アフリカ専門旅行代理店「道祖神」の手配した車が迎えに来て、アンボセリ国立公園へ向かう。ナイロビを出て15分、未舗装の道、砂煙を上げながら猛スピードで走っていると、きりんの群れを発見。興奮。アフリカに来た事を実感。それから、象・インパラなどを見ながら自分が別世界に来た事を感じる。ナイロビから5時間程未舗装路を走っただろうか、目的地のアンボセリ国立公園のホテルに到着。ここはアフリカ最高峰キリマンジャロ眼下のサバンナを臨む国立公園である。ここは周りに有刺鉄線が張り巡らされており、野生の猛獣が入って来る可能性がほぼ無い宿泊施設。部屋に案内される。緑のテント生地で覆われ、セミダブルのベッドが据え付けられている。
昼食は野外レストランでバイキング。私以外は大勢のグループ。テーブルに誰かがいる。私は一人で食べている。骨付きの肉を食べ終わり、他の料理を取ろうと席を立った瞬間、空を舞っていた鷲が急降下してきて、私の食べ残した骨付きの肉を皿に接する事無く咥え、急上昇した。周りの欧米人から大歓声が沸き起こった。なんか、野生の中に来たとつくづく実感した。大地は生きているのだ。
野生動物は昼動かない。暑さで体力を奪われない為だ。彼らが動くのは薄暮と早朝。雲がかかっていたキリマンジャロから雲が無くなるのもこの時間帯。
だから、夕食後、くっきりと浮かび上がったキリマンジャロの下、動物たちを観るのはこの時間帯。
もう少し夜が更けてくると、ホテルの広場で焚火が設けられ、ギター弾きがアフリカの音楽を奏でる。
お酒を飲みながら、サバンナを見て、音楽を楽しむのはとてもとても贅沢な時間である。
翌早朝、ランドクルーザーに乗ってフォトサファリへ。離れた動物達を写真におさめる為、望遠機能がついたカメラを持って来た。ぞうやインパラ、きりんやライオンの群れを観る。ライオンは雌ライオンが狩りを行ない、雄ライオンは何もしない。いろんな動物の生態を間近で見られて満足。
アンボセリ国立公園を後にし、車で空港へ。空港からセスナ機に乗り込み、大地溝帯を一気に乗り越える。空港に着いたら、別の自動車でマサイマラ国立公園内のホテルへ。ここは有刺鉄線では囲まれていない。部屋はツインのベッドルームとトイレ・シャワールームの二つに分かれている。
昼間は野生動物が動かないので、レストランまで一人で行けるが、夜はマサイ族の男性がライフル銃を持ってやって来る。それぞれの部屋まで迎えに来て、照明で辺りを照らしながら、二人でレストランに向かう。時々、急にライフルを動かすので、それが怖い。食後再びマサイ族に連れられ、自分の部屋に戻る。
深夜、トイレで用を足していたら、トイレ・シャワールームを擦りながら歩いている野生動物の音がする。ベッドルーム戻るにはこちら側のファスナーを開け、50センチの「外」を通り、ベッドルームのファスナーを開け、入ってファスナーを閉める。
この50センチが短い様で長い。テントの周りを回り続けている野生動物が何者だか分からないので、らいおんやサイ、ひょう、象など想像力は膨らみ、足が動かない。なおも巨大動物がテントに身を擦り付ける音がする。
一時間、その音が徐々に消えていった。ファスナーからファスナーへ、ベッドルームにたどり着いた。ホッとしたのか、ベッドに倒れこみ、深い眠りについた。
翌早朝、車に乗って、気球の出発地点に。朝四時。大きなバーナーから炎が上がり、気球が徐々に膨らんでいく。気球に乗り込んで、大空からの「バルーンサファリ」。かなりのスピードで飛ぶように走って行くインパラを空の上から見るのは爽快だ。しかし、この「バルーンサファリ」が動物をケニアからタンザニアに移動させ、ケニアでサファリで動物を見つけるのが難しくなってきたというのである。気球は朝のそよ風に乗り、広大なサバンナの上を音も立てず、滑る様に飛んで行く。
気球がランディングし、マサイ族の戦士四人が守る中、大きなビニールシートを敷き、サバンナの中での朝ごはん。気球の飛行で使ったバーナーを使ってソーセージが焼かれる。朝なので、野生動物が活動している中での朝食は襲われないかと緊張する。しかし、早朝から起きているので、ソーセージと卵、パンのゴハンはとてつもなく美味しく感動的でさえあった。
ホテルに戻って部屋でしばしの休息。下痢が止まらなくなる。変に動いては治るものも治らないと思い、夕方の「フォトサファリ」はキャンセルし。抗生物質を飲んでベッドで寝続ける。海外での体調変化は休養を取る事が必須だ。
翌朝、最後の「フォトサファリ」に参加。フランス人五人と私の六人のサファリ。
フランス語しか通じないので、少し気づまりだ。フランス人は別の車に乗った騒がしいアメリカ人を見て、「田舎者」という表情していた。私の思い過ごしだったのか?
マサイマラ国立公園から車とセスナ機に乗って首都ナイロビに戻り、パキスタン国際航空でカラチ経由日本へと向かう。初めてのアフリカでいろんな経験ができて有意義な旅だった。
(1987年)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます