「私は近畿大学の◯◯教授の研究室で勉強していたのです」
アフリカ・ケニア、首都ナイロビの公園で僕は一人の黒人に日本語でそう話しかけられた。長閑な真昼の出来事だった。
彼は隣国からの難民で、かつて日本にいたそうだ。その話に興味を持った僕はしばらく彼の話を頷きながら聞いていた。
「私はどうしても日本の近畿大学へ戻りたい。だけど難民なので今あまりお金を持っていないのです。少しだけでいいのでお金貸してくれませんか?」
「これは怪しい」
と僕の心がつぶやいた。
半ば強引に彼との会話を止め、その場を急いで離れた。
すると、彼を始め数人の仲間が執拗に僕をつけて来る。街の角を曲がっても角を曲がっても。僕を追い詰めようとしている。
荒手の集団詐欺だと確信した。心の底から湧き上がる様な危険を感じた僕は慌ててタクシーを拾い、ホテルへ向かう。危ない危ない。ナイロビは隣国や田舎から仕事の無い人々が集まって来て、治安が非常に悪くなっていた。
猛暑のナイロビ、真っ昼間。
僕はエアコンが程良く効いたホテルの部屋で大好きな赤川次郎や西村京太郎の本を読んでいた。
はるばる20時間以上かけてやって来たアフリカ・ナイロビ。灼熱の太陽光が降り注ぐ中、ライトノベルやトラベルミステリーを読んでいるその時間が、僕にはとてもとても贅沢な時間に思えた。
夜、ナイロビのちょっと高級な日本食レストランで夕食を摂ろうと思った。途中にある昼間行った例の公園は
「夜になると木の上から強盗がいつ降って来てもおかしくない程治安が悪い」とフロントで言われ、タクシーを呼んでもらう。
レストランで食事とウィスキーの水割りを頼む。
しばらくして、水割りが来た。
僕はグラスに目を凝らした。
キューブアイスの中に「ハエ」が固まって入っていた。すぐに店長を呼ぶ。
キューブアイスを指差して、その事を猛抗議する。
「氷の中にハエが入っている」と。
店長曰く、「ハエは氷が凍った時に入ったのでしょう」。
「そんな事、訊いて無いないわい」と僕。
何故こちらが猛然と抗議しているのか、全く分からないという彼の憮然とした表情。
「郷に入れば郷に従え」
そんなことわざが僕の心の中に浮かんだ。
食事をしてお腹いっぱいになり、レストランの隣のバーで飲む事にした。バーはすし詰め状態。
白人・黒人など多国籍状態。
カウンターに「ダークダックス」の様に半身で並んでお酒を飲んでいると、一人の黒人女性が近付いて来た。
「これからホテルに行こう」
娼婦だった。彼女の話を詳しく聞くと、子供がたくさんいて彼女が養って行かなければならないとの事。
「だから娼婦をやっている」
彼女は切実な表情で僕を見上げた。彼女の黒い額が何故か照かっている様に僕には見えた。彼女は必死の目をしていた。
僕は彼女の申し出を断った。どこかで後髪引かれる思いがした。
カウンターを離れ、精算を済ませ、タクシーでホテルに帰った。
娼婦。世界最古の商売と言われる。彼女の働いたお金で育てられているたくさんの子供達。そして彼女自身。生まれて来たからには、「生き続けなければならない」。
僕には踏み入れられないものがそこにはあった。一生忘れられないナイロビの夜の出来事だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます