僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

前田武彦で思い出すこと

2011年08月12日 | ニュース・時事

サッカーの松田直樹選手の訃報の陰に隠れるような感じで、
8月5日の夕刊に、前田武彦が亡くなったという記事が出た。

82歳、ということだった。

僕たち団塊世代にとっては、前田武彦は特に印象深い人だった。

1968年から始まった歌番組「夜のヒットスタジオ」は、その頃のTV番組の中では最も人気が高かったし、また昼の時間帯の公開番組「お昼のゴールデンショー」(今の「笑っていいとも」と似た番組)でも司会をつとめ、こちらも高視聴率で、ちょうど大阪万博があった1970年頃、テレビの黄金期時代でもあったが、彼の人気絶頂期であった。

歌番組が好きだった僕は「夜のヒットスタジオ」を見るのがとても楽しみだった。生番組なのでハプニングが多かったことも見どころの一つだった。

特に「あの」出来事は、忘れられない。

小川知子という歌手がいた。
僕と生年月日がほぼ同じで、僕は彼女の大のファンだった。

その小川知子が、スタジオで、彼女の恋人だったカーレーサーの福澤幸雄(福澤諭吉の曾孫に当たる男性)と電話で話すシーンがあった。スタッフが彼女に内緒であらかじめ福澤さんと電話をつないでおいて、本番中にいきなり小川知子にそのことを告げ、彼女は驚きながらも受話器をとり、福澤さんとおしゃべりをするという「企画」だった。会話を終えた後、当時大ヒット中の「初恋の人」を歌った小川知子の愛くるしい笑顔を、僕はうっとりと眺めていた。

それからさほど経っていなかったと思うのだが、
ある日の新聞に、「福澤幸雄さん、亡くなる」という記事が載った。
カーレーサーだった彼は、試験運転中に事故死したのだった。

その直後、夜のヒットスタジオに出演した小川知子に、司会の前田武彦は、番組中に交わした福澤さんとの電話での会話を録音したテープを渡した。それを胸に抱きしめて、小川知子は気丈に「初恋の人」を歌い始めたが、途中から泣き崩れ、周囲の女性歌手たちが全員彼女に寄り添って号泣する…という状態で、スタジオ内は騒然となった。

多分、テレビを見ていた多くの人たちも涙を流したに違いない。

「初恋の人」の歌詞がまた泣かせるのだ。

♪ なぜだか逢えなくなって 恋しい人なの~

♪ 懐かしがっても遠い 夢の人なの~

実は僕も、テレビを見ながら大泣きした一人である。

スタジオの全員が号泣する中で、前田武彦はそっと目頭を押さえ、
優しい目で小川知子を見守っていたのが印象的だった。

毒舌で人気を得たマエタケであったが、実は優しい人だったのだろう。
前田武彦といえば、必ずこのシーンが思い浮かぶのである。

でも、やはり毒舌で人気が出ると、ブレーキがかからなくなるのか。

お昼の番組で、落語家の立川談志に、
「お前なんか中卒だから…」
などと、平気で言っていた怖いもの知らずのマエタケだったが、
何年か経つと、いつの間にかテレビに姿を見せなくなった。

あとで知ったことだが、「夜のヒットスタジオ」の番組中、
日本共産党の候補者が当選して、マエタケが万歳したという。
以来、テレビ局から締め出されたということだったらしい。
それが1973年のことだと先日の訃報記事には書いてあった。

1970年頃までは僕もテレビに夢中になっていたが、翌年、大学を卒業する1週間ほど前に結婚をし、その翌年には長男が誕生し、さらにその翌年、1973年には次男が生まれ、僕なりに多忙であった。つまりその頃はテレビどころではなくなっていたので、マエタケの「万歳」のシーンも知らなかったのだ。

口は災いの元、というけれど、
たった一言、たった一つの動作で、人生が暗転する。
まさに、一寸先は闇、である。
マエタケのタレント人生が、そのことをよくあらわしている。

この人の訃報に接して、そんなことを思っていたら、
昨日のニュースでは、今度は歌手の日吉ミミが亡くなったという。
64歳というから、僕より2歳上だけである。

恋人に ふられたの よくある話じゃないか~

という歌を、僕らの世代で知らない人間はいないだろう。

この「男と女のお話」も、1970年に大ヒットした曲である。

なんだか前回の大阪万博のころの話の続きになってしまったけれど…

1970年も、いよいよ遠くなりにけり、である。

 

 

 

 

 

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