「座右の銘」という言葉がありますね。
「常に身近に備えて戒めとする言葉」
という意味だそうですが、最近はあまり聞きません。
むかしは有名人などが「座右の銘は何ですか?」
と、記者らによく質問されていたんですけどね~
で、僕には座右の銘というほどのものはありませんけど、
強いて言えば、曽野綾子さんのエッセイにあった一節で、
若いうちから、楽しかったことをよく記憶しておいて、これだけ面白い人生を送ったのだから、もういつ死んでもいいと思うような心理的決済を常につけておく習慣をつけるといい。やはり冒険はいいものだ。冒険は心の寿命を延ばす。若い日に冒険しておくと、たぶん死に易くなる。
という文章を暗記し、時々、心の中で反芻しています。
そうすると、何となく気が休まるのです。
でもまぁ、「座右の銘」の本来の意味は「常に身近に備えて戒めとする言葉」ということですから、上記の例はちょっと違うかもしれません。
じゃぁ、僕の場合、戒めとする言葉は、そうですねぇ……
「因果応報」という言葉でしょうか。
つまり、好きなお酒を飲み過ぎて、それが原因で不整脈が出たり肝臓の数値が高くなったりして体に悪い影響が出ている、というのが「因果応報」で、「自業自得」と類似しています。
で、飲み過ぎが原因で不整脈が出て苦しい時は「もうお酒はやめるぞ!」と固く決意するのに、苦しいのが収まったらまた飲むんですねぇ。こんなことを懲りずに繰り返しているのは、まさに、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
という言葉がピッタリ当てはまります。
ということで、今の僕の「座右の銘」は、
「因果応報」と「喉元過ぎれば…」のふたつです(笑)。
「そんなの、座右の銘と言わんやろ?」と突っ込まれそうですけどね。
さて、その「座右の銘」に関しては、こんな面白い話が伝わっています。
元プロボクシング世界王者の具志堅用高さんが、雑誌のインタビューで、
「具志堅さんの座右の銘は何ですか?」と質問されたのです。
すると具志堅さんは「はい。2・0です」と答えたそうです。
あのねぇ…
それは「座右の銘」じゃなくて「左右の目」でしょ。
もう、ええわ。
失礼しました~
ケ・セラ・セラ
なるようになる。歌の一節ですね!
ほぼ他力本願ではありますが、最終的には落ち着くところに落ちつきます。
ま、落ち着いた先のそこからが大変やけど、それもケ・セラ・セラで!
僕もこのブログで何度かその言葉を使っています。
不整脈や耳鳴りなどの不安も、
「ケ・セラ・セラ~、なるようになるさ~」と自分を納得させていますし。
考えてみれば僕も「ケ・セラ・セラ」が、無意識のうちに座右の銘になっているのかも知れませんね~