「11PM」の生放送冒頭、水着ギャルの顔のアップからカメラが引いて来て、全身になるカットがある。
その20秒のカットに「踊り子が踊る、動くスーパーテロップ」が上に乗っかる。
1983年当時、「生のスタジオの映像に、『動くスーパーテロップ』を乗せる」為には、タイムキーパーが「テレシネ(フィルムを再生する部署。タイムキーパーがフィルムを事前に持って行く)」にマイクで呼びかけ、フィルムを再生してもらっていた。
いわゆる、「ダバダバダバダバ」という部分である。
入社したての僕たち新人ADの仕事は、「水着ギャルのポーズ付け」。
火曜イレブンは毎週、「水着メーカーや航空会社のキャンペーンギャル」が週替わりで来ていた。密かにどんなギャルが来るか楽しみにしていた。
「ポールを持って踊る水着ギャル」の事前収録も担当。この時代、まだ売れる前の山口智子や鷲尾いさ子なども来ていた。
「モデル」と違って、「キャンペーンギャル」の多くは「どんなポーズをしたら、セクシーに映り、テレビの前の男性視聴者が喜ぶか?」がまだ身に付いていない子が多かった。
CM入りの5秒カット(Qショットという)で、あらかじめ「ギャル」と話をしながら、僕たち新人ADはポーズを決めていく。カメラさんとも生本番中に打ち合わせ、「足元から舐める様に撮って下さい」とか指示を出していた。
毎週の事だから、段々こちらも「セクシーショット」のアイデアが無くなってとても困る事がある。
木曜イレブンの「ギャル」は1〜2年の固定制。
僕が「11PM」をやっていた時、一緒に仕事をしたのは、「松本真実」と「小野リエ」。
特に「小野リエ」は普段モデル業もやっていたから、「Qショット」が来る寸前まで、ダランとしていても、自分で瞬時にポーズを付け、それが男心をそそった。自分がどう男性に見えているか、彼女はよく分かっていた。
「松本真実」は「真面目な女の子」だった。僕らと相談しながら、ポーズを作ってくれていた。
2年の歳月が流れ、「松本真実」が番組を卒業する事になった。
その頃、「11PM」のスタッフから「『松本真実』が僕の事を好きだ」と聞いた。
極度の人見知りの僕は「女性」を好きになると猪突猛進。「女性」の重荷になって、大概フラれてしまう。
そして、「『女性』が僕を好きになっているか?」に気が付かない事が圧倒的に多かった。
そんな事に、とっても疎かったのである。「女性」の「仕草」「顔の表情」「言葉」の意味がさっぱり分からない。男子校育ちだからか。
当時、「番組制作」の仕事がとっても楽しかった。不規則な仕事で「恋人とデートする時間」もほとんど無かった。
25歳前の僕にはまだ「結婚願望」も無かった。
「松本真実」のお別れ会の日が来た。一次会は藤本義一さんも出席され、彼女とスタッフで鍋を囲んだ。寒い冬の夜だった。
二次会はミナミのディスコ。僕はイイ感じで酔っていた。
最後は「松本真実」と全スタッフが一人一人握手。それぞれが言葉を交した。
スタッフが気を利かせたのか、僕が最後になった。
「松本真実」の目を見つめた。泣きそうな顔になっていた。
身長188センチの僕は屈みながら、170cmの彼女の唇にフレンチキッス。
周りから何故か湧き起こる拍手。
あれから40年以上。「松本真実」は結婚して子供もいるのだろうか?同じ東京の空気を吸っているのだろうか?
「11PM」ギャルの淡い想い出。
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