2月27日が誕生日。今年は「運転免許証」の更新なので、今朝7時に起きて、府中の試験場まで行ってきた。本来なら、地元に警察でもできるのだが、「一回、駐車違反でレッカー移動」をされているので、試験場でないと更新ができないのだ。午前8時半から、手続きが始まると、送ってきたハガキに書いてあったので、午前7時半過ぎに行ったら、既に「試験場の駐車場」は開いており、「試験場入口」に長蛇の列。
僕もすぐ車を止めて、その列に並んだ。午前8時ちょうどに手続きが始まり、「書類記入」「収入印紙の購入」「視力検査」を経て、8時50分から2時間、「講義」を聞く。日曜日に「更新の手続き」をしているのは「試験場」だけなので、3000人を超える人々が府中だけで、訪れるそうだ。
しかし、「講義」は眠かった。最後の方は意識を無くしかけていた。
でも、昔みたいに「写真」を撮って持って行ったり、新しい「免許証」を作るのに時間がかかり、郵送手続きをするなどという事はなく、午前11時過ぎには解放された。
上の写真は「試験場の外にあったポスト」。懐かしい。
免許を取ったのは、昭和54年。大学1回生の冬だったと思う。今はシステムが違うかもしれないが、「教習所内での試験」と「路上運転の試験」があった。前者は卒なく合格。
後者は、「まもなく教習所という所にある阪急電車の踏切」が鳴り出し、踏切り待ちをして、スタートする時にエンコして、一回目は「不合格」。当時は、「マニュアル車」だったので、「踏切」までたどり着いて安心し、止まった時のギア(セカンド)のまま、発車しようとしたのがエンコの原因。お陰で1万円も余分に払い、補習を2時間受けて、再テスト。今度は「合格」した。
今の若い世代の人には、「マニュアル車」と言っても分からないかもしれない。新米ドライバーが免許を取って、いちばん怖いのが、上り坂で止まった時。「坂道発進」をしなければならないからだ。「クラッチをつなぎながら、アクセルを踏み、サイドブレーキを下ろす」という作業が必要で、後ろに別の車が停まっていたら、「緊張感」みなぎる状況になった。
今の「オートマ車」では考えられない事だ。
いずれにしても、もう二度と「教習所」には行きたくないと思ったものだ。
妻は、長男のサッカー関係の「懇親会」に昨夜行き、今日は二日酔いでダウン。長女は調布市の開催する「駅伝」に中学の陸上部として出て、疲れ果てて帰って来て、今は寝ている。長男はサッカーの試合でまだ帰ってきておらず、次男は「カブト虫」のDVDを見ている。これが「平和なひととき」なのかもしれない。