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宣伝の仕事・・・「秘密のケンミンSHOW」と「ニセ医者と呼ばれて 沖縄・最後の医介輔」

2023年04月12日 | テレビ番組
ドラマ班から東京宣伝部に異動になって、様々な番組の宣伝を担当した。

「名探偵コナン」「ブラックジャック」「結界師」「秘密のケンミンSHOW」「ダウンタウンDX」などのレギュラー番組。

そして、木曜23:59から始まる連続ドラマを15本余り。

さらに、遊川和彦さん脚本、堺雅人さん主演のスペシャルドラマ「ニセ医者と呼ばれて 沖縄・最後の医介輔」(2010年)。

まずは今年放送開始15周年になる「秘密のケンミンSHOW」(2007年〜)。僕はスタート当初の宣伝担当だった。

この番組、東京都以外の「46道府県」の秘密を扱う。それまで、この手の番組はありそうで無かった。

まずはテレビ誌や新聞などに載る記事の元になる「リリース原稿」が問題になった。

初回からしばらく、原稿には「ケンミンの謎」が全て書かれていた。

「これでは放送内容がネタバレし過ぎだ」

制作を担当する「ハウフルス」からクレームが付いた。僕はそこまで気が回っていなかったのだ。これに関しては僕が悪い。

全国の「道府県」、そして「市町村」のホームページに、「番組の趣旨」と「宣伝のお願い」、「番組のネタの募集」の文章を書き込んだ。コピペしたが、膨大な作業だった。

番組がまだ放送されていないせいか、その書き込みに対する反応はほとんど無かった。

続いては、新橋・銀座の「道府県アンテナショップ」に番組ポスターを貼ってもらう様に、一軒ずつお願いに行く。もちろん、お店のスタッフには、番組内容を伝えた。

そして、日本で最大の旅行代理店に「番組とのタイアップの話」を持って行った。

旅行代理店の全国の支店に、番組のチラシを置いてもらう代わりに、番組で扱った「料理を食べに行くツアー」などを番組名を使って企画してもらうというスキームだった。

契約書を交わす寸前に、番組スポンサーの関係で、この話は成立しなかった。残念!

系列各局への対応も大変だった。OAの中で出てくる地域の局は、その局自体が宣伝を強化すると、視聴率40%超える事もあった。

その為には毎週各局に本編の「抜き素材(それぞれの局に関しての放送部分)」を渡す必要があった。かなり、手間がかかり、大変だった。

現在は「音楽とテロップが入っていない素材」を「制作」に作ってもらい、それを各局にダビングしてもらうシステムが出来上がっている。進化したものだ。

話は変わって、スペシャルドラマ「ニセ医者と呼ばれて 沖縄・最後の医介輔」。ドラマの大部分が沖縄のロケだった。

今では宣伝予算もキツイので、なかなか出来ないが、記者の皆さんを沖縄の撮影現場にお連れして取材してもらう「記者誘導」を行なった。

沖縄までの航空券の手配。沖縄で記者に乗ってもらうマイクロバスを押さえた。

前日に沖縄入りして、記者を乗せた航空機が到着するのを待ち、マイクロバスに案内する。

昼ごはんは撮影現場までの途中のレストランで食べようと思っていたが、「ドラマのモデルである医介輔のお宅」で御馳走になる事になった。沖縄の人は温かい。

記者の皆さんは、昼ごはんを食べながら、「85歳を過ぎた本物の医介輔」を囲んでお話を伺う。当時、御存命の医介輔は沖縄に数人しかいなかった。

「医介輔」とは、終戦後、医者不足の沖縄で「簡単な診察や治療が出来る資格を与えられた人」の事。

彼等は長い沖縄の戦後史の中で「正規の医師免許を持つ医師」からは差別され、不当な扱いを受けて来ていた。

午後、撮影現場に着く。記者の皆さんは撮影現場の「堺雅人さんと寺島しのぶさん(夫婦役)のシーン」を見学。

その後、すぐ近くの「公民館」に場所を移して、堺さんと寺島さんと記者の皆さんによるいわゆる「囲み取材」。お二人に記者のから質問が行われる。

「撮影現場の見学」の時刻も、「囲み取材」の場所と時刻も事前にプロデューサーと打ち合わせた上で、当日携帯電話で連絡を取り合い、撮影のスケジュールの進行具合を聞きながら、取材のスケジュールを決めていく。

全ての「記者誘導」が終わると夕方。辺りは暗くなってくる。

もう記者は東京に帰れないので、手配したホテルに泊まってもらう。ホテルとは部屋割りも事前にして、到着したら各自部屋へ。

夕食の時間と場所を記者の皆さんに伝えておき、再集合してもらう。

夕食は豪華な料理にアルコールを飲んでもらって、日頃お世話になっている御礼も兼ねて、いわゆる「接待」の時間。

ここで僕は問題を起こしてしまった。

ここまでの段取りがとても上手くいったので、接待する側にも関わらず、お酒を飲み過ぎて泥酔してしまったのである。

大阪本社から女性の宣伝担当者が一緒に来ていたので、彼女が食事を終えた記者の皆さんを上手く誘導してくれた。

僕は宴会場にポツンと一人取り残されていた。

先日、彼女が起業して会社を辞める事になった。

「あの時は泥酔して申し訳なかった」とメールを送ったら、

「私、堺雅人さんのファンなので、あのドラマの担当になって嬉しかったです」との返信。

宣伝の現場はストレスが溜まり、苦しくて逃げ出したい時もあったが、たくさん記事が載り、たくさんの人に番組を見てもらった時の嬉しさはひとしおだった。

2015年、僕は大病をし、酒を断った。番組宣伝の現場に出る事も無くなった。

今はデスクで、現場をやっている若いスタッフを支えている。

自分の現場での経験を押し付ける事無く、バレーボールのセッターの様に、宣伝のアシストが出来る存在に今はなりたい。

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