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旅の話、仕事の話、色々と書いてます。。。

ディベートの結果

2009-05-21 20:05:45 | 看護学校のコト
ディベート内容を少し変更して、グループ内で話す順番を決めて挑みました。

うちら大トリ。3人vs3人。反対チームが後攻になるので、私は大トリの大トリ。

「あたしは、女優よ!! 」と心の中でつぶやきww、昨日の解剖の先生が

初回講義で「イケる!!と信じることが大事」と言っていたので3人で

「イケると信じて!!」とか言いあってましたww


結構、緊張しましたよ~。久々に。

以前の職業柄、人前で話すことに抵抗はないんですけど、

ディベートなんて初めてだし、3人の役割分担も決めて

反論も考えて、自分たちなりに格好はついていたんですけどね。


全ての意見主張が終わり、意見交換、ディベートが始まると思いきや

先生が突如・・・・


「本来ならここで意見交換をしたいのですが・・・
 ちょっと、周りの人の意見を聞いてみましょうか。
 ◯◯さん、今の話を聞いてどう思いましたか?」


と、何人かに聞き始めた。

「個人の意思表示が尊重されるのだから賛成」

が、ちらほらいまして・・・・。

その「尊重」が、密室で処理されるから危険なんだよ~と思い

反論も準備しぃの。

「個人的な意見と、看護師としての立場とを考えると相反する。」

って意見も何人かいまして・・・。

反対に賛同する人ももちろん、いまして。

「やはり、死の選択より生の方が重いのではないかと思う」

なるほど。




で・・・・





結局は・・・・





先生が言った。

「これは、深い話です。僕も聞いていてぞっとして怖くなりました。
 良いとか悪いとか現段階で答えは出せないと思います。
 本来なら、賛成か反対かみんなに問うのですが、ちょっと重い話
 でしたね。看護師の永遠のテーマなのかもしれません。
 なので、これで終わりにしたいと思います。」


・・・・って、おい!!!  こらっ!!!!

ディベートの「練習」だろ?! 良いか悪いかじゃなくて、
どちらがより説得力があったかを判定するんだろ?!
アンタがハマって流されてどうするんだよ!!

若造め!!

昭和53年生まれだそうですww

そんな結果でスた・・・。


でも、自分でもかなり考えさせられました。

今まで私はドナーカードを持ち歩き、臓器提供者になろうと

思っていたのですが・・・・。


尊い命を大切に扱ってくれないなら、モノ扱いされるなら

やめようかなと思います。





ちなみに、てこ入れし直した文です。


私は脳死を人の死とすることに反対です。

脳死を人の死と認める事は合法的な殺人であるのとなんらかわりありません。

臓器移植における脳死と心停止の違いでは、移植できる臓器が違います。
心停止後に移植出来る臓器は、眼球、すい臓、腎臓です。
脳死後に移植出来る臓器は、眼球、肺、心臓、肝臓、すい臓、腎臓、小腸です。
心停止後の方が、移植出来る臓器が少ないのは心停止してしまうと、急速にその機能が衰えて、
移植が難しくなる臓器があるためです。
その為に、脳死という存在を作り上げ、心臓が動いている体から臓器を取り出すのです。

臓器移植は本人の意思の明示を絶対条件とする「自己決定権の尊重」という
さも脳死が正当に聞こえるような項目がありますが、考えてみて下さい、
私たち、看護師の目の前に今、意識もなく重症患者が運ばれてきました。
すぐさま、命を救う為の治療を始めなければなりません。

しかし、患者の財布からパスケースから、ドナーカードが見つかりました。
臓器提供を希望すると書いてあります。どうしますか。脳死が人の死として
認められる場合、救命処置は患者の意思を無視することになりかねません。
まだ助かる可能性や方法があるにも関わらず、ともすると患者の意思を尊重し
臓器移植をと考える、医療従事者が増える可能性があるのです。
救命処置がおざなりになる危険性もありうるのです。

医者が脳死と判定すれば、人工呼吸器を付け呼吸をし、心臓も拍動し暖かい体であっても、
患者は死体になるのです。その後、患者は臓器保存技術を施され
すでに移植用ドナー臓器の保存死体として扱われるのです。
死体なのだから、ジョクソウを予防する為の体位変換もする必要なく、声かけをする必要もなく、
吸引を少々失敗して気道を痛めても、どうってことないのです。
それでもなお、目の前の死体は呼吸をし心臓が動いているのです。

思い出してください。看護は、あらゆる年代の個人、家族、集団、地域社会を対象とし、
健康の保持、増進、疾病の予防、健康の回復、苦痛の緩和を行い、生涯を通してその最期まで
その人らしく生を全うできるように援助することを目的としているのです。
ターミナルの中に脳死だと判定する必要がどこにあるのでしょうか。

新鮮な臓器を提供する為の死体管理が看護なのでしょうか。

特に近年、「脳死」判定をされた後にも、単なる反射運動とは言えない大きな動きを示す
臨床例が報告されており、臓器摘出時に痛みを感じる可能性も指摘されています。
そのため、アメリカやイギリスでは、麻酔をかけた上での臓器摘出が一般化しており、
日本でも「臓器移植法」に基づく最初の事例となった高知赤十字病院での臓器摘出(1999年2月
)の際も、「脳死」であるはずのドナーがよほど動いたらしく、麻酔を使用したことがはっきりと
記録されています。

そのような人が、本当に死んでいるのでしょうか。
これは、明らかに移植をする為だけに、強引に死んだと判定したとしか考えられません。
そもそも、脳死判定の無呼吸テストは、人工呼吸器を外し数分から10分間の間に自発呼吸が
あるかをテストするわけですが、それは瀕死患者に対する殺人行為でしかありません。
私たち生きている人間でさえ五分間以上脳に血液が流れなくなると救命はほぼ絶望的と
言われています。もしも脳が少しでも生きていたら、そのテストによって脳は完全に死んでしまう、
とどめを刺すことになると思います。

思い出して下さい。ナイチンゲール誓詞で、人々の前で神に誓った言葉を。
私たちは、私たち看護師の手に託された人々の幸のために身を捧げ毒あるもの、害あるものを断ち、
任務を忠実に尽くさなければならないのです。

この近くでは◯◯病院では脳低温療法を取り入れています、
この方法だと脳死に至らず75%の救命率が上がっています。

他にも近年では体細胞クローン技術やその途中経過である移植者自身の体細胞より発生した
幹細胞を利用することで、臓器を複製し機能の損なわれた臓器と置き換えたり、
あるいは幹細胞移植による再生医療も研究されています。

臓器移植で、100%助かるわけではないのです。臓器移植後の拒絶反応に
一生の不安が付きまといます。だったら、移植しないで助かる方法を生み出せばいいのです。

目の前にいる患者の心臓が動き、肌の色も変わらないまま、暖かい体ならば
脳死判定ごときで、死んでいると認めてはいけないのです。

ですので、私は脳死を人の死と認める事に反対です。