ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ビルボードツアー2019東京(5/18~19)2

2019-05-25 14:35:00 | ライブ
甲斐さんが「良い歌手は膝で歌う」というご自身のお言葉通り
膝でリズムを取りながらギターを弾いて歌われる【新宿】と【ポスターカラー】は
我が家の「ギターを弾く甲斐さん好き」にとっては
ライブ前半のハイライトな訳ですが(笑)

2日目の1stステージで、すぐ近くの席の方が
手で口元を覆いながらとはいえ、あくびをなさったことにビックリ!…(苦笑)
まあ、奥さんの苦手な曲をお好きな方も、もちろんいらっしゃるでしょうし
楽しみ方は人それぞれですもんね(笑)

ただ、奥さんによれば…【ポスターカラー】は
甲斐さんが手がけられた数多のカバー曲の中でも屈指の名カバーらしい
どんな曲でもご自分のものになさってしまうのは周知の事実でしょうけど

「アマチュア時代に歌ってた」り
初期の甲斐バンドライブや、かつてのセイヤングの「生歌コーナー」
サンストの「カラオケ大会」などで取り上げられたりと
かなり歌い慣れていらっしゃるとはいえ

文字数がバラバラの歌詞を絶妙の間でメロディに乗せるだけでなく
【翼あるもの】の「どしゃ降りぃぃの雨を抜けぇぇ」みたいな
独特の「甲斐節」よろしく
メロディの長さの割に少ない文字数の歌詞を歌いこなされているのが「スゴイ!」と…

そうそう!奥さんが白いTシャツとスカートで参戦した名古屋ライブで
甲斐友さんから「『私、白が似合うでしょ』という
歌詞に合わせて着て来たの?(笑)」と言われ(笑)
その日の【ポスターカラー】が、口ずさみにくかったことがあったそうですが(笑)

この日のライブの模様が記されたブログに「白いドレスの女性」が登場(笑)
「名古屋代表と呼ぶにふさわしい」みたいな感じに書かれていて
「名古屋出身じゃないですけど…」と苦笑いしておりました(笑)

それはさておき…そのちょっと苦手な6曲目(苦笑)では
いつも木村さんの演奏を楽しんでいた奥さん(笑)
これは、名古屋で木村さんに近い席になった時に
「ピタッ!ピタッ!」という音が聴こえて
「えっ!?この音なに?」と思ったら

木村さんの右手が、弦をつま弾きながら、ボディを叩くタップ音で
「押尾コータローさんみたいなことしてる~!」と驚いて以来
ついつい目が吸い寄せられるようになったんだとか…(笑)

ただ、東京2日目は、木村さんが全く見えない席で
かつ、甲斐さんからは、しっかりチェックが入るという状況で(笑)
今ツアー初めて、この曲を口ずさむことに…(笑)
まあ「甲斐さんはニヤリとしてた(…と主張)」らしいです(笑)

あっ!申し遅れましたが「JAPAN DAY」のお土産話の数々は
「ニューヨーク・ニューヨーク」で触れておりますので
重複部分は割愛させて頂き、それ以外のエピソードのみご紹介しますと…

セントラルパークでライブをなさることについて
「スゴイですね!サイモン&ガーファンクルと一緒ですね!」と言われて
「違うって…(笑)あれはもっと奥の方でやったんで…貯水池の近くなんで」と甲斐さん

サイモン&ガーファンクル復活のきっかけとなったこのライブは
奥さん達が「JAPAN DAY」の会場の下見でウロウロした(笑)
「デラコルテ・シアター」とメトロポリタン美術館の間の
「グレート・ローン」と呼ばれる一帯に組まれたステージで行われたようです

ちなみに…その奥(北)にある「貯水池」は
1994年に亡くなったジャクリーン・ケネディ・オナシスが
この周りのマラソンコースをよく走っていたということから
彼女の名前が付けられているらしい

奥さんの買ったガイドブックには
そのジャクリーン・ケネディ・オナシス・レザボワールより
「北には行かないように」との注意書きがあるんだけど

グレート・ローン辺りまでで、セントラルパークの全敷地の約半分
貯水池が更にその半分くらいの大きさだから
パーク内の約4分の1は「ヤバイ」地帯ということですねぇ(汗)

「ヤバイ」といえば…
「昔は『危険だ』と言われてたんですけど…」と甲斐さん
ニューヨークで地下鉄に乗られる際に
乗車カードをスキャンするスリットが、改札の右側に設置されているため

「最初は上手くいってたんだけど、慣れて来ると
どうしても角度がつくんでしょうね?何回やってもダメで…
『甲斐さん、それ、もうくぐった方がいいよ』って言われて…
くぐったら、通れるんだよ(笑)」と話されていたそうです(笑)

まあ、右ききの奥さんでも最初は失敗したらしいので(笑)
ちょっとしたコツが要るんでしょうが
「あのゲートくぐってる甲斐さんを想像しただけでカワイイ♪」と…(笑)

そのゲートというのは、短い金属性のバーが数本、それぞれ角度をつけて伸びていて
その内の水平な1本をガチャンと押し下げて通ると
軸が回転して、次の1本が水平になる…といったもので

水平になった1本以外のバーが下向きに突き出しているため
地面との隙間が狭いんだとか…(笑)
って、くぐって通れるなら、またいでも行けそうな気が…?(笑)

あとは、以前にセントラルパークを散歩されていて
「JAPAN DAY」をご覧になったことがあるとの話から
「ジョン・レノンの…こう丸い…地面にあるんですよ
そこも行ったんですけど…」と話されたものの

ジョンの死後、オノ・ヨーコさんと当時の市長によって捧げられたモザイク
「ストロベリー・フィールズ」という名前が出て来なかったご様子だったそうです(苦笑)

そういえば…「会うというより、きっと来るでしょう」とおっしゃっていた
ピース綾部さんとは、再会なさったんでしょうか?(笑)
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ビルボードツアー2019東京(5/18~19)1

2019-05-24 14:01:00 | ライブ
甲斐さんファン歴45周年の記念に(笑)
30年ぶりの海外旅行を敢行した奥さん
行きも帰りも時差ボケ知らずで、いたって元気だったんですが
雨の中のライブはもちろん、甲斐バンドの聖地巡りなど
その旅を心ゆくまで満喫したために…って

まあ、職場の皆さんからは「時差はどのくらい?何時間かかるの?」
「費用はいくら?スゴイねー!…で、何曲聴けたの?」と
半ば呆れ顔で質問責めにあったみたいだけど(苦笑)
本人は「こういうことは『プライスレス』なんで…」と満足しかなく(笑)…

ある意味「燃え尽き症候群」的な気分だったところへ
帰国してからの勤務シフトが「えげつないことになってた」らしく(汗)
ビルボード東京でのツアーファイナルに全く気持ちが向かわず(苦笑)
「甲斐さんのニューヨーク話」だけを頼りにバタバタと出かけて行きました(笑)

甲斐友さん達に「JAPAN DAY」のプログラム冊子と
甲斐さん縁のホテルで見つけたお土産を渡して
写真を見せたり、ライブの模様などを話したり
ご一緒した甲斐友さんが撮った「奇跡の動画(笑)」を観て
甲斐さんの満面笑顔にキュンキュンしたり…(笑)

気分はまだニューヨークのまま(笑)席に着くと
両日とも、このブログの読者の方々から声をかけられたらしく…
って、これは、ブログを始めた当初に
奥さん自身はもちろん、甲斐友さん達が不快になるようなことがあれば
「即刻中止」を言い渡されていた訳ですが(汗)

今回のお声がけというのが…
例えば、ライブの又聞きレポに登場された方から
「書いて頂いてありがとうございます」というお礼だったり
「いつも楽しみにしてるので、更新されていないと寂しくて…」とか

「物を書くお仕事じゃないんですか?
本を出されたらいいのに…」とか
「いつも何か心に残る文章があるんです」…といった
過分なお褒めの言葉だったそうで(汗)
「イヤ、私に言われても…」と戸惑いつつ、伝言してくれた次第です

ただ…「『それは、コメントで直接本人に言ってやって下さい』と思った(苦笑)」
らしいので…イヤ、もちろんボクにとって
そのお言葉は大変嬉しくありがたいもので
こんな拙い文章には勿体ないと恐縮しておりますけれども
今後もこのブログを継続して行くために
ライブ会場等でのお声がけは控えて頂きたく
改めてお願い申し上げます…m(__)m


さて、そのツアーファイナルおまとめ又聞きレポへ参りましょう♪
甲斐さんは「僕ら、ニューヨーク帰りなんで…国の使いで…(笑)
時差(ボケ)もなくですね、絶好調!(笑)」とおっしゃったものの

初日の1stステージ、1曲目の【四月の雪】の間奏で
突然、斜め後ろの小テーブルを振り返られたかと思ったら
手になさっていたブルースハープと
テーブルの上に置かれていたそれを素早く交換され
ギリギリ演奏に間に合ったという一幕が…(笑)

2曲目の【別離の黄昏】では、歌詞が出て来なかったり(苦笑)
鈴木さんのギターにトラブル発生(汗)数度のやり直しとなって
「『絶好調!』ねぇ…(笑)」と奥さん(苦笑)

その一方で…「こんな時間からとはいえ、一杯飲んだ方がいいよ(笑)」と
客席の雰囲気を揶揄なさったようですが
奥さんによれば、直前に渡米されたことはもちろん
名古屋と大阪のステージでは「羽目を外し過ぎだろ!(笑)」と
思わず笑ってしまわれるような盛り上がりをご覧になっていたため?(笑)

フツーに耳を傾けている様子を「緊張している」と思われたんじゃないか?と…(笑)
まあ、そのすぐ後に「どうせ最後には
盛り上がるんでしょうが…(笑)」と付け加えられたみたいですけど…(笑)

その【別離の黄昏】が終わった時に
例の「友人の船越英一郎に捧げる(笑)」発言があり
初日の2ndステージにおみえになっていた
船越さんに気づいていらした皆さんが、一斉に船越さんの方を見上げて拍手(笑)

奥さんも開演前に船越さんのご来場に気づき
甲斐さんが、先の発言をなさるんじゃないか(笑)と思っていたそうで(笑)
翌日のMCで「昨日、船越さんが来てたのに、うっかり…(笑)」と説明されたことに
「イヤイヤ、確信犯でしょ!(笑)」とツッコミ(笑)

更に「船越さんが『柱の陰に隠れようかと思った』と言ってた(笑)」と話された際にも
「イヤイヤ、船越さんは、椅子から立ち上がられて
拍手する観客に頭を下げていらしたし…(笑)」と心の中で訂正(笑)

もっとも「船越さんは変わった人で
この曲は研ナオコに書いた…『私はタフな女』っていう
ドラマの主題歌だったんだけど
『僕、このドラマのサントラ盤持ってます!』って…(笑)」
と明かされたことには「確かに…(笑)」と頷いたんだとか…(笑)

ただ、そういう辛い別れは「早い方がいいのか?
年を取ってからの方がいいのか?
僕はわりと早くに経験したんで…」とおっしゃったり

そういうプライベートがキビシイ時期は「仕事しかないから」
感情を作品にぶつけて昇華させていらしたそうだけど
「松藤から『イイ曲書くねぇ!
一生、不幸だったらいいのに…(笑)』…と言われた(笑)」話をなさったりするたびに

奥さんは、当時の「もう何を信じたらいいのか判らない」とか
「せめて仕事だけはきっちりやらないと…」という甲斐さんの言葉や
ライブでの悲痛なまでのパフォーマンスを思い出し、胸が痛くなったトコへ

3曲目の【薔薇色の人生】や4曲目の【新宿】といった
甲斐バンド初期のナンバーが続き
グッと気持ちが惹き込まれたのに【新宿】でやり直しがあり(苦笑)
「情緒不安定この上ない」と…(苦笑)

甲斐さんのイヤモニも、今ツアー始まって以来の不調みたいで
ステージ上手側におられるスタッフの方に、イヤモニを指差されては
何度も「上げて!上げて!」の身振りをなさっていたらしく
ナカナカ波乱含みな展開で、ファイナル初日がスタートしたようです(苦笑)
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ニューヨーク・ニューヨークおまけ

2019-05-23 19:12:40 | その他
甲斐さんが「劣悪な環境」とおっしゃった通り
非常にキビシイ条件の中、甲斐よしひろバンドのライブに参戦し
風邪のひとつも引かず(笑)帰国の途についた奥さん達
行きは、1日得した気分だった代わりに
帰りは、出発した翌日の夕方到着で「ナンだかなあ…」な感じ(笑)

入国時はもちろん、出国の際にも厳重な審査があるため
出発の3時間前には空港に着いておきたいと
朝食後、ホテル前からイエローキャブで出発
ニューヨークに到着した日に見かけた「KAI」という看板を探し
再び目にすることは出来たものの、カメラには収め切れず…(苦笑)

空港が近づいて来たところで、各ターミナルごとにレーンが分かれ
奥さん達の乗ったタクシーは、目指す7番へのレーンに移ったはずが
最後の分岐の表示がまぎらわしく「間違えた…」と運転手さん(苦笑)
4番の駐車場出口で料金を払い、少し遠回りで7番に到着

搭乗手続きの際に、事前の予約では前後の席に分かれていたのを
隣同士の席に変更して貰い、スーツケースを預けて、いざ出国審査へ…

手荷物はもちろん、上着と靴も脱いでカゴに入れ
カプセル状の金属探知機の中に入り、両手を頭の上に上げ
スライド式のパネルがカシャカシャと動いて
360度くまなく調べられた感満載(汗)

まあ、ここをクリアすれば、あとは搭乗時間までボーッとしてるだけ(笑)
でも、少しの時間の違いで、奥さん達が通過した後には
トンでもない長蛇の列が出来ていたらしい(苦笑)

お土産物など、ひやかしながら飲み物を買って
搭乗ゲート前の椅子に座っていると
木村将之さんがお一人で歩いて来られ
「わっ!ホントに2泊4日なんだ!?」とビックリ!

甲斐よしひろバンドのご出演日時が判った時点で
鈴木健太さんや山田拓斗さんのライブ情報をチェックすると
出発は、前日の土曜日(到着も現地時間の土曜日)と思われたものの

山田さんが「JAPAN DAY」翌日に、NY生活時代ゆかりのジャズバーで
ライブを行われることをアップなさっていたし
鈴木さんと木村さんのスケジュール詳細は判らなかったとはいえ
「まさか、そこまで弾丸ツアーじゃないでしょ?」と考えていたみたいです(笑)

もっとも、甲斐さんはビルボード東京のライブMCで
「僕は2泊でいいと思ってたんですけど…」とおっしゃったそうですが…(笑)
奥さんは「絶対、甲斐さんだけ、滞在期間を
前後1日長くしてるよね」と予想してました(笑)

「JAPAN DAY」の翌日に、ニューヨーク総領事館公邸で
レセプションが行われたらしく「スピーチしたんですよ」と甲斐さん

甲斐バンド時代に、ストーンズやデヴィッド・ボウイの曲を手がけた
ボブ・クリアマウンテンと仕事をなさるために
ニューヨークへ行かれたことを話されたのに
通訳の方が「音楽に弱い人だった」ので(笑)

「ローリング…?(『ストーンズ!ストーンズ!』)
おお、ローリング・ストーンズ!」やら
「デヴィッド…?(『ボウイ!』)ボウイ?」やら
フォローがないと名前も言えないくらい
音楽の知識がない方だったみたいで(苦笑)
「ボブ・クリアマウンテンに至っては『エンジニア』になってました(笑)」
と笑っていらしたんだとか…(笑)

奥さんにとっては「JAPAN DAY」のキーマンという認識だった山野内勘二総領事が
「長崎のヤツで、去年、大使になったばっかりで
『【ポップコーンをほおばって】で大きくなりました!』
『【100万$ナイト】千回聴きました!』って言うんだよ(笑)」

…というほどの「甲斐バンドフリークでいらしたとは!?」と驚き
慌ててググってみたらしい(笑)
したら、なんと、奥さん達が休憩を取っている間に
「バンド シェル」で、ビートルズの曲を演奏なさっていたり(笑)

ニューヨーク総領事・大使就任後のインタビューで
「CD7千枚」を有される「音楽好き」についての質問に…
「これは、ビョーキですから(笑)
特に好きなのは、ロックとジャズとクラシックですが
レゲエやボサノバも好きですし
映画は『いいな』と思ったら、サントラ買ったり」…とお答えになっていたり(笑)

モーツァルトの音楽は、当時のアバンギャルドの一種で、ロックですよね
貴族たちには、不協和音に聞こえたかも知れないけれども、今は耳に心地よい
バッハの音楽は、ジャズに近いものがある

時代の最先端をやろうとした人たちは
誰もやったことのないものを試そうとしている
そういう意味では、マイルス・デイビスやジミヘンがやったことと
通じるものがあると思う…といったことを熱く語られていて、ナットクした模様(笑)

それはさておき…ようやく搭乗が始まり、機内に入ると
奥さん達の席の斜め前に木村さんが!?
しかも、そのお隣は、当初、奥さんが座るはずだった席で(笑)
もし、座席変更をしなかったら、眠ることはもちろん
飲み食いもお手洗いに立つこともロクに出来ずに
長時間のフライトが、更に長く感じられたんじゃないかと…?(笑)

まあ、当の木村さんは、かなりお疲れだったんでしょう
離陸する前に既に爆睡なさっていたみたいで(笑)
隣の席が誰か?なんて全く気にされてなかったかも知れませんが…(笑)

その後ろでは、たぶん?「JAPAN DAY」に参加されたとおぼしき
ミュージシャンの方が、ケースに入れた楽器(バイオリン?)を
ご自身の隣の席に大事そうに座らせ
シートベルトを締めておられたそうだけど
木村さんのWベースは、さすがに貨物室ですよねぇ?(苦笑)

成田に着いて、スーツケースを受け取り
出口に向かう途中で、木村さんとバッタリ!
「お疲れ様でした!」と、心からご挨拶すると
にっこり笑って会釈を返して下さったんだとか…♪

甲斐友さんと別れ、東京駅行きバスのチケットを買い、バス乗り場で待っていると
車内で料金を払う方式のバスが到着し
飛び入りで並んでいた方々が先に乗車!?

行きのバスはネット予約可だったものの、帰りは予約不可のため
空港内のカウンターに並んでチケットを買ったのに
「イヤイヤイヤ、おかしくね?」と奥さん(笑)
次に成田空港を利用する時には「絶対、飛び入りで乗ってやる!」と誓ったらしい(笑)
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ニューヨーク・ニューヨークその8

2019-05-22 14:12:00 | その他
甲斐さんが、ビルボードツアーのMCで
ニューヨークでは「有名な曲ばかりやる」とおっしゃっていたそうなので
ボクは、今ツアーのセットリストからは
【ビューティフル・エネルギー】が選ばれるんじゃないかと思ってたけど
奥さん待望の【汽笛の響き】が演奏され、残るはアノ曲とアノ曲…(笑)

…ということで、再びギターを手にされ
「【安奈】というナンバーをやりましょう
知ってる人は歌って下さい」と甲斐さん

これは、皆さん想定内の選曲と思われますが
奥さんは、ツアー前に伺った山田拓斗さんのライブで
アクシデント発生のため、急遽1曲目だけ、山田さんお一人で演奏されることになり

「甲斐よしひろさんのツアーのオーディションで弾いて以来初めて」という
この曲を披露して頂いた経緯もあって
山田さんのフィドルをバックに歌われることが、非常に感慨深かったみたいです

「『JAPAN DAY』に呼んで貰って嬉しく思います」というコメントの後
ラストは、もちろん【HERO】
ツアー中に行われたという「JAPAN DAY」のリハーサルで
この曲を合わせられた際に「下手でした、俺の歌が…(笑)」

…と、おっしゃっていたそうだけど
そんなことは微塵も感じさせないパフォーマンスで
大トリのステージを締めくくられ
そのまま「バンド シェル」の閉会式へ突入

MCのサンドラさんや関係者の方々が、続々とステージに上がられ
ふと見ると、キティちゃんも登場(笑)
全員で記念撮影が行われることになり
たぶん?主催者側には、甲斐さんのお隣にキティちゃんを…
との思惑があったんじゃないか?と奥さん(笑)

キティちゃんが、さりげなく甲斐さんの方に近づこうとしているのを見て
その2ショットを想像するだけで「ウケる~(笑)」と思っていたら
おそらく?その気配を感じ取られたんでしょう(笑)
甲斐さんは、スッと立ち位置をずらされたらしく(笑)
「45周年」同士の2ショットは実現せず…(笑)

最後に、ステージ上の皆さんが後ろを向かれ
ステージ後方の、かなり高い位置のカメラで、観客席をバックに数枚撮影
この時、奥さんはネットで見た去年の「JAPAN DAY」の様子を思い出し

「あのカッパを着た人達は、スタッフじゃなくて、お客さんだったんだ!?」
と、今さらながら気づいたんだとか…(笑)
…っていうことは、傘を差している方はいなかったってこと?(笑)

ともあれ、ステージを降りられた甲斐さん達の後について行くと
ステージ下手側の通路の奥には、いくつものテント…
本当のキャンプで使われるような(笑)…が幾つも張られていて
それが、皆さんの楽屋代わりらしく(笑)

帰り支度の整った方から順にテントを後にされ
迎車が待つ場所まで歩いて行かれるようで
まず、メンバーの皆さんをお見送りし
甲斐さんが出て来られるのを待っていたら
「JAPAN NIGHT」の仕切りのためにおみえになっていたんでしょう
甲斐さんのテントから、ディスクガレージの中西社長が…!

奥さんが「やっぱり、甲斐さんもMISIAさんのライブに行くのかな?
飛び入りで【最後の夜汽車】歌ったりしないよね?(笑)
でも、紫舟さんも来てるみたいだし…」と
出発前に「チケットを取ろうか?」と迷ったことを少し悔やんでいると

ほどなくして、甲斐さんが出て来られ
傘を差しかけるスタッフの方の向こうから
まず右手で、続いて左手で手を振って下さったらしく…って
奥さんによれば、木の陰に隠れそうになるトコでは
少し体を反らし気味になさって
「しかも満面の笑顔で!」いらしたそうで(笑)

「あの笑顔を見られただけで、ニューヨークまで来た甲斐があった♪」と大喜び(笑)
「一生、反芻し続ける!(笑)」と目に焼きつけたそのシーンを
なんと!甲斐友さんのカメラが押さえていて
ホテルに帰ってからはもちろん、日本に戻ってからもリピート&リピート(笑)

近々、ダビング映像が我が家にやって来ることになってるんだけど
幾つもバックアップを取っておかないと
あっという間に擦りきれる?んじゃないかと…(笑)
もちろん、奥さんの葬儀では、一緒に棺に収めるよう厳命されました(笑)

別動隊の甲斐友さんも、甲斐さん側から「動画係」に任命された(笑)男性も
あまりの寒さに、真っ直ぐホテルに戻られるとのことで
奥さん達もブラブラ買い物などしながら帰途につき
ライブと甲斐さんの笑顔に高揚した気分のまま歩いている内に
感極まったのか?奥さんいきなりの号泣…(苦笑)

ホテルに着いて、濡れた服を着替えてみると
改めて、先ほどまでのライブ環境の悲惨さが思い起こされ
「ホントに甲斐さんのライブが好きなんだなあ…(笑)」としみじみ…って今さら?(笑)

その甲斐さんは、開演前のメディアのインタビューで…
「こういう、なかなか…天気の中でも
ああいう風にエンジョイした感じで皆さん…
あのオーディエンスがいて貰えるんで
それに応えて良い演奏を楽しみたいなと思いますけど…

僕は、あのー、1980年の終わりくらいからもうずっと
ここで仕事を…10年ほど仕事してたんで…
ストーンズとかデヴィッド・ボウイとか
それから、スプリングスティーンとかね、全部やってるエンジニアと…

基本的には、ここに戻って来ると、まあ、リラックスしますよね
そういう意味じゃ、街自体は相変わらず、すごいエネルギッシュだし
すごくもう、みんなも…ナンての?すごい良い意味で溌剌としてるから
だから、逆に僕も元気貰えて、ね?イイ感じですよね」…と話されてましたが

甲斐さんの体の芯には「博多」の街があるような気がすると奥さん(笑)
新宿や下北沢といった東京の街だけでなく
名古屋や大阪など他の街でも、人が多く活気に満ちた
猥雑な感じのする場所に行かれると
その体内の「博多」とシンクロするようなスイッチが入って(笑)
生き生きなさるんじゃないか?と…(笑)

そう言う当人もニューヨークをいたく気に入ったらしく(笑)
「ライブがなくても、また行ってみたい♪」そうです(笑)
ただし、雨とスタバのトイレは抜きで…(笑)
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ニューヨーク・ニューヨークその7

2019-05-21 13:44:00 | その他
甲斐さんが気になさっていたマイクのヘッドを
スタッフの方がガムテープや自らの手で(笑)
上向きなるように修整されるというアナログな場面もありつつ(笑)
【風の中の火のように】が終了…

ビルボード東京でのMCによれば…当日の悪天候だけでなく
「舞台監督もいなきゃ、PAとかのスタッフも…プロが誰もいないんで…」
つまり、ライブを行う上で演者の方々が、演奏に集中できるようにする作業が
全てボランティアの方に託されていたために

「プロになって最大の劣悪な環境」で
いらしたらしく(汗)
「これだけで20分話せる(笑)」と、おっしゃったそうです(苦笑)

だから、メンバーの皆さん自ら、開演直前にセッティングをチェックされたのを
運営側がスタンバイと勘違いした一幕があったんでしょうね?(苦笑)
その前にリハーサルを行われる際にも
メンバーの皆さんの手で配線などを行っておられたらしいし…

そうそう!そのリハーサルにしても
「音が出てないから、リハーサルの意味がない(笑)」と甲斐さん(笑)
「ニューヨーク事情なのか?(笑)
ベースだけ遅れて聴こえて来るし…(笑)」…と明かされたそうだけど(笑)

奥さんによれば…渡米前に公式サイトにアップされた
「僕は楽しみます!」とのコメント通り
そうした悪条件さえも面白がっておられる風に見えたんだとか…(笑)

まあ、それは、ライブ百戦錬磨の甲斐さんのことですから(笑)
それくらいの余裕はおありでしょうし
普段「あうん」の呼吸で動かれているスタッフの方々がいらっしゃらなくても
現状可能な限りの最高のパフォーマンスを心がけられたはずだし

それに、今回のご出演は、今ツアーメンバーの皆さんとの演奏を
ニューヨークの方々に聴かせたい…ということはもちろん
メンバーの皆さんにも、日常では経験できないシーンを味わう機会を
プレゼントなさった…といった側面もおありだったのかなあと…?

「25歳までに、一度は海外に行った方がいい」説と同様に
「外から日本を見つめ直す」という意味も含め
そこで得たものが、今後の音楽や考え方にも
新たな刺激となって生きて来るという、ご自身が体験なさったことを
この若き精鋭たちに伝えたい、といった親心のような…?(笑)

それはさておき…「メンバーを紹介しましょう」と甲斐さん
さすがに、山田拓斗さんのお名前をイジられることはなく(笑)
「せっかくニューヨークに来たんで、英語の歌をやりましょう
500マイルも離れた恋人を想う歌です」…って【500マイル】!?

サンドラさんのインタビューでのやり取りですら
「英語力、大丈夫かなあ?」と心配していた奥さん(失礼!)
想定外の選曲に「やっぱ、甲斐さんって、チャレンジャーやわ(笑)」と…(笑)

もっとも、この曲は、今回のビルボードツアー開幕直前の甲斐報の
「私の想い出の1曲」という特集で人気の高かった曲ですし
2016年のシーズン2を最後に、もう耳にすることもなかった奥さんも
久しぶりの演奏にも関わらず、歌詞がスラスラと出て来るくらい
すっかり体に馴染んでいたみたいです(笑)

1曲目に続き、甲斐さんがギターを弾いておられたので
自分がセンターにいる時の決まり文句…
「動かない甲斐さん、イイな~♪(笑)」…を呟きながら、がっつりガン見(笑)

実際、ステージの両脇に設置されていたビジョンモニターは
帰国して、動画に映り込んでいるのを見るまで
その存在すら忘れていたんだとか…(笑)

まあ、これまで参戦した野外フェスでも
ビジョンモニターに映し出されるアップより
豆粒でも「ナマ甲斐さん」を優先して来たようだし…(笑)

続く3曲目は【汽笛の響き】
リハーサルで演奏された時から、期待値が上がっていた奥さん(笑)
やはり、この曲は、このバンドの「現在」を表現するのに「最適でしょう♪」と…

山田さんも…「音をしゃくり上げるようにして弾き始める
ブルーグラスならではの奏法」をフィドルの持ち味のひとつとされ
この曲では「そうしたブルーグラス的なアプローチで
思い切りやらせて貰いました」…と話されていて

その冒頭の鈴木さんとの掛け合いには
人をグッと惹きつける心地よさと、気持ちを高ぶらせる緊張感があり
奥さんは、つい皆さんの手がふさがっていることを忘れ
いつものように手拍子し始めたものの
甲斐さんの歌が始まったトコで撤退…(苦笑)
もちろん、ヒョコヒョコしながら
大声で歌うのは止められなかったみたいだけど…(笑)

ただ、最後の最後…「寂しさに消え入りそうな街の灯りの下」…という歌詞の後
「俺たちの報われない愛があった」と続くところを
「止まらない時の流れ」…と再び1番の歌詞に戻られた甲斐さん(苦笑)
上手く?「愛があった」に着地されたようですが(笑)

奥さんは「ちょっとやらかしちゃったねぇ…(苦笑)
私はちゃんと大きく口開けて歌ってたつもりなんだけどなあ(笑)」と申しておりました
でも、この曲の映像が、あまり見当たらないのは、そのせいじゃないですよね?(笑)
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