トップレスのストリップも生放送でOAした。その回は飛び抜けて視聴率も高かった。
「11PM」の話である。
「芸人の童貞喪失現場再訪問」。
坂田利夫さん始め、大阪の芸人が神戸・福原の旧遊郭や大阪中央公会堂の横の茂みで、「童貞喪失」した時の模様を手取り足取り、説明。これが芸人の喋りの面白さと相まって、とても面白い番組になっていた。
「藤本義一、現役風俗嬢と1時間生電話」。
MCの藤本義一さんが風俗嬢と電話する。2人の会話の中に大阪のいろんな風景がインサートされていく。
「中之島で釣りをする人をビルの上から俯瞰で撮った映像」「道頓堀の早朝。信号が黄色で点滅し、清掃車がゴミを集めている。そこに逆光でオレンジ色の朝陽が差し込んで来る映像」などなど。
僕はタイムキーパーをやっていて、この企画の凄さに鳥肌が立ち、全身に痺れが走っていた。
この時のディレクターは先輩のSさん。後に「鶴瓶上岡のパペポTV」や「大阪ほんわかテレビ」を作る人。
全国から「バスガイド」や「芸者」を集め、「バスガイド歌合戦」「芸者歌まつり」などもやった。
ちょっと話は外れるが、「2時のワイドショー」という番組では、「尼さん坊さん歌合戦」という企画をやった。
「ゲゲゲの鬼太郎」が出て来そうな古寺のセット。「鐘の音」がゴーンと鳴ると、尼さん、坊さんが交互に古寺の門を開け、苔むした階段を降りて来て、十八番の歌を熱唱するのである。午後2時にこの企画を放送するのは凄い。
「11PM」に話を戻そう。僕はドラマ班への異動が決まり、最後のディレクターをする事になった。
「全国村長さん歌まつり」。
全国五ヶ所の村へ行き、その村の良さを紹介。村のいちばん誇れる場所で、村長さんが十八番の歌を村人たちと共に歌うのである。
北海道・留寿都村。
岩手県・沢内村。
新潟県・弥彦村。
大阪府・千早赤阪村。
愛媛県・魚島村。
テレビ新潟に制作を委託した弥彦村以外の四つの村をロケハン。
地元のネット局のアナウンサーにレポーターを依頼する。魚島村だけは「魚島有線テレビ」の女子アナだったが。(今、彼女はどうしてるのかなぁ)
それぞれの村にアコーディオン奏者のおじさんを連れて行って、伴奏をしてもらう事になった。
ここで問題が出て来た。
PAを「歌う現場」に持って行かないと歌えないという事を・・・
PAとは、「大きなスピーカー」である。アコーディオンの伴奏を村長始め、村人に聞いてもらわないと、歌は歌えない。
季節は真冬。PAの機材を「スキー場のゲレンデ」「雪深い山の中」「大阪・金剛山の凍てつく様な気温の山頂」「瀬戸内海に浮かぶ孤島」に業者を頼んで持って行ってもらった。
まだディレクターになって1年半。どこのロケも「押した」(スケジュールが遅れる事)。
カメラが一台なので、編集用に歌も2〜3回歌ってもらった。
ある日のロケでは昼ごはんをスタッフに食べてもらう時間も無く、日が暮れ始めていた。本当に申し訳ない思いをさせてしまった。
全てのロケを終え、大阪に戻って、台本作りとスタジオ出しVTRの編集。編集が放送当日に間に合いそうも無くなり、プロデューサーが編集プロダクションに一部編集を委託してくれた。
テーマが決まってからここまでADは一人もいない。孤独で、一人では抱えきれない膨大な作業が続く。
放送当日、リハーサルをやってみると、VTRが長く、スタジオ部分の要素をかなり落とす事になった。
ここでまたしても余談。
昔、ディレクターのFさんがスタジオ出しVTRを編集し、MA(VTRに音楽やナレーションを付ける作業)をしていた。ここで音楽を付ける「音効さん」が気付いた。
スタジオ出しVTRの方が「11PM」の放送時間より長い!と。
その時、Fディレクターは
「生本番で何とかするから」とそのまま作業を続行した。
生放送が始まった。
「何とかはならなかった」
タイムキーパーをしていたNさんがパニックになった。当然の事だろう。このまま、VTRを流せば、スタジオ部分は全く入らない。急遽、フロアディレクターをしていたSさんがサブに駆け上がり、Nさんと代わった。
Sさんは生放送で次々にVTRから早くスタジオに降りる作業を続けた。VTRとスタジオの時間を再計算しながら。
終わってみれば、ちゃんと尺に入って生放送は終了していた。
「凄い!」
の一言に尽きる。
話を戻そう。
「11PM・全国村長さん歌まつり」の生放送も終わりに近づいていた。
「明日は東京・日本テレビからお送りします」とホステスが言うと、アコーディオンの演奏で、山口百恵の「いい日旅立ち」が流れ始めた。水着姿のギャルがうつった。そこに、ダバダバダバダバとエンディングの音が被り、僕は「11PM」を卒業した。
ドラマ班に行くのを切望していた僕だが、「11PM」の最後のディレクター席で放心状態だった。
それほど、「11PM」は藤本義一さん始め、キャスト・スタッフが家族的で素晴らしかった。
藤本さんは亡くなられたが、あの時のスタッフには、今、感謝の気持ちしか無い。
有難う!「大阪イレブン」!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます