お腹がグルグル鳴っていた。漏れそうだった。大学の最寄り駅で降りて、駅前のパチンコ店のトイレを借りた。借りっぱなしでは悪いと思い、500円で生まれて初めてパチンコをした。
「ウィンウィン」と音がして、パチンコ台が赤く点滅し出した。フィーバーだった。一万円の儲け。その後、パチンコ店に行く度、10回連続フィーバーした。9月の出来事だった。
前月8月、友人と海水浴へ。麻雀をして、二日間で三回「役満(なかなか出ない高得点の上がり)」を上がった。なんか不吉な予感がしていた。
8月〜9月とびっくりするほどツイテいて、10月1日を迎えた。僕は大手旅行代理店に内定をもらっていたので上京。10月3日まで、他の会社に逃げられない様に、箱根の療養所に拘束され、三日間宴会をして帰阪。
数日後、一本の電話がかかって来た。「内定取り消し」の連絡だった。
健康診断の結果、「高血圧」「不整脈」「肝機能異常」が見つかり、激務をこなさなければいけない「添乗員」の職務が行えないという理由。
その時、「人間の持つ運の量」は一定で決まっていると思った。僕は麻雀とパチンコで運を使い果たしたと。
「就職浪人」する事になった。
わざと「ゼミの単位」を落としてもらった「ゼミ」以外、週6休みの生活。僕は鬱状態になり、ほとんど布団から外に出なくなっていた。
そんなある日、知人の紹介で新しいバイトをする事になった。家から電車で片道一時間半かかる西宮の工場。
戦争中、戦闘機を作っていた大手企業の敷地内にある下請け会社。山田さんという社長が一人でやっている「山田工業」だ。
小型ダンプカーの荷台を斜めに上げる油圧機の製造。一回の工程で12個の油圧機を作る。一日に作れて48個。
基本となるステンレス製の型に開いた穴にグリース(粘着質の油)を塗り、そこへゴムパッキンをはめていく。そして、所定の位置にネジを差し込む。それを電動のネジ回しで一つずつ締めていくのだ。単調な仕事だった。
「電動ネジ回し」を使っていると、その振動で手の感覚が無くなってくる。それゆえ、昼ごはんを摂りに社員食堂に行った時、たくさんの従業員が並ぶ中、僕はご飯がいっぱい入った器を床に落とし、お米をぶち撒けてしまった。今、思い返しても、顔から火が出るほど恥ずかしい瞬間だった。
当時、35歳位だった山田さんは「この仕事以外に選ぶ仕事が無かった」と言っていた。
ギャンブル・酒・女などに溺れて、仕事を辞めていった同僚をたくさん見てきたそうだ。
彼には6ヶ月になる娘さんがいた。とにかく娘さんの事が愛おしい。すごく愛していた。彼女の話になると顔全体で少し恥ずかしそうに笑う。いい笑顔だ。
20歳になった娘の振袖姿を見たいと言う。
山田さんのストレス解消は給料日が来て、お金が入ったら、毎月自宅近く、西宮のスナックで飲み明かす事。そして、スナックの女の子を全員連れてタクシーで三宮のラウンジでどんちゃん騒ぎする事。
しかしお酒の飲み過ぎで山田さんは胃潰瘍を患い、このままお酒を飲み続けると「余命半年」と主治医に言われていた。
あれから数十年が経ち、娘さんも40歳を過ぎた事だろう。山田さんは御存命なのだろうか。その事が僕の頭の中から消える事は無い。
久しぶりに西宮の工場の前を通り過ぎたら、広大な工場そのものが無くなっていた。更地だった。
山田工業でアルバイトしていた翌年、僕はテレビ局に就職した。こちらの健康診断でも「肝機能異常」で引っかかったが、人事の担当の人が「制作部」に案内してくれ、言った。
「みんな顔黄色いやろ。酒飲み過ぎて、肝臓悪いねん」
僕は山田さんの事に想いを馳せた。孫が出来て、いいおじいちゃんになっているのか、それとも・・・
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