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1970〜1980年代の映画館

2022年04月20日 | 映画・DVD・ビデオ
僕の通った高校は阪急六甲駅が最寄り。映画を観に行くのは神戸三宮か大阪梅田だった。

三宮の映画館で最も通ったのは阪急三宮駅に隣接する「阪急会館」。東宝系の洋画ロードショー館で、「ドラゴン 怒りの鉄拳」や「パピヨン」を観た。「阪急会館」の難点は、映画の上映中に三宮駅を出入りする阪急電車の通過音が聞こえる事だった。

「阪急会館」と同じビルには、同じ洋画ロードショー館の「阪急シネマ」、洋画名画座の「阪急文化」、東宝系邦画ロードショー館の「三劇」(ここで真夏に「八甲田山」を観た。冷房が効き過ぎていてめちゃくちゃ寒かった)、東映系邦画ロードショー館の「三映」が有った。

神戸新聞本社の入る新聞会館には、東宝系洋画ロードショー館の「新聞会館大劇場」、そして同じく「スカイシネマ」があった。

神戸国際会館にあったのが、松竹系洋画ロードショー館「神戸国際松竹」(「ジョーズ」や「タワーリング・インフェルノ」を観た)、その地下には松竹系邦画ロードショー館「神戸国際日活」(桜田淳子第1回主演映画「ポケット一杯の幸福」をワクワクして観た)。

大阪梅田駅近辺では、今は無き、ディメンション120方式で上映の「阪急プラザ劇場」(三番街のキティランド付近にあった)、三番街シネマ1(東宝系邦画ロードショー館)、三番街シネマ2(名画座・・・ここで「小さな恋のメロディ」を観た)、三番街シネマ3(東宝系洋画ロードショー館・・・僕の一番好きな映画「007 私を愛したスパイ」を立ち見で観た)。

梅田コマ劇場の地下にあった「コマゴールド」「コマシルバー」、ここではチャン・イーモウ監督のデビュー作品「紅いコーリャン」を。

ニューOS劇場ではメル・ブルックス監督の「ヤングフランケンシュタイン」を。

ナビオ阪急の中には東宝系ロードショー館「北野劇場」(洋画)、「梅田劇場」(邦画)、「梅田スカラ座」(洋画)があった。

ナビオ阪急の向かいにはシネラマで映画を上映していたOS劇場。センサラウンド方式の「大地震」や「ミッドウェイ」を観た。スクリーンが半円形状になっており、画面が歪んで見えたのを思い出す。

地下を歩いて、泉の広場を上がったところにあったのが、松竹系の映画館「梅田ピカデリー1.2.3」。

梅田新道(通称、梅新)には東映の映画館「梅田東映パラス」(洋画・・・「ザッツ・エンタテインメント」「名探偵登場」を観た)、「梅田東映」(邦画)。

レンタルDVD店も配信も無かった頃、僕たちは猛暑で汗をかきながら、極寒で身体を震わせながら、映画館に通ったものだ。

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