「EXテレビosaka」で「お通夜」という番組をやった。数少ない僕の企画である。
元々の企画の発想のスタートは2つ。
1つは、黒澤明監督の映画「生きる」である。この映画は確か志村喬扮する主人公の「胃のレントゲン写真」にナレーションが被り、続いて「主人公のお通夜」で市の職員たちがお酒を呑み、大騒ぎしているシーンに繋がったと思う。そこから、「主人公が生きていた時の回想」が始まる。
2つ目は、「お通夜」の祭壇の「遺影」の所に「縦型のTVモニター」を入れ、それがスロットマシンの様に回ったら面白いと思った事。
「企画」としては、「遺影」のスロットマシンが回り、「遺影の出た人」が「死んだ人」という事になる。
その人は、周りの喋りが全く聞こえなくなる様に、「白い三角頭巾」を付けたヘッドフォンをして、祭壇に向かって木魚(もくぎょ)を叩き続けている。
その他の人が「生前の故人」について、赤裸々に語り合うのである。
メンバーは、順不同に、上岡龍太郎、野坂昭如、横山ノック、大竹まこと、円広志、デーブ・スペクターの6人である。
セットもわざわざ大掛かりなものにした。祭壇も葬儀社とタイアップした本物。
家の門があって、玄関がある。玄関で靴を脱ぐと、廊下を通り、祭壇のある畳敷の大広間へ。まるで映画「犬神家の一族」である。
その間は家全体を見下ろす様にクレーンカメラで撮った。
大広間のカメラは「鯨幕(お通夜・告別式で使う白黒の幕)」の黒い部分に四角い穴を開けて、左右に2台ずつ、4台。カメラ側の照明を落とし、カメラが映らない様に工夫。
そして、祭壇の上から木魚を叩く「故人」を撮るために固定のミニカメラを設置した。
本番が始まる。「遺影」が回り始める。「遺影」のスロットマシンが止まる。
「故人」に当たった順に祭壇の前でヘッドフォンを付け、木魚を叩き続ける。
他の5人は「故人」との思い出を切々と話した。
「出会い」「忘れられない言葉」「故人と行った旅の想い出」などなど。
僕がこの番組で言いたかったのは、「生きる事」と「死ぬ事」は表裏一体である事。「1日1日生き続ける事」で「死ぬ事の意味がぼんやりとでも見えて来る事」。
番組の進行も前半は狙い通り行っていたが、番組も終わりかけてみると、「〇〇さんは若い女の子とデートしていた」とか下世話な話。
本番終了後、各出演者に「下世話な話で本当にNGな話」を確認していく。本人は何を喋られたか、聞いていないからだ。
でも、面白くなった。
「どう生きるか?」が「どう死ぬか?」に繋がる。その事が少しでも視聴者に伝わった様な思いがした。
深夜とは言え、30年ほど前、こんな番組が作れたのは、テレビマンとして、良い時代にディレクターをやれたのだとつくづく思う。
今、こんなテーマを持った番組、民放では作れないだろうなぁ。
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