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ドラマディレクター山本和夫さん

2023年01月23日 | テレビドラマ
山本和夫さんというディレクターがいた。故人。TBSで、「東芝日曜劇場・石井ふく子プロデュース作品」の演出、「時間ですよ」のプロデューサー等を務めたドラマ界の大ベテランだった。

大阪で「朝の連続ドラマ」をやっている時、フリーになった山本さんと出会った。50代半ば過ぎだっただろうか。

山本さんは当時、「女優を撮らせたら日本一」と言われていた。

紺のキャップに真っ白なシワひとつ無いシャツ、筋目がはっきりと付いたスラックスで現場を指揮していた。僕は女優さんが惚れるのも当たり前だなと思った。

山本さん、ロケ現場ではキャスト・スタッフに配られる「ロケ弁当」を一切食べない。悪い意味では無く、今思うとキャスト・スタッフと一線を画して置きたかったのかもと思う。

当時AP(アシスタントプロデューサー)だった僕はロケ出発前、近くの食堂に無理言って、山本さんが好きな「おかかのおにぎり」を作ってもらい、監督に手渡した。さすがにコンビニのおにぎりでは切ないと思ったから。

飲み物は甘い甘い砂糖のたくさん入った「UCCの缶コーヒー」を毎日5〜6本。「監督という仕事」は心身共に疲れるので、糖分が必要なんだろう。

ある時、極寒の京都ロケ、山本さんが突然「オムライス」を食べたいと言い出した。

スマホもインターネットも無い時代、作ってくれる店を探しに探し、繁華街まで行って喫茶店で「オムライス」を作ってもらった。

ロケ現場に帰ると、誰もいなかった。ロケスケジュールとロケ地図を確認して、「オムライス」を持ってタクシーで次のロケ地に向かった。

すっかり冷めた「オムライス」。監督は半分も食べてくれなかった。

僕は心の中で大きなため息を吐き、「オムライスの皿」を無理言って作ってくれた喫茶店に返しに行った。

忙しくて現場に来られないプロデューサー。監督の愚痴をAPの僕はいつも聞いていた。

プロデューサーに会って、監督の不満について相談すると、
「放っとけばいいのよ!」と言われた。僕は連日、監督とプロデューサーの間でキツイ板挟み状態になっていた。

ある日、精算の為、本社に行った。一階のパーラーで、監督とプロデューサーが談笑。二人とも大声を出して笑っている。

そこに出くわした僕は・・・
「そんなに仲が良いんなら、今後は直接二人で話して下さい!」と怒鳴っていた。

一瞬、談笑は止まり、静寂が訪れた。そして二人は再び大爆笑。
「今ちゃん、真面目なんだから」

こうして、僕は二人に愛されている事を感じた。なぜか・・・

それから月日が過ぎ、僕は東京でドラマをやり、プロデューサーになっていた。

タクシーに乗っていると、誰かの携帯に一本の電話がかかって来た。
山本和夫監督が70歳で亡くなったという知らせ。タクシーに同乗していたディレクターもチーフプロデューサーも山本和夫さんをよく知る人だった。みんな頭が真っ白になっていた。無口だった。

故人の意思で、「お葬式」の参列も無く、「お別れの会」は開かれなかった。

僕らの前では、「お酒は飲めない」と言い続けていた山本監督。TBSのスタッフとは一切飲まなかったが、制作会社のADたちを引き連れ痛飲していたと後で聞いた。

あくまでもスマートに。僕はそんな生き方を山本和夫さんに見せられた気がした。

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