お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「都バス」de「よしもと」。

2006年01月31日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
2/1より、「都バス」の車内アナウンスに、「吉本芸人アナウンス」が登場。あの「レイザーラモンHG」も「都バスで、フォー!!!!!」。
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/bus/


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このシリーズはずっと家に置いておいて、休みの日に「ボーッ」と眺めているのがいいかも。

2006年01月31日 | 本・雑誌・漫画
世界「夢の旅」BEST50―Beautiful world (シリーズVol.3)

講談社

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最高の「癒し」です。「旅」にでたくてしかたがありません!!!!!

2006年01月31日 | 本・雑誌・漫画
完全保存版 世界「夢の旅」BEST50

講談社

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インターネットで見る事ができるライブ映像。(生中継です)

2006年01月31日 | インターネット
「世界貿易センタービル」が建っていた「グラウンド・ゼロ」の今の映像です。
http://www.earthcam.com/usa/newyork/groundzero/

「サンフランシスコ」の今の映像。
http://www.sfgate.com/liveviews/

「イエローストーン国立公園」の今。
http://www.nps.gov/yell/mammothcam.htm

「マウントラッシュモア」(大統領の顔が山に彫ってある所・・・ヒッチコックの「北北西に進路をとれ!」のラストシーンはここでした。)の今です。
http://www.travelsd.com/website/webcam/index.asp

「富士山」のライブ映像。
http://www.vill.yamanakako.yamanashi.jp/cyber/zekkei/zekkei.html

「関西テレビから見た大阪梅田」の今。
http://www.ktv.co.jp/



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「テレビ録画」ができなかった時代。

2006年01月31日 | エッセイ・日記・意見
長男は、毎週月曜日フジテレビで放送しているドラマ『西遊記』をとっても楽しみにしている。ところが昨夜、何か他の事をしていて、気が付いたら、『西遊記』が終わる時間になっていた。大泣きである。
「そんなん言うても、終わったもんはしょうないやろ!そんなに見たかったら、『フジテレビ』へでも行って見せて貰え!」
あまりうじうじしているので、少しキツイ事を言ったら、寝室へ行き、布団に包まってしまった。それから、約2時間、「悶々としていた」のか、布団の中でごそごそ起きていた。

来週からは、HDDで毎週録る事にしたが、僕が小学校5年生の頃は、一般家庭にビデオさえ無かった。見たい番組がある時は全力疾走で家に帰り、トイレも済ませ、準備万端で見たものだ。
その典型的な番組が「刑事コロンボ」。当時NHKで土曜よる8時からやっていた。「バスケ」の部活が終わると、自宅まで一時間半かかるので、いつも走っていた。それでもギリギリだった。
そういう意味では、「番組に対する有難み」は昔の方が大きかったのだと思う。

会社に入社して、初めて買った買い物が「ビクターのビデオデッキ」。とっても嬉しかった。

昨日、長男はどんな夢を見たんだろう・・・。

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万年筆「モンブラン」のあの数字は・・・

2006年01月31日 | エッセイ・日記・意見
「万年筆」が好きだ。中でも「モンブラン」の「マイスターシュテュック 146」は、書き慣れると、「自分の書き方に万年筆が寄り添ってくる感じ」が最高である。

この「モンブラン」・・・確かフランス語で「白い山」という意味だったと思うが・・・今日新たな発見をした。万年筆のペン先に刻印されている「4810」という数字だが、「モンブラン」という山の山頂の標高を表しているのだそうだ。ちなみにペンのキャップの先の白い模様は「モンブラン」という山の山頂のイメージ。

 今は違うかも知れないが、日本製の「プラチナ万年筆」のペン先にも、「3776」と刻印されていた事があった。言うまでも無く、「富士山の標高」である。

 何気なく見過ごしている文字や数字にも、作っている人の「気持ち」が込められているのである。
 
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映画「単騎、千里を走る。」

2006年01月31日 | 映画・DVD・ビデオ
紅いコーリャン

紀伊國屋書店

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「単騎、千里を走る。」を観た。チャン・イーモウ監督作品。主演は高倉健。チャン・イーモウ監督の映画はデビュー作の「紅いコーリャン」からずっと観ている。「紅いコーリャン」を観たのは、今はなき、「梅田コマ劇場」の地下にあった「コマ・ゴールド」という汚い映画館だった。音響も悪く、スクリーンも小さくて、映像がはみ出していた。先輩からとってもいいと薦められて、あまりというか、ほとんど「中国映画」に興味の無かった僕は全くフラットな気分で観に行った。そして、あまりの素晴らしさに、度肝を抜かれたのを思い出す。1987年、入社4年目の事である。それから、「菊豆(ちゅいとう)」「紅夢」「秋菊の物語」「活きる!」「上海ルージュ」「あの子を探して」、そして「初恋のきた道」で最高!と思い、「至福のとき」・・・「HERO」では途中で寝てしまい、「LOVERS」で「竹薮の中での格闘シーン」に魅了される。

僕的には途中、面白くない映画を撮っていた時期もあったが、「単騎、千里を走る。」はどちらかというと、「初恋のきた道」路線で、中国でのシーンには、高倉健以外、ほとんどの出演者が「素人」。その「素人」の持ち味を引き出すのがチャン・イーモウは上手い。キャスティングの段階で、「村長役」には、実際の村長を、ガイド役には実際のガイドを選んでいるので、彼らにそのままのキャラクターでいて貰えれば、「プロの役者」が勝てるはずが無い。

そうした「中国の農村の人々」の中で、高倉健は204作目にして、今までと違う「味」を出しており、「存在感」が凄い。

中国でも、北京とか上海とかと違って、田舎の農村の方に行けば、こんなに豊かな風景と本当に人間らしい「喜怒哀楽をはっきり出した人達」がいる事に、「中国」という国の奥深さを感じた。中国の撮影監督の撮った「雲」や「山」や「谷」など、さりげない「画」が強烈に僕の心に沁みた。

日本のシーンもあり、チャン・イーモウ監督の意向で、「日本を撮るのは日本人」という事で、「日本ユニット」として、「鉄道員(ぽっぽや)」の降旗康男監督、木村大作撮影監督ほか、日本人スタッフが参加している。チャン・イーモウ監督は、日本での撮影すべてを日本のスタッフに委ねたのである。

もう一つビックリしたのは、この映画のプロデューサー・江 志強(ビル・コン)。香港のインデペンデント映画会社の社長でもある。この人が作った映画に、僕の大好きな韓国映画「僕の彼女を紹介します」が入っているのだ。アカデミー賞を取った「グリーン・デスティニー」や「HERO」「LOVERS」のプロデュースもしている。

「単騎、千里を走る。」は、「高倉健」の為に書かれた脚本である。ストーリーの構成が素晴らしい。僕の予想を裏切る展開。映画全体にキャスト・スタッフの静かなエネルギーがあふれている。「日劇2」を出た後、エレベーター・ロビーにいる時、僕は久々に「映画の余韻」に浸っていた。

「THE有頂天ホテル」も同じ「日劇1」でやっていて、先週観たのだが、この違いは何なのだろう。「日劇1」が満員で、「日劇2」はガラガラ。「THE有頂天ホテル」が「ライブドアのホリエモンを選挙に担ぎ出した小泉純一郎」に思えてきた。

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亡くなる10時間前の「結婚式」。

2006年01月31日 | エッセイ・日記・意見
今年1月4日に亡くなった「シェリー・ウィンターズ」という女優を御存知だろうか?t彼女の60年という女優キャリアの中で、僕が接したのは「ポセイドン・アドベンチャー」。
ラストの方で、「太ったおばさんが実は水泳が得意で、他の人を助け、自分は死んでいくという役」を演じていた。

彼女は2度の「アカデミー賞受賞」と4度の「結婚歴」があり、バート・ランカスターやマーロン・ブランドとも噂があった事で知られている。

その彼女は、息を引き取る10時間前に18年来の恋人と結婚した。この最後の恋人との関係は、財産を管理する娘に反対されて結婚を諦めていたのだが、亡くなる前夜に媒酌人を呼んでベッドの上で誓いの言葉を交わしたという。「週刊現代」今週号に乗っていた記事である。

つまり、最後の結婚生活は10時間だったという事になる。享年85歳だった。「幸せの時間」の中で、この世にバイバイしたのかも。



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人の顔が憶えられない!!!!!

2006年01月30日 | エッセイ・日記・意見
仕事をしていると、いろんな分野の会社の人に会う。しかも、何年に一度しか会わない人もいる。「通勤の電車の中」「キー局」等で、突然挨拶をされたりする事があり、心の中では困惑しつつも、会話を合わせてみる。
「誰だったけー?????」
と、心の中で叫びながら。
途中で分かった時は、上手く相手の話に乗っていく。こんな事は珍しくて、「相手が誰か分からないまま」5分以上も喋って別れる。
「今度、飲みましょうね!!」
等とお愛想を言いつつ・・・
だから、気が付くと、同じ人の名詞が三枚あったりもする。と、いう事は「相手」も僕の事が誰だか分からないまま、喋っていたのだろう。

逆に、「記者会見」とかに行って、一緒にドラマをやったマネージャーとかと偶然会う事もある。
「顔がそっくりなんだけどなぁ~」
と思いつつ、なかなか声をかけ辛い。勇気を出して話しかけてみると、話が弾むのだが・・・声をかけそびれて、自分自身にちょっと腹が立ったりもする。
 だから、「営業部門の名刺」には、「顔写真」が入っている事がままある。「人の顔を憶えるのが苦手な僕」には、そんな事がとても助かる。

スタッフはいいが、一緒に番組をやった俳優さん等のキャストに関しては「微妙」である。こちらサイドは、「絶対憶えてくれているだろうなぁ」と思っていても、なかなか、こちらからは声をかけるのは躊躇われる。「キャスト」はいろんなスタッフといろんな番組で仕事をしているので、声をかけた時、リアクションが無かったらどうしよう!と心配性の僕は考えるのである。そんな時、俳優さんの方から、声をかけられると、ホッとする。嬉しい。一緒に仕事をやって良かったと思ってしまう。自意識が過剰なんだろう。「恥」をかきたくないのだ、きっと。

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大切な「名刺」。

2006年01月29日 | テレビ番組
「手塚治虫」の名刺です。
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「火の鳥」も・・・

2006年01月29日 | テレビ番組
和登さんを描いて貰っていたら、プロデューサーが入ってきて、「今日、○○(僕のこと)は初めてのディレクターだったんです」と、手塚先生に告げると、さっと僕の手元の台本を取り上げ、「火の鳥」を描いてくれた。手塚先生は、「漫画を描く現場」におられる時は、厳しい人だったけれど、新人ディレクターの僕には、取材現場でも優しく丁寧に接して下さった。
スタッフがゲストの方に、サインを貰うという事は「御法度」なのだが・・・後にも先にも「サインを貰った事」はこの時だけ。そのことは今でも後悔していない。

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僕の大切な「宝物」です。初めて「ディレクター」をした時、手塚先生が描いて下さった和登さん!!!

2006年01月29日 | テレビ番組
1985年3月21日に、僕はテレビディレクターとしてデビューした。その時のゲストが1989年2月9日に亡くなられた「手塚治虫先生」。番組が終わり、メイク室にいらっしゃった手塚先生のところに挨拶に行った時、この「三つ目がとおる!」の和登さん(僕が手塚漫画でいちばん好きなキャラクター)を目の前で15秒位で描いて下さった。「夢の様な気持ち」。

今は、自宅の僕の机の横の壁から微笑んでくれている。あれから20年以上の月日が経ったとは・・・思えない。
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「運転免許証」の更新。

2006年01月29日 | 家族
2月27日が誕生日。今年は「運転免許証」の更新なので、今朝7時に起きて、府中の試験場まで行ってきた。本来なら、地元に警察でもできるのだが、「一回、駐車違反でレッカー移動」をされているので、試験場でないと更新ができないのだ。午前8時半から、手続きが始まると、送ってきたハガキに書いてあったので、午前7時半過ぎに行ったら、既に「試験場の駐車場」は開いており、「試験場入口」に長蛇の列。
僕もすぐ車を止めて、その列に並んだ。午前8時ちょうどに手続きが始まり、「書類記入」「収入印紙の購入」「視力検査」を経て、8時50分から2時間、「講義」を聞く。日曜日に「更新の手続き」をしているのは「試験場」だけなので、3000人を超える人々が府中だけで、訪れるそうだ。
しかし、「講義」は眠かった。最後の方は意識を無くしかけていた。

でも、昔みたいに「写真」を撮って持って行ったり、新しい「免許証」を作るのに時間がかかり、郵送手続きをするなどという事はなく、午前11時過ぎには解放された。

上の写真は「試験場の外にあったポスト」。懐かしい。

免許を取ったのは、昭和54年。大学1回生の冬だったと思う。今はシステムが違うかもしれないが、「教習所内での試験」と「路上運転の試験」があった。前者は卒なく合格。
後者は、「まもなく教習所という所にある阪急電車の踏切」が鳴り出し、踏切り待ちをして、スタートする時にエンコして、一回目は「不合格」。当時は、「マニュアル車」だったので、「踏切」までたどり着いて安心し、止まった時のギア(セカンド)のまま、発車しようとしたのがエンコの原因。お陰で1万円も余分に払い、補習を2時間受けて、再テスト。今度は「合格」した。

今の若い世代の人には、「マニュアル車」と言っても分からないかもしれない。新米ドライバーが免許を取って、いちばん怖いのが、上り坂で止まった時。「坂道発進」をしなければならないからだ。「クラッチをつなぎながら、アクセルを踏み、サイドブレーキを下ろす」という作業が必要で、後ろに別の車が停まっていたら、「緊張感」みなぎる状況になった。
今の「オートマ車」では考えられない事だ。

いずれにしても、もう二度と「教習所」には行きたくないと思ったものだ。

妻は、長男のサッカー関係の「懇親会」に昨夜行き、今日は二日酔いでダウン。長女は調布市の開催する「駅伝」に中学の陸上部として出て、疲れ果てて帰って来て、今は寝ている。長男はサッカーの試合でまだ帰ってきておらず、次男は「カブト虫」のDVDを見ている。これが「平和なひととき」なのかもしれない。
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「東レ・アローズ」勝利バンザイ!!!!!

2006年01月29日 | 健康・スポーツ
「東レ・アローズ」が「パイオニア・レッドウィングズ」に勝ちました。万歳!!!もちろん、女子バレーボールのVリーグ首位決戦の話。「メグ」「カナ」対決も見られたし、ここ数年、女子バレーフリークの僕としては、「大山加奈」が好きなもので、今日午後の試合に熱が入りました。「木村沙織」もあいかわらずの「天然系」でとても充実したひととき。
http://blog.goo.ne.jp/kana0619/

その後、昨日録画しておいた「JT×デンソー」戦を見て、久々の「竹下佳江」のセッターの上手さ、そして「菅山かおる」の器用さに感嘆。宝莱もちよっと不安定ではあったが、結構スパイクを決めていた。「デンソー」には、全日本女子の「リベロ」櫻井由香もいたが、「JT」は危なげない展開で勝利。

同じく、昨日録画した「NEC×久光製薬」戦に、「アテネ五輪」の「リベロ」成田郁久美が出ていたのにはびっくり。「アテネ」の時は「メグ」「カナ」等に注目が集まり、そんなに目立たない選手だったけれど、結婚していてもコートで頑張っている彼女の姿を見ると、本当にバレーボールが好きなんだなぁ~と思い、「北京五輪」には出れないけれど、「パイオニア」の吉原知子と共に、忘れられない二人の選手。

スポーツ中継はドキドキして見られるので僕の数少ない楽しみなのだ。

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長男の「メガネ」。

2006年01月28日 | 子供・動物・生き物・ペット
長男と今日、「眼科」に行った。教室の前から二列目なのに、黒板の字が見にくいというのだ。小学5年生。

最近の「眼科」は「コンタクトレンズ」にする人が多いせいか、「眼科」の隣に、「コンタクトレンズ屋」があり、僕も初めて「コンタクト」を作った時は、そこで買ったのだが、家電量販店の「さくらや」で「コンタクトレンズ」が安く買えると知り、その「眼科」で処方箋を書いて貰い、帰ろうとすると、横の「コンタクトレンズ屋」に誘導しようとするので、事情を説明したら、「隣の店で買わないと、処方箋に書いてある事は保証できない」と「眼科の受付」に言われ、「それでもいい」というと、「さくらや」に行くなら、二度と来るなという様な事を言われ、もちろん、二度と行っていない。それに「さくらや」のコンタクトレンズ売り場の下の階に「眼科」があるので、とても便利だから。
http://www.sakuraya.co.jp/shop/shi_megane.html

今日、長男が診察を受けた「眼科」はとても親切で、どこの「眼鏡屋」「コンタクトレンズ屋」ともつるんでおらず、「処方箋」を書いてくれた。
「もし『メガネ』を作って合わないという事があったら、私の方から連絡を取って、苦情を言いますので教えて下さい」ととても丁寧で誠実な先生の対応に感動すらしてしまった。

僕も妻も「目が悪い」ので、遺伝したのかもと思うと、切ない。僕の場合は、幼稚園に入る前、高熱の為、「斜視」になり、両目とも「手術」を受けている。メガネをしたのは、高校生の頃。きっかけは、「映画の字幕が読みづらくなった事」である。それからずっと、メガネで通し、大学に入って、「ハードコンタクトレンズ」を半年間着けたが、「目に強い異物感」があり、メガネに戻した。

2年ほど前に、やたらと「左肩が凝る」ので「、眼科」に行ったら、「左右の度数」が大きく違うので、メガネで視力を矯正していると、「脳」が疲れ、それが「肩こり」に表れていると言われた。つまり、「メガネ」の場合、目とレンズの間に空間がある。その事により、「網膜」に映る像の大きさが違ってくるのだ。それを「脳」が一生懸命、常に合わせようとするので、「脳」が疲れる。つまり、「コンタクトレンズ」に換えれば、「コンタクトは目の上に乗っている」ので、「網膜に映る像の大きさ」は同じになり、「脳」が疲れない。つまり、「肩こり」も起きない。

という訳で、「ソフトコンタクトレンズ」に換えた。最初は「一ヶ月使用」のもの。これが合わず、「二週間使用」に変えてもらい、これもダメで、今は「毎日換えるコンタクト」を使っている。確かに、魔法の様に「肩こり」は無くなった。
「ソフト」は、「ハード」と違って、一旦着けてしまえば、落ちたりはしないので、助かる。「ハード」の時にあった「異物感」もあまり感じない。ただ、長時間着用していると、ドライアイになって、しんどくなってくるので、極力着ける時間を短くしている。朝は会社に着いてから着ける。帰宅したら、外す。夜、打ち合わせ等で外食する場合は、途中でしんどくなったら外す事にしている。土日のどちらかは「コンタクト」を着けない様にもしている。

長男が「眼科」でメガネを作る為の「視力検査」をしているのを見ていて、子供の頃の自分とダブる様な気持ちになった。子供の「成長」と「自分の親の気持ち」に気付いた一日だった。


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