概に褒められたものではないと思います。
誰にでも「夢」はある。しかしながら、その「夢」を実現できるポジションを獲得できる人はほんの一握りに過ぎない。僕の夢は「小説家」になる事。小学校低学年から思っていた。まだ、企画段階だが、ある編集者に勧められて、「小説」を書いている。ドラマのプロデューサーの時は、書きあがってきた脚本を読んで、それに「意見」を言う方だったが、今度は逆である。第一稿を編集者に見てもらったが、脚本やドラマの企画書とは書き方が違う。いろいろ、為になる本を紹介して貰い、今はそれを読破中である。今月末が第二稿の締め切り。明日一日と明後日の夜で、書き上げなければいけない状態になっている。これは、僕が今回わざとそうしたのだ。夏休みの宿題でも、ドラマの企画書でも、「早く仕上げて、気持ちを楽にしたい」という、とても気の小さい性格である。それをわざと破ってみようと思った。だから、今回は、資料を読むのに時間をかけて、書くのは、プロットを思いついてからと思っている。このプロットを思いつくかどうかが、才能であり、一種の賭けであると思っている。仕事以外に何か、自分のしたい事を持っていれば、これほど精神的に強い事は無い。ベストを尽くして、当たって砕けろ、の精神で「自分が今、いちばん書きたいストーリー」を書いてみようと思っている。
もう、ずいぶん前の事になるが、冬・雪のたくさん積もっている時期に、「只見線」に乗った事がある。只見線は、会津若松と小出を結ぶ「豪雪地帯」を走っている鉄道で、窓から外を見ていたら、「死を待つ家」という看板が一瞬だが見えた。心の中では「ウソ~」と思ったが、ちゃんと残像として残っていた。「死を待つ家」とはどのようなものだろう。インドのカルカッタに、「死の病」におかされて、もうすぐ死ぬだろう人が集まる「死の家」という施設があるということはテレビを見て知っていた。でも、日本にそんな施設があるとはおもってもみなかった。何か、宗教でも関係あるのだろうか。両サイドを2メートルくらいの雪の壁に囲まれて走る只見線だが、一気にその風景は僕の心の中から飛んでしまい、一つの看板の衝撃強さが残った旅だった。7~8年くらい前だろうか。いつかは、その施設の全貌を究明してみたいと思う。
『作家の犯行現場』有楢川有楢著(新潮文庫)新刊を書店で見つけ、立ち読みをしていると、かつて僕が小学校高学年の時、母の実家で見た「少年マガジン」のグラビアに載っていた「即身仏」の話と写真が載っているではないか。出羽三山という山々が東北地方の信仰のメッカとして、存在している。但し、即身仏が行なわれていたのは「湯殿山」のみである。本から引用させて頂くと、中世から明治末期の即身仏禁止令が出されるまで、全国の即身仏志願者が仙人沢という行場で修行を積んだそうである。真言宗系である。うちも真言宗。僕の聞いた話では、修行の終わった人が人間が一人座れれるような、井戸の底に座り、その頭上を埋め、空気穴を通して、「即身仏」になったという話である。現在、日本で年間3万人という自殺者が出る中、少し不謹慎な発言かもしれないが、「即身仏」修行を経て、自分の「生死」をもう一度考え直してみる、という荒行もあるのではないかと思っている。おかげというか、なんというか、今日の昼寝では「悪夢」を見た。「即身仏」の影響なのだろうか。