撮影所が好きだ。
「11PM」の取材で「大映京都撮影所」に行った事がある。道路工事に使う機械で演奏するドイツの過激バンドの撮影。
あの溝口健二、三隅研次、田中徳三、宮川一夫、勝新太郎、市川雷蔵、中村玉緒らが闊歩した撮影所だ。ワクワクした。
朧げな記憶だが、撮影所の正門を入ると、右側にA1スタジオ。左側に当時東洋一の広さを誇るA2スタジオ。既に、他のスタジオやオープンセットは売り払った後だった。
A2スタジオの中に入ると、入口の横に高さ5メートルはあっただろうか。巨大な「大魔神」の像が。
スタジオの中は土の床の上に、バンドのライブを聴きに来た若者たちで溢れ返っていた。
ライブが始まる。楽器は無く、道路工事の機械だけでの演奏。バンドのメンバーもライブの観客も、重低音なサウンドに酔い痴れる。
感極まって、ボーカルが観客の上にダイブ。その様子を取材カメラは舞台端から乗り出して撮影していた。
京都映画(現在・松竹京都撮影所)。ここには、朝の連続ドラマ「花いちばん」の撮影で行った。ヒロインが大店に嫁入りするシーン。
そのシーンに必要な「鯛」を美術部が監督に見せる為に持って来た。
その「鯛」(めでたい、という意味で嫁入りのシーンには鯛を使う)があまりにも小さかった。大きなザル。その大きさには程遠い「鯛」。
美術費が枯渇していた。監督が僕と美術部に激怒したのは言うまでもない。
この日、京都映画には「劇場版・必殺!(工藤栄一監督)」「テレビ版・必殺!」も入っていた。
京都映画のオープンセット三ヶ所に分かれての撮影。
一つの組が「本番」にいくと、あとの二つの組は音がしない様にして、身を潜める。
三組で本番の準備が出来た順番で、撮影していく。
その当時、今では考えられないくらい、京都映画は繁盛していた。
東映京都撮影所。
1992年夏。
「高校生クイズ近畿大会」の打ち合わせの為に、僕は東映太秦映画村を訪れていた。
「水戸黄門」「遠山の金さん」「大岡越前」「桃太郎侍」など、東映京都撮影所が作ってきた有名な時代劇の数々。
その中に出て来る「名ゼリフ」を映画村10ヶ所に配置された役者の皆さんの演技を見て憶え、MCの所に戻って来て、正確に言えたら、クイズを出題。クイズ正解で勝ち抜け。決勝へ。
このクイズをやる為に、大部屋の役者さん30人が必要なのだ。
「そいで、御予算は?」
と映画村の担当者。
「オープンセットの借り賃を含め、30万円しか無いのです」
と僕。
時代劇の場合、鬘合わせ・衣裳合わせで一日、本番で一日。
「二日稼働でその金額はあまりにも殺生でっせ!」と映画村担当者。
東映京都撮影所の元スタッフだった彼はしばらく考えて、こう言った。
「番組に出演した『役者の名前』をエンドロールに載せてもらえますか?」
僕はプロデューサーと連絡を取り、了承した。
その時、なんか、映画人の「優しさ」を感じていた。
「高校生クイズ」の本番。
急遽、「水戸黄門」の撮影が映画村のオープンセットに入る可能性が出てきたので、こちらの使う場所を3パターン考えといて欲しいと言われた。かなり慌てた。
結局、「水戸黄門」は入らず、「役者の皆さん」もしっかり演技をして下さり、いいクイズが出来た。
京都の三つの撮影所に関する思い出。