タカへの個人的な日記-goo版

個人的な日々の出来事をつづっています。暇つぶしに読んでもらえれば。

常光円満寺 じょうこうえんまんじ 摂津国八十八箇所 第42番札所

2016-06-14 18:05:02 | 摂津国八十八ヶ所霊場

摂津国八十八箇所というマイナーな御朱印あつめを
開始してからぼちぼち一年以上になるかも。
だんだんやる気がなくなってきてるのですが
この頃はまだ集めることに燃えてました。

自分の御朱印記録なんで適当にスルーしてくださいね。

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やってきたのは大阪府吹田市の常光円満寺じょうこうえんまんじ。

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寺の縁起によれば、聖武天皇の天平七年(735)行基の開創とされる。
行基は夢の中に牛頭天王が現れ「吹田に聖なる香木がある」という
お告げを聞き吹田に来てみると、白砂青松の砂浜に、夢のお告げ通り
一本の香木が打ち上げられていたと云います。

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僧行基は、その香木で聖観音菩薩像を彫刻し、この場所を聖地として
お堂を建て、聖観音菩薩像を本尊としてまつられました。
このお堂は浜辺に建てられたことから、人々はいつしか「浜の堂」と
呼ぶようになり、行基の布教道場となったことが常光円満寺文書に
記述があるそうです。

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智慧を授かる為に日夜光明が絶えず、誰云うことなく山号は
慧日山となり、「常に光明が放たれる寺」ということから
「常光寺」と改めたんどとか。
治承2年(1178年)隣地吉志部村(現在の岸部)にあった
円満寺の仏像を移して、同寺の寺号を加えて常光円満寺と号されました。

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盛時には薬師院や南坊など七堂伽藍が甍をならべ
塔頭僧坊が13を数え数万坪という広大な寺領荘園を領有していた
荘厳偉容は四燐を圧するほど…と伝えられてすとか。
応安二年(1396)足利三代将軍義満は、ご本尊・聖観世音菩薩に
深く帰依され、本院を祈願所となされ、足利一門の武運長久を
祈願されてまいりました。 以後常光円満寺は足利将軍の菩提寺として
初代足利尊氏以下歴代の祖先の位牌をおまつりし、回向を勤め
寺紋も足利氏の引両紋を拝受されています。

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また永享年間(1429)頃には、当地の豪族たる吹田河内守重通ら
吹田氏から本院に広大な土地を寄進されたことが、当寺に伝世する
「常光円満寺文書」に記述があります。
後、常光円満寺は応仁の乱(1467)で陣僧をもって防戦に努めるも
兵火によって全焼され広大な寺領荘園の多くを失うことになります。
寛文十一年(1671)教範和尚によって再建されましたが
以後本堂や庫裡(くり)も数度の修復を行い、
現在の本堂は昭和56年(1981年)の再建である。

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宗派は高野山真言宗 。

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大阪府吹田市元町28-13。

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111枚目。

ご訪問ありがとうございました。





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