僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

がんばれ八戸 光星学院

2011年08月20日 | 思い出すこと

1969年(昭和44年)8月18日。
いまから42年前のことである。

僕はそのとき、まだ20歳の紅顔の美少年であった  。
(今は厚顔の中高年ですけど…)

その日の午後5時過ぎ、僕は東京後楽園球場の観客席にいた。
今の東京ドームなど、影も形もなかった時代である。

僕は大阪~北海道を往復する自転車旅行中であった。

旅行も終盤になって、東京に着いた。
せっかくなので僕は東京に数日滞在し、憧れの巨人軍の試合を、
その本拠地・後楽園球場で初めて見るという機会に恵まれたのである。

巨人の選手がグラウンドに入ってきて練習が始まった頃である。

前の席に座っているおじさんの携帯ラジオの音が耳に入った。
身を乗り出して聴いてみると、それは野球中継だった。

まだプロ野球は試合が始まっていない時間なのに、
いったい何の野球をやっているのだろうかと不思議に思い、
耳を傾けていると、どうも高校野球のようだった。

…そうだった。
この日は甲子園球場で、高校野球の決勝の日だったのだ。

しかし、午後5時を過ぎた時間に、まだ試合が続いているはずがない。
だが、たしかにそのラジオからは、高校野球の実況が流れていたのだ。

僕は前のおじさんに、「すみません。それ、高校野球ですか?」
と、聞くと、おじさんは大きくうなずき、
「そうだよ。延長戦に入ってねぇ、まだ終わってねぇんだよ」
興奮気味に、教えてくれた。

それが、今も高校野球史に語り継がれる第51回大会の決勝戦、
松山商業と三沢高校が
延長18回を戦って引き分けた試合だったのだ。

後楽園球場から宿舎に帰って、僕はその試合の結果を知った。
両校は明日、再試合を行うということだった。

~そうか、あの三沢高校だったんだ~

この青森県の三沢は、2週間ほど前に自転車で通過した町だった。
しかも、三沢に住むトラックの運転手さんと話す機会があって、
その時、運転手さんは、
「今年の三沢高校はすごいんだよ。太田幸司っていう投手がいてね。甲子園でも、きっと優勝するよ」
そう言って、目を輝かせていたことを、僕は忘れていなかった。

この試合は、決勝としては大会史上初の引き分け再試合となったが、
残念なことに、三沢高校は翌日の試合で力尽き、優勝を逃した。
だが、三沢の太田投手は、これで一躍日本中のアイドルとなった。

これと関連する別の話だけれど…
5年前の決勝戦で、早稲田実業の斉藤と駒大苫小牧のマー君が投げ合い、
死闘を繰り広げた末、引き分けて再試合となったとき、
「決勝戦の再試合は実に37年ぶりのこと!」とマスコミが騒いだが、
その37年前というのがこの松山商対三沢高の試合のことであった。

 ……………………………………………………………………………

そして、今日、8月20日。

今は、朝の7時半である。

2時間後の午前9時半から「大一番」が始まる。

甲子園球場で、青森県代表の光星学院が決勝戦に挑むのだ。
相手は東京の日大三。むろん、簡単に勝てる相手ではない。

「青森勢の決勝進出は42年ぶり」と報じられているが、
1969年8月18日のあの三沢高校から42年ぶり…ということだ。

だから僕にとっても、今日の試合は、格別の思いがある。

しかも光星学院は、今回の大震災の被災地、八戸市にある。
八戸は、自転車旅行中にも、高校の恩師の実家に何日か泊めていただき、大変お世話になった思い出の深い場所である。

その八戸市に在住され、地元で高校の教師をしておられるTさんという方がいらっしゃる。

数年前、僕の20歳当時の自転車旅行記を掲載したブログを偶然に読まれ、気に入っていただき、メールをくださって以来、当時、僕が巡った旅先の、現在の様子を教えていただいたり、八戸市で僕がお世話になった方のところまで実際に会いに行かれて、僕のことを伝えていただいたり…と、格別なご配慮をいただいている。

そのTさんから、昨日、久しぶりにメールが届いた。

高校野球は、三沢高校以来42年ぶりに青森勢が決勝に進みました。
光星学院は八戸の私立校です。どうぞ、明日の決勝は、
被災地代表を応援してくださいませ。

そう書かれていた。

Tさんの、熱い思いが胸に伝わってきた。

三沢高校…
42年ぶり…
青森県の八戸市…

なんとも、言葉で言い尽くせないほど、感慨深い。

青森勢として、42年ぶりの雪辱の機会が訪れたわけだが、
何より、東北勢は、まだ優勝も未経験である。

相手は強豪中の強豪、東京の日大三であるが、
全力でぶつかって、なんとか歴史的勝利をつかみ取ってほしい。

勝てば、なでしこジャパンの優勝以上に被災地の人々を勇気付けるだろう。

そして最後にもう一つ、感慨深いことをつけ加えておかなければならない。

この光星学院のメンバー18人のうち、10人が大阪出身の選手なのである。

八戸、そして大阪…

なんという縁の深いことであろう。

がんばれ、光星学院 !  

1969年8月18日を超えて、
2011年8月20日のこの日を、
一生忘れられない日にしてほしい。
               
 

 

 

 

 

コメント (2)
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