1997年11月1日。フランスW杯アジア最終予選。
日本は、アウエーのソウルで 韓国を 2対0 で破った。
選手は、上から北澤、 呂比須、相馬。 なつかしいなぁ。
(わが家秘蔵の 当時のサッカー週刊誌の表紙です)
今日もぜひ、この試合の再現を期待しています!
いよいよ今日、午後7時15分から、サッカー・東アジア選手権の優勝を決める大一番が行われる。対戦相手は宿敵韓国。岡田Jの真価を問われる試合になるだろう。
同じサッカーの試合でも、日韓戦だけは異様に燃える…という人が多い。
他の試合を見なくても、韓国戦なら見る、という人も沢山いる。
まして今回のように、タイトルをかけたガチンコ真剣勝負の場であれば、ますます息詰まる熱戦が期待できる。
見ているうちに、本当に息が詰まってきたりする。ゴホッゴホッ。
わが家は一家揃ってサッカーファンであり、息子たちは2人とも、少年時代は地元のサッカークラブに所属していた。親子4人で住んでいた頃は、主だったサッカーの試合があると、揃ってテレビの前で観戦した。妻も、サッカー大好き人間で、選手に関してなどは、僕よりはるかに詳しい知識を持つ。
4人で見た、今でも忘れられない試合…。あのドーハの悲劇と呼ばれた試合だ。
日本にJリーグが発足した1993年に、翌年のワールドカップアメリカ大会のアジア最終予選が行われた。オフト監督率いる日本代表は、サウジに引き分けた次の試合でイランに敗れていきなりピンチに立たされた。しかし北朝鮮に勝って何とか立ち直ると、次の強敵・韓国戦で、カズ(三浦)が見事に決めて奪った1点を最後まで守り抜き、一気に望みを広げたのだ。試合中、テレビの前で、僕たちは何度も近所に聞こえるほどの大声で雄叫びを上げた。このときの日韓戦のビデオテープは、今もわが家に残っている(見たい方には貸し出しますよ)。
最終戦はイラク戦。勝てば文句なしに史上初のワールドカップ出場が決まる。
しかし、御存知のように、日本は2対1とリードしながら、最後の最後のロスタイム…あと何10秒で終わるというところで同点に追いつかれ、すべての夢が消えた。
ずっとテレビに見入っていた僕たちは、あと何分! あと何分! と残り時間を連呼しながら、「いよいよワールドカップ出場やなぁ」と、はやる気持ちを抑えつつ、日本の勝利を信じて疑わなかった。隣にいた長男の肩を思わずぎゅっと握って、試合終了の歴史的な瞬間が訪れるのを待った。
ところが…
イラクのコーナーキックから、イラク選手のヘディングシュートでふわりと上がったボールが、日本のキーパー松永の頭上を越え、ゴールネットに入るという信じられない光景が目の前に展開されたときには、茫然自失となった。
「え…?」
何が起きたのかわからないうちに試合終了の笛が鳴った。
2対2の引き分け。悲願のW杯初出場の夢は無残に打ち砕かれた。
グラウンドに倒れ込んだまま立ち上がれない日本選手たちの姿がテレビ画面で映し出されていたが、僕たちも、金縛りにあったように固まってしまった。長男も、次男も、妻も、そして僕も、言葉がまったく出なかった。くそぉっ! とか、残念! とかいう言葉すら、白々しくて出せないような重苦しい空気が部屋に流れた。僕も、妻も、涙を流した。息子たちの悲痛な表情を見るのが、何よりも辛かった。
このとき、先に試合を終えたサウジが1位に立っていた。同じく試合を終えていた韓国は、日本がイラクに勝てば3位になり、上位2チームにしか与えられないW杯出場権には手が届かないところだった。日本がイラクをリードしている時点で試合を終えた韓国には、あきらめムードが漂っていただろう。そこへイラクが同点に追いついたという情報が入ったので、韓国選手は飛び上がって喜び、韓国の国民は狂喜乱舞したであろうことは想像に難くない。
日本が沈み、韓国が逆転浮上…そのことがよけいに僕らの悔しさを増幅させた。
それから4年経った1997年。
今度はフランスW杯のアジア最終予選。
日本は、ホームの国立競技場で韓国に1対0でリードしながら、後半39分から立て続けに2点を奪われ、痛恨の逆転負けを喫した(この試合のビデオも最近まで保管していたが、先日廃棄した)。このときの悔しい思いは、いまも身体の中に刻み込まれている。(ちなみに、2年前のドイツW杯のオーストラリア戦で、終盤まで1対0とリードをしながら土壇場で3点を連取され逆転負けした試合は、この日韓戦のコピーのような試合であった)
苦境に立たされた日本は、次のアウエーでのカザフスタン戦でも、勝てていた試合を引き分けてしまい、これで加茂監督がクビになり、急遽コーチだった岡田武史が監督に昇格した。そのあとも、格下相手に引き分けが続き、日本のサポーターは大荒れに荒れ、カズがファンから卵を投げつけられたこともあった。これで宿願のW杯出場は、またも夢に終わるかと思われた。
その、崖っぷちに立たされた日本に与えられた最後のチャンスが、アウエーのソウルで行われた韓国戦であった。半分あきらめていた日本のファンの大半の予想を覆し、この試合は、日本が2対0で快勝した。まさかと思われた勝利であった。
(この試合のビデオはわが家の宝物として今も本棚に入っています。
また、冒頭の写真は、試合の数日後に発売されたサッカー週刊誌
「サッカーダイジェスト」の表紙を今日スキャンしたものです)
そのあと、カザフスタンに大勝し、最後はジョホールバールでイランとのW杯出場を賭けた一戦で、岡野が延長Vゴールを蹴りこみ、悲願を達成したことは周知のとおりである。日本中がお祭り騒ぎとなり、岡田監督は時の人となった。
あれから11年が経った。
日本代表監督は、再び岡田武史が務めることになった。
11年前、ソウルで韓国を破ったことが、栄光のW杯初出場につながったのである。
あの試合を決して忘れてはならない。
日本の前に、いつも、必ず立ちはだかる韓国。
僕らは、この韓国に負けるのが、一番悔しいのである。
しかも、この東アジア選手権では、日本はまだ優勝がない。
日本で開催された第1回大会では、紙一重の差で韓国に優勝をさらわれた。
韓国で開催された第2回大会では、中国が優勝し、日本はまたも2位であった。
その意味でも、今年の第3回大会は、是が非でも日本に優勝してほしい。
韓国選手の勝負に賭ける執念は、他国に例を見ないほど強烈である。
しかし、日本には、先日の審判の不可解な判定や相手の度重なる反則行為を跳ね返した逞しさがある。勝機は十分である。
11年前のソウルで、韓国を破ったのも岡田ジャパンなのだ。
ぜひ、ぜひその再現を!
今夜7時15分に試合開始だ。
待ち遠しいなぁ。