ディベート用の原案をかなりやっつけですが、書き上げました。
もうちょっと、テコ入れするつもりですが・・・
ディベートは感情に訴えてはいけないと言われていますが
かなり訴えちゃいました。笑。
基本、私は脳死は人の死だと思っています。
私は脳死を人の死とすることに反対です。
脳死を人の死と認める事は合法的な殺人であるのとなんらかわりありません。
臓器移植における脳死と心停止の違いでは、移植できる臓器が違います。
心停止後に移植出来る臓器は、眼球、すい臓、腎臓です。
脳死後に移植出来る臓器は、眼球、肺、心臓、肝臓、すい臓、腎臓、小腸です
心停止後の方が、移植出来る臓器が少ないのは心停止してしまうと
急速にその機能が衰えて、移植が難しくなる臓器があるためです。
その為に、脳死という存在を作り上げ、心臓が動いている体から
臓器を取り出すのです。
臓器移植は本人の意思の明示を絶対条件とする「自己決定権の尊重」という
さも脳死が正当に聞こえるような項目がありますが、考えてみて下さい、
私たち、看護師の目の前に今、意識もなく重症患者が運ばれてきました。
すぐさま、命を救う為の治療を始めなければなりません。
しかし、患者の財布からパスケースから、ドナーカードが見つかりました。
臓器提供を希望すると書いてあります。どうしますか。脳死が人の死として
認められる場合、救命処置は患者の意思を無視することになりかねません。
ならば、患者の意思を尊重し臓器移植をと考える、医療従事者が増える
可能性があるのです。救命処置がおざなりになる危険性もありうるのです。
特に近年、「脳死」判定をされた後にも、単なる反射運動とは言えない
大きな動きを示す臨床例が報告されており、臓器摘出時に痛みを感じる
可能性も指摘されています。
そのため、アメリカやイギリスでは、麻酔をかけた上での臓器摘出が
一般化しており、日本でも「臓器移植法」に基づく最初の事例となった
高知赤十字病院での臓器摘出(1999年2月)の際も、「脳死」で
あるはずのドナーがよほど動いたらしく、麻酔を使用したことが
はっきりと記録されています。
そのような人が、本当に死んでいるのでしょうか。
これは、明らかに移植をする為だけに、強引に死んだと判定したとしか
考えられません。そもそも、脳死判定の無呼吸テストは、人工呼吸器を
外し数分から10分間の間に自発呼吸があるかをテストするわけですが、
それは瀕死患者に対する殺人行為でしかありません。
私たち生きている人間でさえ五分間以上脳に血液が流れなくなると
救命はほぼ絶望的と言われています。もしも脳が少しでも生きていたら、
そのテストによって脳は完全に死んでしまう、とどめを刺すことになると思います。
思い出して下さい。ナイチンゲール誓詞で、人々の前で神に誓った言葉を。
私たちは、私たち看護師の手に託された人々の幸のために身を捧げ
任務を忠実に尽くさなければならないのです。
脳低温療法という治療があります。
患者を手術した後、冷水が流れるクーラージャケットで体を冷やしながら
脳に流れ込む血液の温度を冷やして脳温を下げ、最高で2週間、生体反応が
最低限に抑えられる32-33度に保ちます。
この間、コンピューターによるモニタリングシステムを駆使して細胞レベルの
変化まで全身の状態をリアルタイムで集中管理する。低温に保つことにより、
脳内に熱がたまる現象(サーモプーリング)を防ぎ、脳神経細胞を保護し、脳浮腫などを防止する。
日本では現在、全国で約三十の医療機関で実施されています。
この治療法により交通事故などで重症の脳障害を起こし、
従来なら脳死は避けられないと思われた外傷患者75人中56人を
脳死に陥らせることなぐ救命に成功しています。
しかも、75人中36人は日常生活が可能となるまでに回復しているのです。
(1969年8月現在)。
また近年では体細胞クローン技術やその途中経過である移植者自身の
体細胞より発生した幹細胞を利用することで、臓器を複製し機能の
損なわれた臓器と置き換えたり、あるいは幹細胞移植による再生医療も
研究されています。
臓器移植で、100%助かるわけではないのです。
臓器移植後の拒絶反応に一生の不安が付きまといます。
だったら、移植しないで助かる方法を生み出せばいいのです。
目の前にいる患者の心臓が動き、肌の色も変わらないまま、暖かい体ならば
脳死判定ごときで、死んでいると認めてはいけないのです。
ですので、私は脳死を人の死と認める事に反対なのです。
もうちょっと、テコ入れするつもりですが・・・
ディベートは感情に訴えてはいけないと言われていますが
かなり訴えちゃいました。笑。
基本、私は脳死は人の死だと思っています。
私は脳死を人の死とすることに反対です。
脳死を人の死と認める事は合法的な殺人であるのとなんらかわりありません。
臓器移植における脳死と心停止の違いでは、移植できる臓器が違います。
心停止後に移植出来る臓器は、眼球、すい臓、腎臓です。
脳死後に移植出来る臓器は、眼球、肺、心臓、肝臓、すい臓、腎臓、小腸です
心停止後の方が、移植出来る臓器が少ないのは心停止してしまうと
急速にその機能が衰えて、移植が難しくなる臓器があるためです。
その為に、脳死という存在を作り上げ、心臓が動いている体から
臓器を取り出すのです。
臓器移植は本人の意思の明示を絶対条件とする「自己決定権の尊重」という
さも脳死が正当に聞こえるような項目がありますが、考えてみて下さい、
私たち、看護師の目の前に今、意識もなく重症患者が運ばれてきました。
すぐさま、命を救う為の治療を始めなければなりません。
しかし、患者の財布からパスケースから、ドナーカードが見つかりました。
臓器提供を希望すると書いてあります。どうしますか。脳死が人の死として
認められる場合、救命処置は患者の意思を無視することになりかねません。
ならば、患者の意思を尊重し臓器移植をと考える、医療従事者が増える
可能性があるのです。救命処置がおざなりになる危険性もありうるのです。
特に近年、「脳死」判定をされた後にも、単なる反射運動とは言えない
大きな動きを示す臨床例が報告されており、臓器摘出時に痛みを感じる
可能性も指摘されています。
そのため、アメリカやイギリスでは、麻酔をかけた上での臓器摘出が
一般化しており、日本でも「臓器移植法」に基づく最初の事例となった
高知赤十字病院での臓器摘出(1999年2月)の際も、「脳死」で
あるはずのドナーがよほど動いたらしく、麻酔を使用したことが
はっきりと記録されています。
そのような人が、本当に死んでいるのでしょうか。
これは、明らかに移植をする為だけに、強引に死んだと判定したとしか
考えられません。そもそも、脳死判定の無呼吸テストは、人工呼吸器を
外し数分から10分間の間に自発呼吸があるかをテストするわけですが、
それは瀕死患者に対する殺人行為でしかありません。
私たち生きている人間でさえ五分間以上脳に血液が流れなくなると
救命はほぼ絶望的と言われています。もしも脳が少しでも生きていたら、
そのテストによって脳は完全に死んでしまう、とどめを刺すことになると思います。
思い出して下さい。ナイチンゲール誓詞で、人々の前で神に誓った言葉を。
私たちは、私たち看護師の手に託された人々の幸のために身を捧げ
任務を忠実に尽くさなければならないのです。
脳低温療法という治療があります。
患者を手術した後、冷水が流れるクーラージャケットで体を冷やしながら
脳に流れ込む血液の温度を冷やして脳温を下げ、最高で2週間、生体反応が
最低限に抑えられる32-33度に保ちます。
この間、コンピューターによるモニタリングシステムを駆使して細胞レベルの
変化まで全身の状態をリアルタイムで集中管理する。低温に保つことにより、
脳内に熱がたまる現象(サーモプーリング)を防ぎ、脳神経細胞を保護し、脳浮腫などを防止する。
日本では現在、全国で約三十の医療機関で実施されています。
この治療法により交通事故などで重症の脳障害を起こし、
従来なら脳死は避けられないと思われた外傷患者75人中56人を
脳死に陥らせることなぐ救命に成功しています。
しかも、75人中36人は日常生活が可能となるまでに回復しているのです。
(1969年8月現在)。
また近年では体細胞クローン技術やその途中経過である移植者自身の
体細胞より発生した幹細胞を利用することで、臓器を複製し機能の
損なわれた臓器と置き換えたり、あるいは幹細胞移植による再生医療も
研究されています。
臓器移植で、100%助かるわけではないのです。
臓器移植後の拒絶反応に一生の不安が付きまといます。
だったら、移植しないで助かる方法を生み出せばいいのです。
目の前にいる患者の心臓が動き、肌の色も変わらないまま、暖かい体ならば
脳死判定ごときで、死んでいると認めてはいけないのです。
ですので、私は脳死を人の死と認める事に反対なのです。