松田直樹選手のプレイはU17サッカーの日本代表のころから見ていた。
17歳以下だから、全員がほぼ高校生で構成されるチームだ。
1993年、その世界大会が日本で開催された時、
宮本恒靖、中田英寿らに混じって松田直樹がいた。
当時宮本が、僕の勤めていた松原市にある生野高校に通っており、
僕も広報担当のときに彼に取材したことがあったのと、
長男が、宮本と同じ生野高校に通っていたことなどの縁で、
この時のU17の大会では、宮本を応援するのが目的だったが、
そのメンバーの中に、有名になる以前の中田英寿も松田直樹もいた。
こうした選手たちの活躍で、日本はグループリーグを突破したが、
準々決勝でナイジェリアに敗れた。
日本代表は、1998年のフランスW杯で悲願の初出場を果たした。
しかし日本のディフェンス陣にはそのころ井原や秋田がおり、
中田以外の若い宮本や松田が代表に呼ばれることはなかった。
2人がW杯で活躍するのは、次の2002年の日韓大会だった。
あのときの松田は、宮本とともに実に頼もしい存在だった。
イケメンだし、妻は「若いときのショーケンに似てるわ~」
と、松田を一生懸命応援していた。
松田選手は、横浜マリノスには16年間も在籍したと言うが、
衰えが見えはじめるとあっさりクビにしてしまうとは非情な話だ。
実力だけが物を言うスポーツの世界では仕方ないかもしれないが、
もしあのままマリノスにいたらこんなことにならなかったのでは…
と、今さら考えても仕方のないことを、ふと思ったりする。
松田直樹選手の突然の死の原因は急性心筋梗塞だったという。
何かの拍子に不整脈などが起こって血の塊ができ、
松田選手の場合はそれが左冠動脈の血管に詰まったそうである。
僕も5年前の6月に不整脈から血の塊ができ、脳の血管が詰まった。
右半身がしびれたように動かなくなり、話すとろれつがまわらなかった。
脳梗塞だったが、幸い、詰まった血管の場所がよかったので軽症で済んだ。
後日、ベテランの専門医が僕の脳内部のMRI画像を見て、
「詰まった場所がひとつ違ったら、命を落としていたか車椅子でしたね。本当にラッキーでした」と言った。
まさに、紙一重であった。
人の命は、いつ、どうなるかわからない。
松田選手のあまりにあっけない逝き方には、言葉もない。
ただ、ただ、悲しい。