プロデューサーでディレクターの白岩久弥さん。僕が入社して付いた「11PM」の先輩だった。
白岩さんは本当はテレビ局では無く、落語家を目指していたそうだ。僕は生涯通じて、こんな利発な人に会った事は無い。
スタジオでのディレクションも完璧。サブ(ディレクターが指示を出す部屋)ではカメラ割り通りも思うがまま。CMに行く時は立ち上がって、勢いを付けてCMの合図を出していた。
イタリアのファッションショー「ミラノプレタポルテコレクション」の中継録画の際、モデルたちが出て来る出口が左右に5ヶ所ずつ有った。
タイムキーパーの僕がリハーサルで「次はどこからモデルが出て来るか」を必死で書き留め、本番はそのメモを読んで、白岩さんがカメラマンに指示。見事なカメラワークを見せた。
「今日はほんま良くやった。ADで名前載せたるからな」
これが白岩さん本番直後の言葉。
こうして、僕は初めて、全国ネットの番組で自分の名前がスーパーされるのを見た。岡山の親戚からそれを見て電話があったのも嬉しかった。
白岩さんは人心掌握に長けていた。これも「ミラノプレタポルテコレクション」の時だったが、リハーサルが終わって、スタッフが休憩中、
「5カメさん、自分の好みの女の子を撮ってみ!そうそう、その子でええんやな?」と白岩さん。全スタッフがその一言で笑い、盛り上がった。
収録した「ミラノプレタポルテコレクション」の編集を明日に控えた夕方、僕と同期の諏訪道彦はどうしても麻雀がやりたくなり、ウズウズしていた。
ダメ元で白岩さんに声をかけたら、OKしてくれた。
翌日の編集。白岩さんは一回プレビューしただけで、即興でVTRを繋いでしまった。
僕なら、絶対、編集の前日は麻雀などする余裕も無く、編集チェックを最優先にしていた事だろう。
白岩さんのアタマの中はどうなっているのだろう?
「11PM」(1965〜1990年)でも「1時間、藤本義一さんが現役風俗嬢と電話で話すだけの企画」をやり、後に「〜だけ」という番組をたくさん立ち上げる片鱗を見せた。
その代表作が「鶴瓶・上岡パペポTV」(1987〜1998年)であろう。笑福亭鶴瓶さんと上岡龍太郎さんが2人で話をするだけの番組。これが視聴者から大好評を得た。
「パペポ」は「日本武道館」、アメリカ・ニューヨークの「カーネギーホール」での収録も行っている。
順不同だが、月〜金の午後5時から生放送していた「ざまぁKANKAN!」(1988〜1990年)も白岩さんが作った番組である。
MCの森脇健児と山田雅人が「ハガキを読むだけの番組」をコンセプトでスタート。若い女性がたくさん観覧を希望して、テレビ局の周りを何周も並んでいたのを憶えている。
「大阪ほんわかテレビ」(1993年〜現在)を立ち上げたのも白岩さん。情報番組をドラマ仕立てで表現するという発想が凄い。
そして、今も続く「ダウンタウンDX」。(1993年〜現在)
最初は「ダウンタウンのおふたりが大スターと対談するだけの番組」だった。
初回のゲストは菅原文太さん。トラックの頭の部分だけ切り出して、その中でトークを展開した。
もちろん、映画「トラック野郎シリーズ」からインスパイアされたセットだ。
「EXテレビosaka」。(1990〜1994年)今までのテレビをぶち壊す」をコンセプトに、「上岡龍太郎さんが1時間、カメラに向かって1人だけで語りかけるだけ」ほか、テレビの領域を良い意味で壊す企画が人気を呼んだ。
最終回で「EXテレビでやった企画」を販売する企画をやり、その1つを買ったのがテレビ東京。今でも続く人気番組「開運!なんでも鑑定団」(1994年〜現在)である。
白岩さんはお酒を飲めない。でも、よく深夜になるまで麻雀をした。
白岩さんが僕に言ってくれた事。
「お前は何かを一から作り出す能力には欠けているが、先輩・後輩の意見をよく聞き、それを自分なりに取り入れる能力がある。そこを伸ばしてみたらどうや」
白岩久弥さん。今は吉本興業に居られるが、忘れられない先輩だ。
久しぶりに会ってみたい。
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