南米ペルーの首都リマ。
この街を走るタクシーにはメーターが付いていない。では、どうやって料金を決めるか・・・
僕はリマ郊外にある「黄金博物館」に行きたくて、タクシーを拾おうかどうしようか迷っていた。
その時、視野に入ってきたのが、交差点の真ん中で忙しそうに交通整理をしているお巡りさん。信号の代わりなのだから、大切な仕事。
激しい車の往来を縫う様にして、僕は彼に近づいて行った。
「タクシーの料金交渉をして欲しいのですが・・・」と身振り手振りで頼んだ。すると、彼は立っていた交通整理の台からサッと降りて、道をすたすたと渡って行く。
次々とタクシーを止めて、交渉を始めてくれた。
「黄金博物館までいくらで行ってくれる?」
彼は何台かのタクシー運転手に声をかけ、金額を訊いて首を横に振る。
4〜5台、タクシーを見送っただろうか、1台のタクシーに乗れと彼は言う。メモに「黄金博物館までの交渉が成立した金額」を書いてくれた。
僕がお巡りさんに何度もアタマを下げ、感謝すると、彼は少しはにかんだ表情を見せた後、にこやかに笑ってくれた。
タクシーの助手席に乗り込む。ニュージーランドなどでもそうだが、運転手とお客は対等な関係という事で、客は助手席に座る。
足の下から強い風が吹いて来る。床を見たら、「動く地面」が迫力いっぱいで見えている。床に体がすっぽり入りそうな大きな穴が開いていた。僕は恐怖感から残った床に両足を拡げ、手すりをを掴んでいた。
車は日産の初代「サニー」。日本で使い尽くされた中古車がリマの街でタクシーとして、現役で走っている。半世紀以上走っていて、車検など無いのだろう。これだけ使えば、ある意味「倹約家」だ。
さて、話は変わって、インド・ムンバイのタクシー。
こちらはメーターがちゃんと付いている。問題はメーターが付いている位置。運転手とは反対側のボンネットの上なのである。
つまり、こういう事になる。客がタクシーに乗り込む。運転手はドアを開け、車の前を回って、反対側に行き、メーターを倒し戻って来る。そして、運転。
目的地に着いたら、再びドアを開けて、車の前を回って、金額を確認。運転席に戻って来て、客にお金をもらう。何故、メーターの位置がそうなったかは僕たち観光客には謎だった。
最後に、日本のタクシーの謎。
海外いろんな所に行ってタクシーに乗ったが、「日本のタクシーにしか無いもの」がある。手を挙げて、タクシーを止めると開く「自動ドア」である。
過保護な「日本社会」は「便利」で成り立っている。その産物の1つがこの「自動ドア」なのかもしれない。
果たしてタクシーの「自動ドア」は必要か?「不要不急」なものではないのだろうか。海外を旅して見えてきた「日本」という国の価値観。
僕が海外のいろんな国々に行きたい理由。それは「日本という国」の本当の姿が見えてくるからである。
世界中の国の人々がマスクをしていない今、何故日本人はこれだけ「マスクをする事」にこだわるのだろうか?
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