僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 飛行機の中はもうパリ?

2008年05月08日 | 旅行

しばらくご無沙汰しておりました。
大型連休はいかがでしたか?
いつのまにかすっかり夏の陽気になってしまいました。
皆様にはお変わりなくお過ごしのこととお喜び申し上げます。

今日から当分の間、パリ旅行のお話をさせていただきます。ただし…
どうでもいいような話ばかりですので、すみません。先にお詫びしておきます。
では、まずは初日。パリの空港へ着くまでのことを…。

     ……………………………………………………

 

4月24日(木)午前11時50分。
JL5051便は予定通り、関西空港を飛び立った。 

僕と妻、妻の姉の3人は、窓際からの座席に並んで座り、このときを無事に迎えられたことを喜び合いながら、機上の人となった。

JLとは言ってもエールフランスとの共同運航である。
関西空港に離着陸するパリ便はすべて共同運航であり、機体もエールフランスばかりである。JLといっても、名ばかりであるような気がする。
(マイレージはOKでしたけど)。
当然だが、乗務員も日本人よりフランス人のほうが圧倒的に多い。
放送もフランス語が先で、2番目に流れてくる日本語も、妙ちきりんなフランスなまり(?)だったりする。

大阪・パリ間の飛行時間は約11時間半だと、フランスなまり放送が言っていた。
ふむ。昔は13時間ほどかかったような記憶が残っているのだが。
最近は少しスピードアップしたのだろうか…?

シートベルト着用のサインが消えたころ…
周囲が妙にざわざわしていることに気がついた。
いつもの飛行機の中の雰囲気とは、なんとなく違っている。

ふと見ると、僕たちの前の座席、横の座席、後ろの座席にいるのは、すべて外国人であった。この人たちがペラペラとしゃべり合っているので、何となくざわめいている感じなのだ。前後左右の席に日本人が全く見当たらないというのも、ち~と不思議な話だ。な~るほど、さすがに国際便である…と、その雰囲気に、まんざらでもない気持ちになったりしたけれど、やがて、さらに奇妙なことに気がついた。

座席から立ち上がって、ぐるりと機内の様子を見まわしてみたら…。

見渡す限り…9割以上が外国人(フランス人)だった。大阪の空港から乗った飛行機なのに、日本人らしき姿はごくまばらで、フランス人だらけの機内であった。そういえば、空港の待合室でも、周囲にはほとんど日本人はいなかったなぁ~。

昼食が終わって1時間くらい経つと、フランス人のかなりの客たちは座席を離れ、トイレや乗務員用のキッチンの周辺にたむろして、セルフサービスのジュースを飲んだり、サンドイッチをパクついたりしながらワイワイと騒いでいる。まるでパーティかなんかのような賑わいようだ。

ふつう飛行機の中ではみんなおとなしく座っているでしょ? しかし彼らはじっとしていない。しょっちゅう席を立ってうろうろする。そこらの通路で、マダム同志がなにやら熱心に話をしているし、母と娘ふうの2人がこれも通路で顔をつき合わせて話している。老人が塾女に熱っぽく何かを語りかけている。列を隔てて、あちらの列の人に首を伸ばしてしゃべりかけている男もいた。どうも騒々しいこと甚だしい。でもまあ、最初はその雰囲気に僕たちは戸惑ったけれども、だんだんそれに慣れてくると、けっこう楽しい心地がしてきたことも確かである。

この人たちが通路に立ったまましゃべっているものだから、こちらがトイレに行こうと思ってもなかなか前に進めない。しかし話に夢中になっているおばさんに背後からひとこと「パルドン・マダ~ム」とか声をかけると、「オォ? パルドン!」などと言って、慎ましやかな笑顔で隅に寄ってくれる仕草と表情は、さすがにフランス女性だ。そこはかと無く気品が漂い、しっとりと優雅である。
(大阪のおばちゃんが下品で粗暴だと言っているのではありませんよ。念のため)

トイレに行くと、前に数人のフランス人男女が立ちはだかってペチャクチャおしゃべりをしている。トイレに並んでいるのか、単に会話をしているだけなのか、はっきりわからない。こちらがためらっていると、ひとりの男性がそれに気づき、「あ、ごめんごめん。トイレは空いていますよ~ん」という感じで、ニコ~ッと笑いながら戸を開けてくれ、どうぞ、というジェスチャーをした。一見、みんな無遠慮で騒がしいように見えるけれど、接してみるととても親切だし、礼儀も正しい。

機内はず~っとこんな調子で、何かお祭りみたいな空気の時間が流れて行ったが、それとなく見ていると、あちらこちらで、頭上の荷物棚が開けられるたびに、丸い笠が見えた。昔のお坊さんがかぶっているような丸い笠である。その笠に「白川郷」という白い文字が躍っているのが見てとれた。

はは~ぁ…。岐阜県白川郷のお土産なのだろうね。その「白川郷」の笠が、あっちの棚にも、こっちの棚にも…そこらじゅうの棚に入っていた。

あぁ、やっぱりフランス人の団体旅行だったんだ。白川郷をはじめ、日本の国のいろんなところを巡ってきた旅からの帰りの飛行機だったんだ…とナットクした。

つまり僕たちは、ニッポン見物を追え、フランスへ帰国する団体さんの中に紛れ込んでいた…というような感じだったのではなかろうか。

そんな楽しくも不思議な空間の中で、あっというまの11時間半が過ぎ、ほぼ予定通り、現地時間24日午後4時35分にパリのシャルル・ド・ゴール空港に着いた。

日本とフランスの時差は、4月から夏時間に入ったので、7時間となっている。
日本のほうが、7時間早い。
関西空港を出たのが日本時間の午前11時50分(パリは午前4時50分)。
パリに着いたのが日本時間の午後10時35分(パリは午後4時35分)。

さて、フランス時間午後4時35分に、無事に空港に着陸したけれど、飛行機が完全に止まってからも、かなりの時間、機内でじっと待たされた。乗客たちは「白川郷」の笠を背中にかついで、通路に出て立ったまま、静かに待っている。こういうときは、文句一つ言わず、黙って待っているのは日本人と違うところだ。

乗降口のドアが開けられないまま、15分ほどの時間が過ぎる。
原因は、フランスなまり放送によると、空港の職員がなかなか姿を見せず、ボーディング・ブリッジを取り付けるのが遅れている、ということである。
飛行機が到着したのに、職員が遅刻…? 
日本ではおよそ考えられない話である。
その悠然たる仕事ぶりに「さすがパリだ!」と、大いに感心させられたものだ。

やっと乗客が前方に動き始め、長い長い機内の通路を出口に向かって歩く僕たちを、乗務員たちはそれぞれの通路脇に立って見送ってくれた。
日本語の「さようなら」を意味する「オー・ホヴォワー」という言葉をかけてくれる。客のほとんどがフランス人なので、乗務員は数少ない僕ら日本人にも同じように「オー・ホヴォワー」と声をかけ、笑顔で見送ってくれるのだが、実際には、その発音は、辞書にあるような「オー・ホヴォワー」ではなく…
「オバー」「オバー」「オバー」
…というふうに聞こえるのである。

「オバァ」「オバァ」「オバァ」…

歩き進んで行くたびに、どの乗務員からもその言葉を投げかけられる。

「オバァ」「オバァ」「オバァ」…

「やかましいわ! だれが、オバァやねん!」

…と怒った大阪のおばちゃんは…いませんでした。念のため。

ま、そんなことで、無事にパリの地にたどり着いた僕たちなのでありました。

ところで、薬の話になりますが…。
僕は食前、食後、寝る前と、数多くの薬を規則正しく飲まなければならない身なのであるが、機内で出る食事やスナックのセルフサービスタイムの時に、
「え~っと、これは、食前だから今飲んだほうがいいかな?」
「あ、この薬は食後だけど、日本時間に合わして飲むべきだろうか?」
「寝る前って、いったい何時ごろになるんだろ?」(僕はほとんど寝なかった)
などと、日本時間とフランス時間とを、指折り数えながら頭の中でクルクルと考えを巡らしたけど、だんだん何が昼食でどれが夕食でいつが眠る時間で…ということがわからなくなり、おまけに2度の食事時にワインをかなり飲んだりして、普段の規則正しさはどこかへ消え、体内時計もぐちゃぐちゃになってしまった。

この日、ホテルへ着いた後すぐにオルセー美術館へ行ったが、そこでちょっと不整脈が出て気分が悪くなったので、さすがにこれに懲りて、
「この旅行中にはいっさいワインは飲むまい」…そう心に決めた。
薬の服用時間も、穏やかにフランス時間に移行させなければならない。
こんなところで不整脈が悪化したら、それこそ大変なことになる。
僕がダウンしたら、妻と姉が途方に暮れなければならない。
気を引き締めて、不規則・不摂生だけには要注意だ。
それを一番に念頭に置いて、旅のスタートを切った僕なのであります。

まあ、気を引き締めたわりには、失敗だらけの旅でしたが…


                           ~ 続きます ~

 

 

 

 

コメント (6)
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