「11PM」のタイムキーパー(番組を時間内に収める人)をやっていて感じた事。
それぞれのディレクターの個性をしっかりと把握する必要があると。せかせかした人もいれば、のんびりした人もいる。個性によって、「時間読み」も違って来るのである。
「木曜イレブン」のプロデューサーであり、ディレクターでもあるNさん。「鳥人間コンテスト」のディレクターも長年務められた。
Nさんの印象は「静か」で「聡明」な人。
僕のAD修行時代、Nさんの取材によく同行した。
ある日、取材は手際良く終わり、大阪空港からタクシーで局に帰る最中、凄い豪雨だった。
Nさんが今回の取材に関して、僕にアドバイスをしてくれている様子。
しかし、普段からNさんの声は小さい。外の豪雨の音も相まって、全くアドバイスが聞こえない。
僕はNさんの方を向き、時折無理矢理相槌を打つが、その相槌のタイミングが違う様だ。怪訝な顔のNさん。
Nさんはサブでディレクターをやっていても静かだ。必要な画だけをスイッチャー(カメラを切り替える人)に伝え、後は悠然と構えている。
Nさんがディレクターだと、インカム(ディレクターやスイッチャーがスタジオに指示を出すシステム)回線が静かでとても「タイムキーパー」がやりやすかった。
普段、本番の無い日、Nさんは帰る時、ジーパンの後ろポケットに翻訳物の文庫を入れ、手にはカバンも何も持たずに静かに席を後にする。その姿がとってもカッコ良かった。
「木曜イレブン」のディレクター Iさんは「全共闘世代」。
売れる前の「タモリさん」を「イレブン」に出演させた人。「タモリさん」がイグアナのマネをしていた頃の事。
この人は色んな分野をやるが、「文化の匂い」がする「考現学(現代を考える学問)」が特に得意。理論派。
藤本義一さんとスペインにロケに行って、天本英世さん(主に悪役を演じた俳優)を出演させたのもこの人らしい。
ディレクターのMさん。普段は本当に温厚だが、ディレクター席に座ると人格が変わる。
髪を振り乱してとことん五月蝿く狂気の人になるのである。
これほど、豹変する人を見た事が無い。Nさんがディレクターをやる時、僕はタイムキーパーとして、静かに存在を消す様にしていた。
若手筆頭ディレクターのSさん。「11PM」でも毎回、斬新な企画をやっていた。出演者やスタッフのテンションを上げるのが天才的に上手かった。
「藤本義一、風俗嬢と1時間生電話」等。
Sさんは後に「鶴瓶・上岡のパペポTV」「大阪ほんわかテレビ」「ざまぁKANKAN!」「EXテレビosaka」「ダウンタウンDX」等の番組を立ち上げる。僕らADの麻雀仲間でもあった。お酒は一滴も飲めない。
「火曜イレブン」。プロデューサー兼ディレクターはOさん。元々は「照明」。現場叩き上げという印象が強い。
地声が大きく、カッとなりやすい傾向もある。見るからにディレクターっぽい人。
生放送中にディレクター席からスタジオにいるフロアディレクターのミスに
「憶えとけよ!◯◯」と怒鳴った時の怖さが忘れられない。
K.Kさん。職人ディレクター。「火曜イレブン」の担当が2週に一回回って来ても、テーマを見つけてさりげなく良質の番組を作っていく。この人の怒った姿を見た事が無い。
同じく、「火曜イレブン」。K.Yさん。音楽が好きで人脈が途轍もなく広い。K.Kさんと共に、2週に一回ディレクターをやっていた。
僕が2週に一回テーマを見つけてディレクターする立場だったら、気が狂いそうになっていたかも知れない。
当時はまだインターネットも無い時代。番組のテーマを見つけるにも全て自分で考えなくてはならなかったからだ。
K.Yさんはスタッフと飲みに行っても、二次会に行く途中でフェードアウトするのが巧かった。イイ意味で「自由人」。
人脈の広さゆえ、毎年、制作部に来る年賀状の数ではぶっちぎりの第一位。
僕の2つ上のディレクターYさん。とても優しい。人格者。
Yさんのディレクターデビュー作「歌手・上田正樹の世界」の大阪・鴫野ロケでは僕と同期のSが収録テープを持って駆けずり回った。
放送された番組はYさんの「優しさ」が滲み出た良い番組だった。
他にも入れ替わり立ち替わり、「11PM」のスタッフは変わったが、主にこの様な面子でやっていた。
最後にチーフ・プロデューサーのTさん。「鳥人間コンテスト」のプロデューサーでもある。
お酒が好きで、よく飲みに連れて行ってもらった。少し不器用なところがあったと思うが、僕はTさんのそんなところが好きだった。AB型で普段は常に冷静だった。
藤本義一さんがリハーサルまで、局の隣のステーキハウス「ティジャ」で水割りを飲んでいる。それに毎週火曜日と木曜日付き合っていたのがTさん。
藤本さんの信頼は絶大だった。
「11PM」の会議・慰安旅行で「ソープランドの街」として有名な雄琴温泉にプロデューサー・ディレクター全員で行った。
温泉に入り、午後3時から、旅館の大広間での会議。「何が『イレブン的』か?」で若手とベテランが大討論になった。
そもそも、「イレブン的」と言った時点で、「既成の番組を念頭に置いて作っていないか?」と若手。
それに反論するベテラン。良い意味で、「11PM」という番組への熱い情熱が両者共にあったと思う。
周りの「ソープランド」の灯りが一つまた一つと消えてゆき、やがて外は真っ暗になった。
時刻は午前0時を回っていた。
会議は結論が出る事無く解散。若手は勝手に麻雀を始めていた。
「オレも混ぜてくれ!」
Nプロデューサーが来て、僕たちにそう言った。5人麻雀が始まった。
朝、何台かの車に分乗して「ソープランドの街・雄琴温泉」から帰る時、誰かが言った。
「『雄琴』の稲は成長するのが速いんだよなぁー。夜も周りの『ソープランド』のネオンが明るく輝いているから」
我々は「ソープランド」には行き損なったが、何か「大切なもの」を得た気がしていた。
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