ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(5/2)3

2019-05-04 16:03:00 | メディア
続いても奥さんのメールが読まれたんですが
これは、かなり前に投稿して忘れていたものらしく
奥さんは「そんなにメールが少ないのかな?」やら
「イヤ、今、ツアー中だから、投稿数は増えてるはずなのに…」やら…(苦笑)

まあ、以前に甲斐さんは、ライブについてのメールは
「行った人にしか判らないから、あえて読まないようにしてる」と、おっしゃってたし…?

ともあれ…「以前に、大阪のおばちゃんの必須アイテム
『アメちゃん』が話題になりましたが
大阪税関によると、去年のキャンディ輸出額は82億円だったらしく
5年連続で過去最高を更新したそうです」…まで読まれて

「ほお~!輸出額…キャンディの輸出額82億…
えっ!?大阪から出すっていうことですよね?
外国…まあ、色んな所に…東南アジアとかっていうことですよね?」と甲斐さん

「これは、来日した観光客の認知度が上がり
味や食感など種類が豊富なことがウケているからみたいですけど
このニュースを伝えた新聞には…『輸出元の4割を関西が占め
アメージング(驚き)な伸びを支えている

「アメちゃんいる?」という文化が世界に広がるか
いや、そこまで甘くない?』…と書かれていて
こんなコテコテの感性は世界に広げないで欲しいと思ってしまいました」

…を、笑いを含んだ声で読まれ
「へぇー!すごいっすね、これ…なるほど」とコメント
更に「PS.甲斐さんは…」のトコで
「まあ、1回、このアメちゃんのことを読みましたもんね」と説明なさって

「甲斐さんは『僕にアメちゃんをくれる人はいない』とおっしゃってましたが
とあるバーで『アメが欲しいなあ』と呟かれたのをお聴きになった小泉今日子さんが
カウンターの上にキャンディを滑らせて下さったと話されていたことを記憶しております」

…と、最後まで読んで下さり
「とあるバー…」辺りからずっと笑いを含んだ声のまま
「その通りです(笑)そう、キョンちゃんでした、ハイ
僕が…僕、時々、飲み屋で…絶対、バーで欲しくなるんです、アメが…

で…『ああ、アメが欲しいなあ…』って言ったら
カウンターの向こうにいた…あの…キョンキョンが
ターッと、アメをサーッと滑らせてくれたというですね
えー、ありました!ありました!ハイ、ねぇ…」とお認めになって(笑)

「でも、すごいですね、82億…ねぇ?
まあ、アメちゃんだけに『じぇじぇじぇ!』ですか(笑)
あ、違う…それ『あまちゃん』だ(笑)ゴメンゴメン(笑)」
…って「コレが言いたかったのか?」オチ(笑)

キョンキョンファンのボクとしては
「キョンちゃん」って呼び方に「ん?」と…羨ましい!(笑)


そして…「ハイ、ということで…
えー、なんと3月26日にショーケンが亡くなりました
ホントに残念です…ということで、かけましょう」と
【お前に惚れた】を流された後
「やっぱり、あの…声(セリフ?)が入ってる曲が良いだろうなと思ったんで
まず、これからかけました、ね?」と甲斐さん

萩原健一さんの訃報に関する投稿が読まれ…
「僕は、やっぱり、あの…同じ業界にいたこともあったんで
(投稿者の方より)もう少し…ちょっとシビアな見方になるんですけど…

えー、もちろん、もう…あのー『前略』から『傷だらけの天使』から
その…倉本聰さんが脚本書いたりとか
もうね、恩地日出夫が演出…ま、監督…演出で撮ったりとか
えー、とにかく、まず、一番すごい時代を全部観てて…
で、まあ、映画のですね『居酒屋ゆうれい』くらいまでは
えー、僕は観てるんですけど

でも、やっぱり、ナンか途中からはですね
色んなことで、ナンかこう…壊れて行きながら
自滅に向かって行くような感じがしてですね
もう、だんだん辛く…僕は、なって行って、ナンかね

で、こう…ナンてんですか
自分で自分のコピーをしてるような気配の時もあったし
ナンか、自滅に向かって行くような表現が多くなって行って
僕はあまり観なくなったという感じですかね
これもホントに正直に言ってるんで、これ…」
…と、ピエール瀧さんの件に続いての本音トーク

しかも…「僕ね…【HERO】が売れて…【HERO】が、200万近く売れて
えー、その次の年の頭くらいかな?
西武球場で、どうしてもやらないか?っていう話が来て
『えっ!?それ、誰?』って言ったら
『イヤ、実は、萩原さんなんですよ』みたいな話で…

で、僕らは、一切イベントも出なかったし…
実際、それは割と若い時からなんですよね
初めの…だいたい2年くらい経った、3年目くらいからもう出なくなったんで…
で、もう少ない客でもいいから
延々、自分たちの客をとにかくもう掴んで行くんだ
…っていうことからもう、ずっと始まって行ったんで

だから、その当然、NHKホールも一番最初に、ロックバンドでね
ま、演歌と歌謡曲の人しか使えなかったんですけど
NHKホールも一番最初に使ったロックバンドだし
それから武道館、毎年2DAYSやるようになって…っていうようなのがあったんで

西武球場どうのって話を貰った時に
『イヤ、ショーケンだけど、相手は…
イヤ、でも、やっぱり申し訳ないな』と…
で、本人がどうしても会いに来るというような話も
確かに、今思うとあったんだよね
でも『申し訳ないけど、お断りさして貰います』みたいなことで…

それで、それからね(笑)15年くらい経った時に
その(オファーを)仕掛けてたのが、実は、マザー(エンタープライズ)の福田…
ま、社長ね…マザーの社長の福田だったっていうことが判って…
福田選手と僕は同じ年なんで…
『えっ!?甲斐さん、アレ、なに?病気だって、俺、聞いたんだけど
そういうことだったの?』って言われて…

あっ、間に立ったヤツが『甲斐さん病気だ』って…
病気の訳ないじゃん?(笑)そんなのね
何ヵ月も病気の訳ないじゃんね?(笑)
変な断り方してんな…と思ったんですけど…
そういうのもあったりしたんで、ナンかね」…と萩原さんとの接点について明かされ

「やっぱりナンか、僕は、ホントに好きだなあという人は
もうナンか、あんまり…出来ればあんまり会いたくない
えー、ナンかこう…ずっと見守ってる方が、ね?
ナンか、だって、アレ…会ってみて
ちょっと自分が思う…思う人と違う…っていうのは、よくあるんで…
そういうのも、あったと思うんですよね、ハイ」

…と、昔から変わっておられない甲斐さんの持論というか
ジュリーからの曲依頼を「昔から自分が好きな故に…」お断りになったのと
同じような感覚でいらしたんじゃないかと…?

「で、まあ、やっぱり曲を作るとか…
ま、僕は『曲を作る方』側の人間で、ね?…なんですけど
(萩原さんは)『曲を作る方』側の人ではなく
作るのは映像作品の方の人だったっていう感じが、すごいするんで…

まあ、黒澤明の映画のオーディションをやって
黒澤明から、こてんぱんにやられて
その挫折感みたいなの、ずーっと抱えながら何年もいた
…っていう話とか、色々知ってるんですけど

『イイのに、傷だらけの天使で』『前略おふくろ様でイイのに』…って
ずーっと僕はもう、それをずーっと思ってたしね、ハイ」
…と話されていて、こういう言い方はナンですが
いわゆる正統派や超大作に相応しい「本物の役者」を目指すショーケンよりも

「街のチンピラ」とか「修行中の板前」といった
どこにでもいそうな等身大の人間を演じることが出来る
「シンガー」のままでいて欲しいと思っていらしたのかなあと…?

で…「ホントに惜しいなあ…という感じです
もう正直に今日言いましたけど…
えー、ということで、今夜…まあ、岸恵子との…斎藤耕一監督ね
岸恵子と…『約束』でも観ようかなと、えー、思ってます」

…と、これはもう「キネマ旬報」の緊急追悼「さらば!ショーケン」で
グラビアのトップに掲載された萩原さんの出世作ですが
甲斐さんは「約束」した相手が現れず
待ちぼうけになられたことがおありなんでしょうか?
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