朝日新聞「be」で、この企画が始まった時から
「いつかきっと…」と思っていた奥さん(笑)
まさか甲斐さんのライブ当日に
名古屋のコンビニで入手する羽目になるとは…(苦笑)
まあ、その待ち焦がれた「いつか」が【HERO】でやって来た訳で
「1979年3月の曲」として
オリコンのシングル売り上げランキング上位20曲の中から
「好きな曲」「思い出深い曲」という読者アンケートの3位(苦笑)に選ばれ
甲斐さんご自身がインタビューにお答えになってます
もっとも、その甲斐さんのお写真についての奥さんのコメントは
「糖質ダイエットやってるんでしょ〜っ?」を始め
自主規制させて頂いた方がよろしいものばかり…(汗)
写真といえば、この記事に添えられた【HERO】のジャケ写は
一般に発売されたシングル盤のジャケット…
奥さんがトロッコ編と呼んでいるCMの1カット
アルバム「Singles」に収められているもの…じゃなくて
CM販促用?のジャケットですよね?
ちなみに、甲斐バンドのメンバーが1台の車に乗っている「疾走編」を
何故トロッコ編と言うのか?と訊ねると
実際には、誰も運転していない車を引っ張り
「トロッコ列車のようにレールの上を滑らせて撮影したから」らしい(笑)
ともあれ、記事の内容は
「1979年元旦を告げる時報とともに放映された時計のCMで流れ
週間チャート1位を獲得した甲斐バンドの代表曲」との書き出しに始まり
「ファンからは[もっと名曲がある]との声も寄せられ」
「【HERO】の大ヒットに複雑な心境をつづったのは一人だけではない」と
「一般受けする感じになった」とか
「安易な励ましの歌。裏切られた気がした」
「【裏切りの街角】が大好きでした
他にも【地下室のメロディ】【漂泊者】【氷のくちびる】など
仏映画のワンシーンを思わせる印象的な曲があった」など
【HERO】が代表曲とされることに抵抗を感じられた方のご意見が掲載され(苦笑)
奥さんもその一人だったみたいだけど
当時はそれよりも、甲斐さんの「1位になります」宣言が
「大口」と言われずに済んでホッとする気持ちの方が強かったんだとか…(笑)
「ボーカルの甲斐よしひろさんの認識は違う
渾身の一曲だった、とふりかえるのだ」
「時代を反映した、疾走感とドライブ感のある曲を」という
「めざす音楽に共鳴してくれるファンの存在が揺るぎないと確信したとき
CMの話が舞い込んだ」そうですが
この頃の甲斐さんの音楽分析によれば
「時代の先端を行ってる奴には、みんな疾走感がある」らしく
「チャート1位の風景を見てみたい
もっと高みに行きたい、と欲もあった」というのは
当時の甲斐さんが「25歳までに発言力を持ちたかった」
「アルバム売り上げと観客動員数は伸びて来てたから
後はシングルでタイトルを獲るだけだった」と
話されていたことを指しておられるんでしょうね?
「もちろん、ただの売れ線を狙ったつもりはない」と書かれているけど
「俺はこの時代の中で呼吸しつつ
何かものを考えたりしながら音作りをしてる訳だから
俺自身感じることを大切にしたいなって思うわけ
その時代時代のニュアンスに忠実でありつつも自分に忠実であれ」という
甲斐さんの音楽への向き合い方からも窺えますし
「聞く側は当たり前ではあるけれど
やっぱり[ただの歌]としか聞かないからね
そんな色んな人の心に残る流行り歌は
やっぱり、その時の時代のタイミングと
リアリティーのある、なしで決まるんだろうね」というのも
「やせっぽちの俺たち、ってフレーズ
これを書きたくてこの作品を書いた」
「チャンピオンの座には世界で一人しか就けないけど
ヒーローは、どの街角にもいる
どんなやつにもチャンスは巡って来ると
頑張ってる若い世代に伝えたかった」という甲斐さんの思いが
多くの聞き手にリアリティーを感じさせた結果でしょう
まあこの「フレーズ」については、後にサンストで…
「歌っていうのはホントに言いたいところ、実際2行くらいしかないんでね
これを歌いたいがために膨大な作業をしてるみたいな(笑)
ま、アホだね、こんなことやってる人は(笑)
そのアホさ加減がまた、たまらなかったりするんだけどさ(笑)」
と、笑って話されてますが(笑)
「その時代を取り巻いてる色んな感覚を吸収して
最大公約数の無意識っていうもんを
てめえの血と肉を使って表現するキツさ」から生まれたこの曲に
「パワーを与えられた」「自分を励ましてくれた」という感想も
「決して少なくなかった」と記されてます
宮迫博之さんも船越英一郎さんも
亡くなられた小林繁さんも皆さん、この曲を聴かれ
ご自身で「HERO」になられたんですよね
ただ、この曲のヒットにより
甲斐バンドも文字通り「HERO」になったことで
「街角のヒーロー」のくだりが霞んでしまった感はあるようだけど(苦笑)
「頑張ってる人に頑張れよと言うのは失礼」とか
「迷っている若者に、まともに返しちゃ人生相談になっちゃう(笑)」という
甲斐さん流の応援歌だったんでしょう
甲斐さんご自身が「ややこしいアーティストなんで」とおっしゃってますが(笑)
「胸を熱くするのは洋楽サウンドだけど、歌詞で泣くのは歌謡曲」ゆえに
「日本語で歌うロック」「ロックを書く詩人」が誕生した訳で
更に「ハードボイルド小説のように、言葉を限りなく削って
でも激情あふれる世界を表現したい
ロジックがないとだめなんだけど
そこで肉体の裏付けがないとだめ…」と、もう一捻りが加わったことで(笑)
「裏切られた」とお感じになった方もおられたようですが
奥さんによれば、甲斐さんが話されていることは
「根本的に何も変わってない」らしく
「音楽で世の中を変えられるとは思っていない
だけど[変わるヤツ]はいると思っている」からこそ
「ロジック」がある曲を歌い続けておられるんじゃないかと…
確かに、我が家には「甲斐さんの」という条件つきではありますが(笑)
音楽を聴いて明らかに変わった住人がおります(笑)
「いつかきっと…」と思っていた奥さん(笑)
まさか甲斐さんのライブ当日に
名古屋のコンビニで入手する羽目になるとは…(苦笑)
まあ、その待ち焦がれた「いつか」が【HERO】でやって来た訳で
「1979年3月の曲」として
オリコンのシングル売り上げランキング上位20曲の中から
「好きな曲」「思い出深い曲」という読者アンケートの3位(苦笑)に選ばれ
甲斐さんご自身がインタビューにお答えになってます
もっとも、その甲斐さんのお写真についての奥さんのコメントは
「糖質ダイエットやってるんでしょ〜っ?」を始め
自主規制させて頂いた方がよろしいものばかり…(汗)
写真といえば、この記事に添えられた【HERO】のジャケ写は
一般に発売されたシングル盤のジャケット…
奥さんがトロッコ編と呼んでいるCMの1カット
アルバム「Singles」に収められているもの…じゃなくて
CM販促用?のジャケットですよね?
ちなみに、甲斐バンドのメンバーが1台の車に乗っている「疾走編」を
何故トロッコ編と言うのか?と訊ねると
実際には、誰も運転していない車を引っ張り
「トロッコ列車のようにレールの上を滑らせて撮影したから」らしい(笑)
ともあれ、記事の内容は
「1979年元旦を告げる時報とともに放映された時計のCMで流れ
週間チャート1位を獲得した甲斐バンドの代表曲」との書き出しに始まり
「ファンからは[もっと名曲がある]との声も寄せられ」
「【HERO】の大ヒットに複雑な心境をつづったのは一人だけではない」と
「一般受けする感じになった」とか
「安易な励ましの歌。裏切られた気がした」
「【裏切りの街角】が大好きでした
他にも【地下室のメロディ】【漂泊者】【氷のくちびる】など
仏映画のワンシーンを思わせる印象的な曲があった」など
【HERO】が代表曲とされることに抵抗を感じられた方のご意見が掲載され(苦笑)
奥さんもその一人だったみたいだけど
当時はそれよりも、甲斐さんの「1位になります」宣言が
「大口」と言われずに済んでホッとする気持ちの方が強かったんだとか…(笑)
「ボーカルの甲斐よしひろさんの認識は違う
渾身の一曲だった、とふりかえるのだ」
「時代を反映した、疾走感とドライブ感のある曲を」という
「めざす音楽に共鳴してくれるファンの存在が揺るぎないと確信したとき
CMの話が舞い込んだ」そうですが
この頃の甲斐さんの音楽分析によれば
「時代の先端を行ってる奴には、みんな疾走感がある」らしく
「チャート1位の風景を見てみたい
もっと高みに行きたい、と欲もあった」というのは
当時の甲斐さんが「25歳までに発言力を持ちたかった」
「アルバム売り上げと観客動員数は伸びて来てたから
後はシングルでタイトルを獲るだけだった」と
話されていたことを指しておられるんでしょうね?
「もちろん、ただの売れ線を狙ったつもりはない」と書かれているけど
「俺はこの時代の中で呼吸しつつ
何かものを考えたりしながら音作りをしてる訳だから
俺自身感じることを大切にしたいなって思うわけ
その時代時代のニュアンスに忠実でありつつも自分に忠実であれ」という
甲斐さんの音楽への向き合い方からも窺えますし
「聞く側は当たり前ではあるけれど
やっぱり[ただの歌]としか聞かないからね
そんな色んな人の心に残る流行り歌は
やっぱり、その時の時代のタイミングと
リアリティーのある、なしで決まるんだろうね」というのも
「やせっぽちの俺たち、ってフレーズ
これを書きたくてこの作品を書いた」
「チャンピオンの座には世界で一人しか就けないけど
ヒーローは、どの街角にもいる
どんなやつにもチャンスは巡って来ると
頑張ってる若い世代に伝えたかった」という甲斐さんの思いが
多くの聞き手にリアリティーを感じさせた結果でしょう
まあこの「フレーズ」については、後にサンストで…
「歌っていうのはホントに言いたいところ、実際2行くらいしかないんでね
これを歌いたいがために膨大な作業をしてるみたいな(笑)
ま、アホだね、こんなことやってる人は(笑)
そのアホさ加減がまた、たまらなかったりするんだけどさ(笑)」
と、笑って話されてますが(笑)
「その時代を取り巻いてる色んな感覚を吸収して
最大公約数の無意識っていうもんを
てめえの血と肉を使って表現するキツさ」から生まれたこの曲に
「パワーを与えられた」「自分を励ましてくれた」という感想も
「決して少なくなかった」と記されてます
宮迫博之さんも船越英一郎さんも
亡くなられた小林繁さんも皆さん、この曲を聴かれ
ご自身で「HERO」になられたんですよね
ただ、この曲のヒットにより
甲斐バンドも文字通り「HERO」になったことで
「街角のヒーロー」のくだりが霞んでしまった感はあるようだけど(苦笑)
「頑張ってる人に頑張れよと言うのは失礼」とか
「迷っている若者に、まともに返しちゃ人生相談になっちゃう(笑)」という
甲斐さん流の応援歌だったんでしょう
甲斐さんご自身が「ややこしいアーティストなんで」とおっしゃってますが(笑)
「胸を熱くするのは洋楽サウンドだけど、歌詞で泣くのは歌謡曲」ゆえに
「日本語で歌うロック」「ロックを書く詩人」が誕生した訳で
更に「ハードボイルド小説のように、言葉を限りなく削って
でも激情あふれる世界を表現したい
ロジックがないとだめなんだけど
そこで肉体の裏付けがないとだめ…」と、もう一捻りが加わったことで(笑)
「裏切られた」とお感じになった方もおられたようですが
奥さんによれば、甲斐さんが話されていることは
「根本的に何も変わってない」らしく
「音楽で世の中を変えられるとは思っていない
だけど[変わるヤツ]はいると思っている」からこそ
「ロジック」がある曲を歌い続けておられるんじゃないかと…
確かに、我が家には「甲斐さんの」という条件つきではありますが(笑)
音楽を聴いて明らかに変わった住人がおります(笑)