内容(「MARC」データベースより)
昔は当たり前だったことが今では「特別なこと」になり、「便利さ」を追求しすぎて現代人は孤独になった。なぜ、そうなってしまったのか? 伝説の勝負師と身体の革命家が出した、困難な時代を生き抜く知恵とヒント!
桜井 章一(さくらいしょういち、1943年8月4日 - )は、東京都下北沢生まれの雀士である。通称「章ちゃん」。
大学生の頃に麻雀を覚え、その半年後に大金を賭けて行なわれる麻雀の代打ちとしてデビューをする。現役時代(覚えてから20年間)は新宿を主な活動地としていた。
20年間無敗を称し、雀鬼(じゃんき)という異名を持つ。20年間無敗の伝説は、Vシネマ(清水健太郎主演)や漫画として作品化されている。
裏プロ時代
大金が飛び交う代打ちという世界で麻雀を打つ以上暴力的な脅しが付き纏っていたらしい。刃物や銃を突きつけられる、家族や友人に脅しをかけられるなど危険と隣り合わせであったという。代打ちの前には眠ることも食べることも出来なくなるくらいの緊張や恐怖もあったと桜井は語る。勝負中に体温が39度近くになる「勝負熱」などのエピソードもある。雀荘レベルの麻雀(素人が混ざる場)ではトップを取ったり取らなかったりして遊んでいたらしい。
20年間無敗の超人的エピソード
リーチに100%の確率で1発で意図的に振込み大金をばら撒く。
勝ちすぎて山積になった大金を崩れないように足で踏みつけて押さえながら打った。
次にツモる牌を当てる(全員)。
和がり形を見せられる前に点数を支払う。
リーチ宣言牌で必ず和了し、狙い打つ。
半荘全て同じ役で和がり続ける(または同じ牌)。
雀荘の大会で3900以下縛りプラス出場日数半分で優勝。
桜井の実力
桜井が20年間無敗であったと主張する時代には、まだ全自動麻雀卓が存在していなかったため、局の開始前に対局者たちが手で牌をかき混ぜてから山を積む、いわゆる手積みの麻雀が行われていた。この時代の裏プロの麻雀では、積み込みやスリカエといった「裏技(裏芸)」(不正行為)が当たり前で、桜井もその相手も、状況に応じてこうした行為を行っていたという。桜井の積み込みやスリカエなどの腕前が並外れたものであることには、ほとんど異論がない。反面、こうしたイカサマ技を使わずに打った場合の桜井の実力については意見が分かれる。三家和を見越した上で当たり牌を切り、流局に持ち込んだとするなど超人的なエピソードにも彩られており、当該エピソードについては天野晴夫の著書「リーチ麻雀論改革派」(南雲堂)において批判的な検証がなされたこともある。
ただし、1984年の近代麻雀での誌上対局で、不正行為を用いずに、当時新進気鋭の若手プロであった金子正輝、飯田正人を寄せ付けなかったことも事実である。
本人の弁や漫画などで描かれているものを見ると、20年間無敗であったのは代打ちでの勝負の場でありオールトップを取り続けたというわけではなく10回戦なら10回戦のトータルでの勝ち負けで勝利ということらしい。
桜井章一と阿佐田哲也
過去に阿佐田哲也や小島武夫などの麻雀新撰組との関わりがあった。桜井の裏プロ時代を描いた「shoichi」によると、阿佐田は生前、桜井を紹介する時には必ず「この人が本物のプロだよ」と紹介した。なお、阿佐田と打った描写では桜井がずっと和がり続け、阿佐田が「桜井さん、振りませんね」という言葉があるまで振ることも和がらせることもなかったという。阿佐田の作品「麻雀放浪記」の映画では裏技指導を担当した。しかし桜井の著書で阿佐田のことを批判したことについては賛否両論がある。
桜井章一が与える影響
桜井章一(雀鬼流の麻雀)に対する評価は様々だが、漫画・ビデオ・著書など様々なもので影響を与えているのも事実であろう。
造語「死にメンツ」
ルール「和り止め」
などの麻雀の面で与えた影響も大きい。桜井の著書で語られる精神的な面(哲学的な要素)でも注目する人間が多く、麻雀を打たない人(スポーツ選手・会社経営者)からも注目されていることが多い。
牌の音
代打ち引退後の1988年3月28日に「雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音」を開設。1991年に「雀鬼会」という組織を作り自身が考案した「雀鬼流」という打ち方を指導している。牌の音は下北沢道場(本部)と町田道場がある。以前札幌に牌の音2号店があった(閉店)。なお、雀鬼流の指導者としても引退をほのめかしており、近年は牌に触れないことも多い(近代麻雀での連載より)。
交友関係
ヒクソン・グレイシー(格闘家)
鍵山秀三郎(株式会社イエローハット創業者・現相談役)
木津龍馬(ヒーラー)
甲野善紀(武術家)
鈴木銀一郎(ゲームデザイナー)
藤田晋(サイバーエージェント社長)
桜井の交友は様々なジャンルの職業の人間と関わることが多い。
映像は→
http://jp.youtube.com/watch?v=0hbRTf96xr8
甲野 善紀(こうの よしのり、1949年 - )は、東京都出身の武術を主とした身体技法の研究家。東京農業大学畜産学科中退。古武術に関する著書多数。
人と口をきくのもままならない幼少期を過ごした甲野は、大学に入り、ひよこの雌雄選別において雄のひよこが生きたままバケツに放り込まれそのまま足で踏み潰されて殺されてゆくという、高度経済成長を続ける効率優先の厳しい現実にショックを受け、「人間にとっての自然とはなにか」を追求する過程で武術に出会う。 その後武術のみの世界も一つの効率優先とみなして身体技法一般の研究者に脱皮する。(以上は、甲野自身が著書等で述べていることである)
合気道(合気会の山口清吾)、根岸流手裏剣術(四代目・前田勇)、鹿島神流(野口弘行)などを学び、1978年に自分自身が納得いく武術の動きの研究のため、「武術稽古研究会松聲館」を設立(同会は2003年に解散)。武術だけにとらわれない身体運用法一般の研究者となる。基本的に組織を作らない(師弟関係、弟子を採らない)。
甲野善紀は、独自に古文書、松林左馬助無雲の『願立剣術物語』、無住心剣流・小出切一雲、針谷夕雲の『天真独露』『無住心剣術書』、三代目真里谷円四郎語録、川村秀東の『前集』『中集』、丹羽十郎左衛門の『天狗芸術論』、金子弥次左衛門の『梅華集』、宮本武蔵の『五輪書』、千葉周作の『剣術物語』その他新陰流、起倒流柔術の加藤有慶、肥田式強健術、白井亨、などから研究し、振武舘の黒田鉄山、沖縄古伝空手心道流の宇城憲治等と交流。後に確立した「うねらない、ためない、ひねらない」動きや固定的な支点に依らない動作、いわゆる「ナンバ」の動きなど、従来のスポーツ運動論にはなかった身体運用法を、様々な武術・武道・スポーツ・異業種との交流からヒントを得て研究している。甲野の紹介する技術は、安定している重心 (バランス) をわざと不安定にする事によって、軽い力加減で動かせるようにするもの (重いドラム缶を斜めにして転がすようなもの。) などで、たびたび「不安定な状態は、最も身軽な状態である。」と述べている。なお、こういった身体運用法については桑田真澄を初めとして、甲野との面識はないものの末續慎吾が「ナンバ走り」を研究して世界陸上200mで銅メダルを獲得したこともありスポーツの各方面から注目されている。 親友は精神科医の名越康文、深く傾倒している人物は、長期的には野口整体の身体教育研究所の野口裕之、武術関係は数年ごとに変わるが2004年~2006年は国際韓氏意拳総会日本館の光岡英稔である。他に解剖学者の養老孟司などの科学者や宇宙飛行士の野口聡一、そのほか有名無名の音楽家や職人など広いジャンルでの交流がある。
映像は→
http://jp.youtube.com/watch?v=AwY4lN24Vfk
この二人の「生き方論」を知りたい。凄い経歴だ。面白いぞー!!!!!
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