今日の大阪は天気最高!でも仕事でした。
なので御朱印記録を。
お参りにはきたことがあるのですがまだ
御朱印をいただいてなかったので高浜神社へ。
去年の話ですけどね。
大阪府吹田市の高浜神社です。自身の御朱印記録なんで
適当にスルーしてくださいね。
高浜神社の創立年代は詳らかではありませんが、五世紀前後の
大和朝廷の頃、河内の国で栄えた次田邑の豪族
「次田連(スキタムラジ)」の一族が淀川に渡り移住し、次田村を
興したのが「吹田」の始まりでありなんだとか。
興すにあたって、彼らの祖神である火明命(ホアカリノミコト)
天香山命(アメノカゴヤマノミコト)の二柱を祀って氏神神社と
したのが高浜神社の始まりとされています。
社名は地名「高浜」にちなんで「高浜神社」とつけられました。
「高浜」は「吹田」の別称、歌枕でもあります。
昔から「吹田大宮」「吹田神社」とも呼ばれる吹田総社でありました。
また、摂陽群談・摂津名所図鑑等の古書に「名就神社」とも称し
「二魂坊」「日光坊」の脳(なづき)をまつるとしています。
高浜神社が知能の神、学業成就、脳神経の神として知られる所以です。
ってことです。
天平七年(西暦735年)僧の行基が訪れ、当社の西方に「石浦神宮寺」を
建立し、これを「浜之堂(現在慧日山常光円満寺)」と名付けました。
それと同時に当社に牛頭天王(ゴヅテンノウ)を勧請、お祀りして
「浜之宮牛頭天王社」と呼び換え、こののち高浜神社は
神佛習合の両部神道となったそうです。
西暦1229~1250年にかけて藤原氏一門の別邸がこの高浜の地に
沢山営まれました。特に太政大臣藤原(西園寺)公経
実氏父子の吹田山荘「吹田殿(スイタドノ)」(高浜神社のすぐ前)は
最も有名でありました。当時の朝臣、公卿達は方違(カタタガイ)
又は湯治とも言って来遊し、その豪遊については藤原定家が
「明月記」に記しています。吹田に来遊された雲上人
藤原為家、藤原隆季、藤原光俊等も「夫木集」で高浜の歌を詠んでいます。
西暦1908年、高浜神社に合併された元の神境町鎮座の春日神社は
藤原氏一門が金華玉条を残した栄華時代、西暦1240年にその氏神神社として
建立された神社と言われています。
西暦1251年、後嵯峨上皇は吹田殿に御遊幸なされ
その時に当社にも御参詣遊ばれて「社頭の松」と題する御歌
「来て見れば千世も経ぬべし高浜の松に群れいる鶴の毛ころも」
を御詠みになりました。
「鶴の松」と呼ばれる老松の古株。
住所は大阪府吹田市高浜町5番34号。
112枚目。
ご訪問ありがとうございました。