お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「砂の器」・・・「ゼネコンの作った虚像」

2005年11月30日 | エッセイ・日記・意見
「砂の器」という名作の映画がある。
震度5位の地震で、倒壊するマンションやホテルを設計し、建て続けた人達は何を考えているのだろう。
何十年かのローンを組んで買った「夢のマイホーム」が実は「砂の器」だったと知った時の住人の驚き・落胆・哀しみ・怒り・・・計り知れない。

昨日の国会答弁を見ていても、開発会社「ヒューザー」小島社長と、民間の指定確認検査機関「イーホームズ」の藤田社長が喧嘩をしていた。「闇の中」の部分は多いのだろうが、小島社長の「人相」が悪い。私見だが、「良い人生を生きている人」は「良い顔」をしている。「ダーティーな人生を突き進んでいる人」は「悪い顔」になってくる。
それにしても、「姉歯氏」は卑怯者。

「政治」と「ゼネコン」・・・切っても切れない繋がりが昔からある。地方の政治家は、その地方に「道路」や「鉄道(新幹線)」や「鉄道の駅」、或いは「公共の施設」を作る事により、その地域の「選挙民」からの「支持」を受け、「ゼネコン」は儲かる。

新潟県の「上越新幹線の駅」は多分、田中角栄が作ったものだし、竹下登の地元にも、車のあまり走らない「素晴らしい道路」が建設されている。

「青函トンネル」は現在、一年間で億単位の維持費がかかっている。「本四架橋」を三つも作ったり、「東京アクアライン」を作ったり・・・そのすべての財源が「税金」。どこまで「僕達が働いて納めている税金」をばら撒いている事か。

別のニュースでは、やはり未だに、「公共事業」の工事費で、「ゼネコン」が談合している事か。

それで、「日本は財政赤字」→「増税」。小泉内閣は、戦後最悪の内閣では無いだろうか。
「踊るピエロ」小泉首相が退陣したあと、この日本を立て直す人物はいないのだろうか。

なんか、直感的に、何事も「なあなあ」で進んでいる社会だと感じる。
広島の女児殺人事件の詳細が分かってくるにつれ、容疑者の日系ペルー人自身にも、大きく重い罪があると思うが、「日本社会のいびつな流れ」がその後ろに潜んでいる様な気がする。彼が勤めていた車関係の工場の3割が彼同様の南米等からの出稼ぎの日系人だとニュースで報じていた。

「子供が子供を殺す」とか、「通勤電車が脱線する」とか「崩れやすいマンションを建てる」とか・・・当たり前の話だが、「昭和」という時代には、少なくとも「平成」よりはあった「モラル」とか「常識」とか「礼」とかがどんどんかけおち始めている。

「ALLWAYS 三丁目の夕日」の広告が今日の読売新聞夕刊に2面に渡って大きく載っていた。この映画が大ヒットしているのは、庶民の心のどこかで、今の「日本」は違うぞ・・・という認識が生まれ始めている事の「証し」では無いか。

いずれにしても、「喉元過ぎれば、どんなことでも忘れやすい日本人」、そして「携帯電話やPC、ゲーム機等に囲まれて過ごす日常」が社会を悪い方向に引っ張っているのは間違いないと思う。
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死刑を拒否すれば生きられたのに・・・殺してくれと言った殺人犯の物語

2005年11月29日 | 本・雑誌・漫画
心臓を貫かれて

文藝春秋

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みずから望んで銃殺刑に処せられた殺人犯の実弟が、兄と家族の血ぬられた歴史、残酷な秘密を探り哀しくも濃密な血の絆を語り尽します。読む程に、「何故、殺人犯の兄が死刑にしてくれと言ったかが、胸に突き刺さってくる本。文庫でも出てますが、一気に読んだ方がいいと思ったので、単行本の方をあげました。
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駅の「何番線」はどうして決めるのか?

2005年11月29日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
「閑話休題」。
駅のホームの「何番線」というのは、どうして付けられるか知っていますか?
基本は、「駅長室」に近い方から、「1番線・2番線・・・」という風に決めます。

但し、京王と都営地下鉄の「新宿駅」。京王線のホームには、「1~3番線」、都営新宿線のホームは「4・5番線」、都営大江戸線のホームは、「6・7番線」という様に、分かりやすくなっています。これは多分、三つの線が改札を出なくて乗り換えできるからそうしたのだと思います。

「上り列車」「下り列車」は、基本的にJRの場合、「東京駅」から出発する列車を「下り」、到着する列車を「上り」と呼んでいます。
僕の知っている例外は、新潟県の弥彦線。終点に「弥彦神社」という由緒正しい神社がある為、「弥彦駅」から出る列車が「下り」、着く列車が「上り」です。

こんな情報、要らないという方も多いでしょうが、「鉄チャン」なので・・・堂々と書きます。
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22年前、「年越し」のニューヨーク・・・

2005年11月29日 | 旅・外国
「年越しのニューヨーク」に新入社員の時、同期と二人で行った。タイムズ・スクエアーに程近い「文豪」も泊まった事があるという二人で25000円位のホテルに泊まった。

「年越し」の夜、つまり、大晦日の夜、タイムズ・スクエアーは、広場のセンターを中心に十字架の形に、人が入れず、騎馬警官が巡視するスペースが設けられる。

人は12時に向かってどんどん増え、やがて、同期の友達も見失い、自分の体を動かす事もままならない状態になる。
そして、カウント・ダウン。「年越しの瞬間」には、あちらこちらでキスをしているし、タクシーの屋根の上、信号の上で飛び跳ねている奴はいるし・・・まあ、100万人集まれば、そうもなるだろうという状態。シャンパンの瓶が空を飛び交い、凄い大騒ぎである。

僕はいち早く、ホテルに退散。日本より遅れて放送している「CM入りの紅白歌合戦」を見ていると、友達がヘトヘトになって帰ってきた。

あれから22年。当時のニューヨークは治安が悪く、いわゆる「ボトラー」と呼ばれる人達もたくさんいた。何をするかといえば、紙袋の中に飲み物の瓶を入れて、歩いていて、これはという「獲物」を見つけると、「自然と、歩きながらぶつかって、紙袋を落とし、中に入っていた酒を弁償しろ」という手口。今のニューヨークはその頃より、ずっと治安が良くなったと聞いているが。

同期の友達が音楽好きで、四日連続、夜、「ミュージカル」を見に行った。「キャッツ」「42nd street」「ラ・カージュオフォーレ」「コーラスライン」。
僕はどれも熟睡していた。昼間、「メトロポリタン美術館」とか、散々何時間も歩き、音楽にそれほど興味も無かったので、寝て当たり前。
ジャズを聴きに「ビレッジバンガード」という超有名な店に行った時も、動けない位、客が入っているのに、首を縦に振り出し、やはり寝てしまった。
その同期には、金輪際、一緒に旅行には行かん!と宣言されてしまったが、眠いものは仕方が無い。

この旅行で、「ワールド・トレード・センター」にも上った。下から見上げると、ビルの途中に雲がかかっていて、すげえ!と本当に感動した。だから、9.11.のテロの時は凄いショックだった。自分が自分の足で上ったビルが崩れる瞬間を見てしまったから。

あれから、その同期とは旅行に行っていない。


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小説を書いていた親友が事故で亡くなり、それを自分が書いた事にして

2005年11月29日 | 本・雑誌・漫画
著者略歴

早川書房

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その本が大ベストセラーになった主人公の「悲喜劇」。面白い。
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スタンダップ・コメディーとは・・・

2005年11月29日 | 本・雑誌・漫画
スタンダップ・コメディの勉強―アメリカは笑っている

晶文社

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正確には、「スタンダップ・コミック」という。日本で言えば、「漫談」。しかし、アメリカではこの分野から出て来た俳優さんは多い。「ビリー・クリステル」「スティーブン・マーティン」「ロビン・ウィリアムス」等。
「笑い」という「文化」が分かるのは素晴らしい事だと思う。本書を読めば、アメリカの「笑い」を知る事ができます。
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「育英社」と「旺文社」、そして「Z会」。

2005年11月29日 | 教育・学校
「育英社」の模試と「進研」の模試が中学・高校時代あり、確か、「育英社」の模試では、「近畿大学」のキャンパスに行き、校舎にエスカレーターの付いているのに、びっくりしたものだった。

「育英社」の模試は「簡単」で、「進研」は真剣に難しかった。何でこんなことを書き始めたかというと、まず、僕らが受けていた「模試」というものが未だに存在するものなのか?という単純な疑問。それから、「育英社」とか「旺文社」とかいう名前を聞かないので、会社が縮小したのだろうか・・・「旺文社」は一時、「テレビ朝日」の株主で、「赤単」と呼ばれる「試単」と並ぶ「英語の単語を憶える本」で有名だった。そのうち、「旺文社」一族の中で、揉め事が起こり、「テレ朝」の株もかなり手放したと僕の記憶にある。

「通信教育」というのもあった。岡八郎の「空手もやってたんやで。通信教育やけどな」ではないが、「育英社」と東大に行く人は「Z会」という通信教育があった。

僕は小学校四年生の時に、母が「算数の自由自在」を買ってきて、そこから「勉強の運動会」のスタート。小学校五年・六年は、浜甲子園から神戸の魚崎の塾に通った。塾での成績はまあまあで、成績の順位が貼りだされ、上位10人は名前も公表された。賞品も貰えた。
僕は一度も名前が出る事も無く、賞品も貰う事も無く、ただ二年間の「皆勤賞」だけ貰った。

「灘」や「甲陽」というトップクラスの進学校には入れなかったが、「進学校」と呼ばれる「私立」に入り、中一の時に、中一と中二の数学、中二の時に、中三と高一の数学という様に、「公立」より早い「勉強というエスカレーター」に乗り、高三までいった。もちろん、学校がカトリック系だったので、いろんな「人間の心」についても学んだ事は確か。

先日、南アフリカに行ったが、子供も大人も表情が明るく元気に見えたのは旅人だからだろうか。

あの「塾」から「灘」や「甲陽」にいった奴は今頃どうしているのだろう。「官僚」にでもなっているのだろうか。

人の人生、何が正解かなんて無いと思うけれど、出会った同級生のその後を知りたいなぁ~と「模試」という言葉がふと頭の中に出てきて思った。
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「帝国ホテルのカツサンド」

2005年11月29日 | 料理・飲み物・食べ物
「カツサンド」が食べたい!と心の中で叫びながら、今日、「帝国ホテル」に打ち合わせで行った。
確か、僕の記憶では、日本テレビ系の「どっちの料理ショー」で美味しそうな「カツサンド」が2200円・・・という数年前の記憶が残っていたからだ。
その放送を見てから、ずーっと、「帝国ホテルのカツサンド」をいつか食べてやろう、と思い続けた。

しかしながら、事前に電話して訊くと、「帝国ホテル」に「カツサンド」を出す店は無いのだそうだ。
「どっちの料理ショー」の取材も受けていないという。放送当時、メニューにあったものが無くなったのか、僕の勘違いか、「カツサンドを食べたいという妄想」だけが、僕の心の中で浮いたままになってしまった。誰かー、「カツサンド」の美味しい店、教えてよー。



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連続ドラマを佐野史郎さんとやった時、アイスホテルに家族で行くと・・・

2005年11月27日 | 旅・外国
くわしくは・・・佐野さんの事務所のホームページかな?
http://www.kisseido.co.jp/kura/loverinthos/reco/ice.html

http://home.att.ne.jp/apple/iceandsnow/sweden/ice/

とにかく、後に佐野さんに聞いた話では、バーのカウンターも、寝るベッドも氷。ベッドには、「となかいの皮」が敷いてあったとか・・・。

僕も、フィヨルドとこのアイスホテルには是非行ってみたいです。
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「ふしぎなメルモ」と「性教育」と「日本の風俗」

2005年11月27日 | 本・雑誌・漫画
ふしぎなメルモ

講談社

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手塚治虫の「虫プロダクション」が倒産して、多分一作目か二作目に作られた「手塚プロダクション」のテレビアニメが「ふしぎなメルモ」である。朝日放送の制作だった。日曜日の夜6時半からだったか。

手塚治虫の意図は、「アポロの歌」という漫画からの流れで、少年・少女に「性教育」を教える漫画だったのだろう。
テレビアニメの方は、結構、「子供がどうしてできるのか」等、しっかりと、分かりやすく説明していた様に思う。

僕がこのアニメが好きだったのは、「メルモ」がキャンディーを飲んで「子供から大人に変化するシーン」がエロチックだったからである。「メルモ」の声を武藤礼子さんがやっていた。映画では、「エリザベス・テーラー」とかの吹き替えでお馴染みである。

ちなみに、僕と「エリザベス・テーラー」は誕生日が同じ・・・2月27日。それがどうしたと言われそうだが。

廃刊になった「GORO」という雑誌のグラビアも、興味津々で見ていた。もちろん、立ち読みである。
大磯ロングビーチでやる「芸能人水泳大会」(フジテレビ・司会・・・おりも政夫)や関西ローカルではあるが、「水着コンテスト」のある「わいわいサタデー」も密かに見ていた。
東京に来た時は、日テレの「TV海賊チャンネル」の「○○コーナー」を楽しみにしていた。

今では、「週刊現代」「週刊ポスト」にヘアヌードが載る時代。「下品」になったと思う。女性の裸は「隠してナンボ」。こんな「性」に関して、節操の無い国は無い。「風俗」や「AV」、全然興味が湧かない・・・「ビニ本」とか「裏本」とか言っていた時代が懐かしい。

でも、調べた事は無いが、いろんな「風俗の種類」がこれほど多い国は無いのではないだろうか。
江戸時代、「東海道五十三次」のすべての宿場に「遊郭」の様なところがあったというから、昔から日本人は「風俗好き」なのかもしれない。
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「思いっきり食べられる事」の幸せ。

2005年11月27日 | 料理・飲み物・食べ物
「思いっきり食べられる」という事は「幸せ」だなぁ、と思う。まず「食べる事」にもエネルギーが必要だからだ。
もし、何かの病気をしていて、医者から食事制限を受けている場合もある。
連続ドラマをやっている時も、ロケ弁が楽しみだった。絶対、残さずすべて食べていた。脂っこいロケ弁のお陰で、1クール(3ヶ月)やる度に、5キロは体重が増えていたと思う。それが連ドラ終了後、5キロは減らない。長年やってきて、入社当時、78キロだった体重が、昨年いろんなストレスもあり、98キロまでいった。

これは流石にまずいと、朝は「寒天」、昼は「蕎麦」を半年続けたら、現在体重は、89キロ。今まで、いろんなダイエットをやったが、「寒天」が僕には効いた様だ。「蕎麦屋」の店員さんとも顔なじみになったし。

その代わり、夕食を外食する時は思いっきり飲み、食べる。ダイエットで、逆にストレスを溜めるのが嫌だから、三食に一食は自由にしている。ただ、自宅で夕食を食べる時は、低カロリーのビールを飲んだら、御飯は食べない。御飯を食べる時はビールを飲まないようにしている。

先日、久しぶりに海外に行って思ったのは、日本で食べる料理が僕にとって、いちばん美味しいという事。これは海外から帰って来る度に再確認する事だ。
それといつでもどこでも、何か食べようと思ったら、食べられる事。これは、日本の「治安の良さ」(最近はそうでもないかも)とファーストフードやコンビニが僕の住んでいる周りに数多くあるから。

久しぶりに「飯盒炊爨(はんごうすいさん)」に行きたいと、今思った。子供の頃、親に連れて行ってもらったり、学校から行ったり・・・当時、ちょうど「ボンカレー」が売り出された頃で、コッフェルでお湯を沸かし、「ボンカレー」の袋を入れ、飯盒で御飯を炊いて、カレーライスを六甲山の自然の中で食べた。自然の中で食べると、「ボンカレー」の味もいつもと違う。美味しい美味しい想い出である。

大学のある町に「天ほう」という中華料理屋があり、ここの「天津飯」と「焼き飯」の「大」を頼むと、「洗面器」の大きさの容器に山盛り、出て来た。壁やテーブルにゴキブリとかが歩いている汚い店だったが、食べても食べても無くならない「天津飯」「焼き飯」の味を忘れることは無いだろう。もうこの店は閉店してしまったが。その「天ほう」の隣にある「居酒屋(名前は忘れた)」で、よくバスケットボールの練習の帰りに飲みに行った。当時はまだ日本酒に一級・二級酒とあり、その店の酒は安いのだが、「徳川家光」という二級酒で、必ず飲むと二日酔いになった。醸造用のアルコールがたくさん入っていたのだろう。この店の主人は「広島カープ」のファンで、「広島」が優勝したら、「酒はただにする」と宣言していた。僕達が大学生の時には、確か優勝は無かったと思う。

今日の夕方の日本テレビ「食べごろマンマ」を見ていたら、「広島の牡蠣」でお好み焼きというより、モダン焼きを作っていた。僕は牡蠣が大好きである。しかし、生牡蠣には、これまで三回「中っている」。
牡蠣に中ると、5分おきにトイレに行くというひどい下痢になり、そのうち、体内の水分が無くなってしまうのではないかという程、大変だ。一回目に中った時は、妹のダンナが医者なので、点滴を自宅まで打ちに来て貰った。
それでも、「食べごろマンマ」のプリンプリンの生牡蠣を見ていると、食べたくて食べたくて仕方が無い。
http://www.ntv.co.jp/tabegoro/

海に囲まれた島国の日本は「魚料理」は美味しいし、いろんな地方の鍋もこれからの季節最高だ。
「食文化」という点でいうと、まだ日本は世界にひけをとらないと思う。
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企画を考える時、七転八倒します。この人達のアイディアの作り方を知りたくて読みました。

2005年11月27日 | 本・雑誌・漫画
ひとつ上のアイディア。

インプレス

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天才と言えども、努力努力です。
86ページの「人は貧しいという理由で死んではいけない。」というコピーには、泣きそうになりました。
僕も仕事上で、今、アイディアに詰まっている事もあり、一気読みしてしまいました。面白かった。
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「トイレ」も様々だぁ~!!!!!

2005年11月27日 | 旅・外国
僕たちが生きていく上で、必要な事に「食べる」という行為がある。「食べる」が必要なら、「排泄」という行為も必要。さもなければ、体中、排泄物でパンパンになってしまう。

昔読んだ筒井康隆のSFに、どうしても「ウンコ」が出ない(便秘ではなく、ウンコがどこかへ消えてしまっている)話があった。オチは、「ウンコ」が「宇宙のブラック・ホール」に入って、「宇宙の一角」で山の様なウンコになっていたという事が発覚する。

今までいろんな国に行ったが、トイレがいちばんきれいだったのは、「ニュージーランド」。「公衆トイレ」もピカピカだった。

日本はトイレが「きれいな部類の国」に入ると思う。
 
こないだ行った「南アフリカ」は思ったより、トイレは「きれい」だった。土産物屋さんのトイレにも紙があり、ちゃんと使えたし、空港のトイレもきれいだった。

南米は地域によるが、ペルー・チリあたりでは、トイレはホテルで朝済まし、旅に出発していた。
あの銃撃戦で有名になったペルーの首都リマの「日本文化資料館(正確な名前は忘れた)」でトイレに行きたくなり、駆け込むと紙が無い。そこで、向かいのスーパーマーケットでトイレットペーパーを買いにいく。そういう時に限って、現地通貨の持ち合わせが足りない。すぐ、横に銀行があったので両替。トイレットペーパーを買って、元のトイレに戻ると、さっきは気付かなかったが、「便座」が無い。足が吊りそうになりながら、用を足した想い出がある。
この「便座」が無い国が結構イタリアなど、ヨーロッパでもある。「便座」が盗まれるのである。

南米のトイレのもう一つの特徴は「水の流れが弱い事」である。だから、おしりを拭いた紙は便器の横に置いてある「カゴ」に入れる。そうしないと、トイレが詰まってしまうからである。でも、南米のそういうところは、「乾燥」していて、臭いがしない。
もっと凄かったのは、以前、このブログにも書いたがペルーのリマから地上絵で有名なナスカ方面に行く途中のドライブインのトイレ。
店員さんに場所を訊くと、「ウラにあるよ!」と言われ、気軽にその部屋のドアを開けて、引っ繰り返りそうになった。僕の身長より高かったから、3メートルくらいのピラミッド状のウンコの山が部屋いっぱいにできていたのだ。多分、部屋の真ん中に便器があって、それが詰まり、向こうの人はそんなことは気にせず、どんどんウンコをしていった結果がピラミッドウンコ。僕はこれだったら、野糞の方がいいと思ったが、ホテルのトイレまで我慢する事にした。

イタリアのトイレで面白かったのは、トイレの「大」の方に入ると、足を置く「足型の島」がふたつあり、周りは「島」より低い穴になっている。用を足して、水洗のボタンを押すと、島の周りを水が凄い量とスピードで流れるのである。

だから、海外旅行で、帰りの飛行機に乗ると、ホッとするのである。飛行機のトイレには紙もあるし、ちゃんと水で流してくれるからだ。但し、「エア・インディア」と「パキスタン国際航空」のトイレは乗ってすぐ行った方がよい。
インドは、左手でお尻を拭く国だし、パキスタン国際航空も「南廻り」でチケットが「エジプト航空」と並んでいちばん運賃が安いので、香港あたりから、出稼ぎの人々がたくさん乗り込んできて、トイレが汚れてしまう可能性が高いからだ。

「用を足す」と言っても、エネルギーが必要な国はたくさんある。

余談だが、ボリビアとペルーの国境の町で「有料トイレ」に入って、小便をしようと思ったら、どこでしていいか分からない。チップをあげるトイレのおばさんに訊くと、ここだと言う。そこは、どう見ても、日本人なら手を洗うところの様に思える高さで、189センチの身長の僕がやっと、おちんちんを載せて小便できた。南米の人は足が長くてスタイルがいいのだとその時、実感した。
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「鉄腕アトム」白黒版のみ、DVDがありました。「アテンションプリーズ」は無かった。

2005年11月26日 | 映画・DVD・ビデオ
鉄腕アトム Complete BOX 1

コロムビアミュージックエンタテインメント

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「鉄腕アトム」のカラー版はDVDになっています。でも、僕にとっての「アトム」は、昭和38年1月1日にフジテレビで放送の始まった「白黒版」です。最初は、「アトムの足音」も「キュキュ」とは付いておらず、無音だったそうです。
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「アテンションプリーズ」と「鉄腕アトム」の歌い出しは似ている。

2005年11月26日 | 歌・CD
テレビドラマ「アテンションプリーズ」の主題歌の最初と「鉄腕アトム」の主題歌の最初が似ている事に気付いた。

「アテンションプリーズ」の一番の歌詞は、

陽に光り ひらける波を 今私は見る
アテンションプリーズ アテンションプリーズ
ゆれ動く 愛の雲間を ひとすじに
つづく私の エアルート エアルート
恋人は ここにもいないかもしれない でも
私は飛ぶ 私は飛ぶ 私は飛ぶ 飛ぶの

である。作詞が岩谷時子だったのには、びっくりした。「越路吹雪」のマネージャーであり、あの「愛の讃歌」を日本語に訳詞した人だからである。

「鉄腕アトム」の歌詞は、

空を越えて ラララ 星のかなた
ゆくぞ アトム ジェットの限り
こころやさし ラララ 科学(かがく)の子
十万馬力(じゅうまんばりき)だ 鉄腕(てつわん)アトム

耳をすませ ラララ 目をみはれ
そうだ アトム 油断(ゆだん)をするな
こころ正し ラララ 科学の子
七つの威力(いりょく)さ 鉄腕アトム

街角(まちかど)に ラララ 海の底に
きょうも アトム 人間守って
こころはずむ ラララ 科学の子
みんなの友達 鉄腕アトム

である。

どちらかをイントロから歌い出してみるといい。突然、反対の曲を歌いだしたくなるから。

こんな発見・・・どうなのよー
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